姫君と果てない野望(10)
カリーナ姫の野望

「カリーナ姫、返事を聞かせていただけますか? あなたとこうして話しているうちに、わたしは、わたしは……」
 ファセランは、カリーナの両手を握り締め、そしてまっすぐ見つめ告げる。
 すると、カリーナはすっと視線をそらし、そこで恥らうように頬を染めた。
 どうやら、カイがルーディと遊んでいる間に、事態は急速に進んでいたらしい。
 いまいましいことに、ファセランはますます調子に乗り、カリーナに迫っている。
 爪を立てるカイの指が、幹に埋まっていく。
 カリーナは頬を染めた顔をゆっくり戻し、こくりとうなずき、うるむ瞳で戸惑うようにファセランを見る。
 カリーナのその仕草を肯定の意ととったのか、ファセランはぱっと顔を華やがせた。
 ずいっと、カリーナにさらに迫る。
「では、わたしの……」
 そこまで言いかけると、すっとのびたカリーナの人差し指が、ファセランの唇に触れた。
 カリーナは申し訳なさそうにファセランを見つめ、微苦笑を浮かべる。
「ファセランさま、ごめんなさい。わたくし、覇王の妃になると決めておりますの」
「……覇王の……ですか?」
 いきなり告げられたそれに、ファセランの顔が訝しげにゆがむ。
 覇王といえば、やはりあの覇王だろう。
 まさか自ら覇王の妃にと望む姫がいようとは、この世界の誰もが思っていないに違いないだろう。
 覇王の妃になどなっては、得られるはずの幸せも得られない。……間違いなく。
 それを、カリーナは望むと……?
 あるいは、それは、たんなる断るための口実?
 むしろ、それが正しいだろう。
 よもやファセランの申し込みを断る姫が、この世にいたなどとは。
 いや、たしかに一人はいた。ファセランに、失恋した姫がいるというのは嘘ではない。
 しかし、それが複数となると話は違ってくる。
 そこに、いちばんの疑問をファセランは覚える。
 カリーナはこくりとうなずき、ふうと深い吐息をもらす。
 するりと、ファセランの両手の中から手を抜き取る。
「ええ、そうです。ご覧のように、この国は、自然しかとりえがない土地だけは広い貧乏小国。ですから、国のために、わたくしなりに何かできないかと考えましたところ……」
「ご自分を、犠牲にされると?」
 ファセランは真剣みを帯びた眼差しを、まっすぐカリーナに向ける。
 カリーナはふるふると小さく首を振る。
 そして、ちらりとファセランを見る。
「そのようなおこがましいことは思っておりません。ただ、王女として、わたくしが民のためにできることはと考えたところ、それしか……」
 もしかすると、断るための口実などではなく、本当に国のために……?
 ファセランは一瞬そのように思いもしたが、いや、そのようなはずがない、噂が正しければ、この姫がこのように謙虚なはずがない、謙虚であってたまるものか、とすぐに思い直した。
 胡散臭いまでにさわやかに、そして柔和に口元をゆるめる。
「そうですか。ですが、この国を守るためなら、何も覇王の妃にならなくとも可能でしょう。――そう、例えば、軍事力が自慢の隣国の王子でも……」
「まあ、ファセランさまったら」
 得意げにファセランがにっこり微笑みかけると、カリーナがころころとおかしそうに笑い出した。
 カリーナは、ファセランを、さりげなく、すげなくあしらう。
 よもや、ファセランをこのように扱う姫がいようとは……。
 ――この姫、なかなか面白い。
 ファセランは、楽しげににやりと小さく笑みを浮かべた。
 そして、すっと、カリーナの腰へ手をまわしていく。
「どうですか? 考えていただけませんか? わたしは本気で、あなたを……」
 ファセランはぐいっとそのままカリーナの腰を抱き寄せ、もう一方の手で手をとり、そこにそっと口づけを落とす。
 ちらりと、艶かしく上目遣いにカリーナを見つめる。
 カリーナはかっと頬を紅潮させ、戸惑うように身じろぐ。
「ファセランさま、お手を、お手をお放しくださいませ」
「嫌です。あなたが、はいと言ってくださるまでは」
 手を引き戻そうと小さく抵抗を試みるカリーナに、ファセランはさらにずいっと迫る。
 妙に熱い眼差しで、カリーナを見つめる。
 カリーナはますます顔を赤くし、その瞳は潤み出した。
 ファセランが胸の内でにやりとほくそ笑む。
「こ、困ります、ファセランさまっ」
「カリーナ姫、わたしは本気だと言っているでしょう」
 ファセランはカリーナの腰を抱く手を引き寄せ、そのまま胸の中にしっかりとおさめる。
 カリーナの柔らかな黒髪に、ファセランの顔がうずめられていく。
「や、やめてください、ファセランさ――」
 そこまで言いかけた瞬間、カリーナは言葉を切った。
 同時に、ぶちりと不気味な音がその場一帯に響いた。
「やめろって言っているだろう、このすっとこどっこい! 貴様、今何をしようとした!?」
 豪快な音を立て、ファセランは地面に叩きつけられた。
 あっけにとられているファセランを、いまいましげに見下ろすカリーナの姿がある。
 顔を真っ赤にし、左手で左の耳をおさえている。
 どうやら、そういうことらしい。
 ファセランは、よりにもよって、カリーナの耳をぺろりとなめようとした。
 ……まったく、外道なのだから。
 カリーナがにらみつけるファセランの顔が、ふいににたりと笑みを刻む。
 瞬間、はっと気づいたように、カリーナの顔からさあと血の気が引いていく。
 もしかしてもしかしなくても、やっちゃった……?と。
 ファセランはすっと立ち上がり、ぱんと服についたほこりを払う。
 それから、くすくすと楽しげに、優雅に笑い出した。
 意味深長な艶かしいファセランの視線が、うろたえるカリーナに惜しみなく注がれる。
「これはこれは、噂通りの勇ましい姫君ですね」
 それから、すいっとカリーナの肩に触れ、引き寄せる。
 ぽつりと、カリーナの耳元でささやく。
「……噂、だと?」
 ぎらりと今にも射殺さんばかりのカリーナのにらみが、ファセランに向けられた。
 どうやら、もう取り繕っても無駄だと早々に諦めたのか、カリーナは逆にファセランに攻撃を仕掛けることにしたらしい。
 こうなっては、とりまきなどとまなぬるいものではなく、ファセランを敵とみなし、やってしまおう。
 瞬間、カリーナはそう判断した。
 すいっとカリーナから顔を離し、ファセランはにっこり微笑む。
「ええ、一体いつになれば、本当の姿を見せてくれるのかと焦れてしまいましたよ」
「それはお互い様ではないか? そっちも有名だぞ。いろいろと……」
 ぐいっとファセランの胸を押し、カリーナはそこから抜け出る。
 そして、にやりと口の端を上げ、挑発的な笑みをファセランへ向ける。
「承知しておりますよ」
 ファセランはほがらかに笑いそう言う。
 しかし同時に、一瞬陰りのようなものも見せていた。
 それに気づいてしまったカリーナは、不思議そうに首をかしげる。
「ファセラン……王子?」
 ふわりと、カリーナの頬に、ファセランの手が添えられる。
「わたしはどうも、気が強い女性に弱いらしい」
 そして、くすりと笑い、困ったように肩をすくめる。
 ぱっと、ファセランの手がカリーナの頬からはなれる。
 カリーナはやはり、不思議そうに首をかしげていたけれど、次の瞬間、にやりとした笑みを浮かべた。
 ファセランの胸に、ぽんと軽く拳を打ちつける。
「まあ、よい。気に入ったぞ、ファセラン。お前はわたしの友だ」
「わたしもだよ、カリーナ。これから楽しくなりそうだね」
 にっこりと得意げに笑うカリーナに、ファセランも得意げに微笑み返した。
 どうやら、ファセランを敵とみなすのではなく、面白いおもちゃと認定したらしい。
 いや、おもちゃ……ではなく、一緒にいたずらをして遊べる仲間とでも思ったのだろう。
 ファセランに、どことなく同じ臭いを感じたのだろう。
 カリーナ特有のその野生の勘で。
 二人は互いに、ある種の、妙な連帯感を覚える。
 果たして、ある意味似たような野望を抱くこの二人が一緒になり、おちゃめに遊び出してしまったら、今後無事にすむのだろうか?
 それは、神のみぞ知るところ。
 ふんぞり返り、かかかと高笑いするカリーナを、ファセランは見守るように見つめている。


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update:11/01/22