姫君と果てない野望(12)
カリーナ姫の野望

「とにかく、わたしは心配なのですよ。姫が、姫が……っ」
 気をもむように体を揺らし、カイはまたずずいっとカリーナに詰め寄る。
 ルーディが差し出すお茶のおかわりを手にとり、カリーナはそれをついっとカイへと突き出す。
 ちろりと、さぐるようにカイの顔をのぞき込む。
「……心配なのか?」
「当たり前ではありませんか。もし仮に、姫が傷つくようなことがあれば……」
「そうか。うん、そうだな」
 カリーナは、カイにつきつけていたカップをすっと戻し、両手で包み込むようにふわりと持つ。
 それから、それに顔を隠すようにしてくすりと小さく笑いをもらし、肩をすくめた。
 どことなく嬉しそうに、カリーナの口の端が上がっている。
「いずれにしても、あの王子をさっさとふって、追い返してください!」
 それが、カイの紛う方なき本音。
 あの腹立たしい王子を、一分一秒でも早く、カリーナの目に触れないところへ追いやりたい。
 刹那ですら、カリーナの目に触れさせておきたくない。
 口をまったくつけていないおかわりのお茶を、カリーナはそのままぽいっとルーディへ放り投げる。
 それを、ルーディが今度はさっとかわし、がちゃーんと見事な大音響をその場に響かせた。
 毛足が長い絨毯に、じわじわとしみを作っていく。
 しかし、それを気にする者は、今この部屋にはいない。
 上目遣いにじっとカイを見つめ、カリーナはくいっと首をかしげる。
「カイ、お前は、そうして欲しいのだな?」
「え……?」
「欲しいのだな?」
 カイの腕をぐいっと握り、カリーナはすがるように見つめる。
 ふうと、カイの背で、呆れたようなあてつけるような、大きなため息がもれた。
「まったく、今回限りですよ、姫」
 そして、そう言うと、ルーディが面倒くさそうに部屋を出て行った。
 しかし、カリーナの耳にはその言葉は入っていないらしく、じいっとカイを見つめたまま。
 カイの腕をつかむ手がするりと動き、そのままきゅっと手を握り締める。
 カイは不思議そうにカリーナを見つめる。
 けれど、その目に宿る光は、熱にうかされたような色を放っていた。
 同時に、そこには、熱く熱く、燃えたぎるような炎も見える。
 気づけば、カイは、ふらりとカリーナへ身を吸い寄せられるように上体を揺らしていた。
「……カイ、手、怪我をしている。どうせ、のぞき見をしていた時にでも、葉か何かで傷つけたのだろう?」
 握っていたカイの手を両手でそっととり、カリーナは意地悪い笑みをちろりと向ける。
 しかも、けけけとやっぱり意地悪い笑いまで添えて。
 ぺいっと、触れるカイの手を乱暴に放り捨てる。
 カイははっと我に返り、同時にぽけらっとカリーナを見つめた。
 カイは知らぬまに、カリーナに心奪われていたらしい。
 実に危なかった。あのまま意識を失ったままでいては、カイはそのままカリーナを抱きしめるところだったろう。
 だらだらと、嫌な汗がカイの額を伝う。
 まさか、仕えるこの国の姫君に、そのような破廉恥な真似をできようはずがない。
 たかだか一介の護衛官ごときが。
「え? あ、本当ですね、手から血が……。気づきませんでした」
 カイは何気なさを装い、ぺろりと傷口をなめる。
 なめて、抱いてしまったよこしまな思いを誤魔化す。
 この思い、カリーナに気づかれてはいけない。
「鈍いな」
 にしゃりと、カリーナはやはり意地が悪い笑みを浮かべ、からかうようにカイを見る。
 カイはふうと吐息をもらし、呆れたような眼差しをカリーナへ向ける。
 それから、ぞんざいにつぶやく。
「お互い様ですよ」
「カイのくせに生意気だぞ」
 ぷうとカリーナの頬がふくらみ、いまいましげにカイをにらみつける。
「生意気なのはいつものことです」
 カイは妙に冷静に、さらっと言い放った。
 ますますカリーナの頬がぷっくりふくらむ。
「本当にかわいくないな」
「男がかわいくてどうするのですか」
 適当にあしらい、カイはカリーナに背を向ける。
 そして、その場にすっとひざまずく。
 先程カリーナが破壊したカップを、そのまま放置しておくわけにはいかないと片づけはじめる。
 別に、絨毯の一枚や二枚、しみになろうがこのお姫様はかまわないだろうけれど、そのような細かいことにはこだわらないだろうけれど、さすがに散らばった破片をそのままにしておくわけにはいかない。
 カイの大切なお姫様が、もし間違ってそれで怪我でもしてしまったら一大事。
 それを理由に難癖をつけて、またいっぱいカイをいじめるから。
 想像するだけで、なんて恐ろしいのだろうか。
 カリーナは命にかかわるようないじめを平気ですると同時に、じわじわと精神的に責めることも好きとしている。
 本当に、なんてたちが悪いお姫様なのか。
 けれど同時に、カリーナのそんな振る舞いに喜びを感じるカイは、さら手に負えないだろう。
 かちゃかちゃと、破片がすれる音が、妙に心地よくカリーナの耳に響く。
 カイに気づかれないようにこっそりと、うっとり目を細める。
「ああ言えばこう言う」
「そっくりそのままお返ししますよ」
 カイの背で、すねたようなカリーナの声がする。
 カイは手をとめ、困ったように肩をすくめた。
 そして、破片の片づけをする手をとめ、ゆっくり立ち上がる。
 カイはくるりと振り返り、カリーナへ歩み寄る。
 カリーナは、近づくカイを悔しそうににらみつける。
「わたしは姫だぞ!」
「だったら、姫らしくしてください」
「何だと!?」
 カリーナはそう叫ぶと、近づいたカイにがばっと襲いかかった。
 勢いよくカリーナが胸に飛び込んで来て、カイは体勢をくずしてしまった。
 ぐらりと大きく体が揺れ、そのまま長椅子へと倒れこむ。
 ぼすんと、カイの胸の中に、カリーナがおさまる。
 カイは呆れたような息を小さく吐くと、しっかりと胸に抱くカリーナの顔をのぞき込む。
「姫? 大丈夫ですか? まったくあなたは、乱暴なのだから」
 それから、ためらいがちにカリーナを起こそうとする。
 すると、カリーナは抗い、自らぽすんとまたカイの胸に顔をうずめた。
 すりっと、カイのそこに頬をすり寄せる。
 カイの男性らしい、けれど決して不快ではない香りが、カリーナの鼻をくすぐる。
 ほわりと、カリーナの胸の中にあたたかいものが広がる。
 自然、ほにゃんと顔がくずれる。
 ためらいがちに、カイの手がカリーナの肩に添えられた。
 同時に、カイの手の傷口がまたカリーナの目に入った。
 起こそうとするカイの手を「嫌!」と拒み、カリーナはそのままぎゅっと抱きつく。
 カイはさっさと諦めてしまったのか、大きく息を吐き出した。
 それから、カリーナの肩に触れていた手を、ぺちんと自らの額にのせる。
「なんだか、思い出すな。二年前を」
「二年前……ですか? ――ああ、そうですね。姫がわたしを軟派した時ですね」
 触れるカイのぬくもりをかみしめながら、ぽつりとカリーナがつぶやく。
 カイはくすりと笑い、それに相槌を打つ。
「軟派ではない。引き抜き(ヘッドハンティング)だ!」
 ぼすっとカイの胸を拳で打ちつけ、カリーナは抗議する。
「そうとも言いますね」
 カイは楽しそうに、くすくす笑い出した。
 あの日、あの二年前の日、カリーナとはじめて会った時から、カイ自身も気づいていない、胸にともる火がある。
 いや、気づいていて、気づかないふりをしている?
 カリーナの目が面白くなさそうにすわる。
「カイのくせに生意気だぞ」
 それから、ぼかすかとカイの胸を叩き、悔し紛れの攻撃が開始される。
 けれどすぐにその手はカイの手によって優しく拘束され、それ以上は攻撃できなくなってしまった。
 むむむーと、悔しそうにカリーナはカイをにらみつける。
 その頬が、ほんのり赤く染まっている。
 攻撃を阻止したまま、カイはよいしょっとカリーナを抱えなおし、上体を起こす。
 そして、そのまま膝の上にカリーナを座らせた。
 すると、カリーナは驚いたようにカイを見つめ、ぽすんとその胸に頭をあずける。
 カイの胸にすり寄せるその顔が、幸せそうにほころんでいる。
 カリーナの流れるようにつややかな長い黒髪を、カイが優しくすいていく。


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update:11/01/29