姫君と果てない野望(15)
カリーナ姫の野望

 膝の上に座るカリーナが、カイの首に両腕をまわしきゅっと抱きつく。
 そして、「えへへ」と幸せそうに微笑をもらした。
 珍しく素直に甘えるカリーナに、カイは「仕方がありませんね……」と、ちょっと困ったふうに優しい微笑みを向ける。
 それから、首にからみつくカリーナの腕をゆっくりと解きとり、そのままぎゅっとカリーナごと腕の中に包み込む。
 それで一層、カリーナはほわわんと幸せそうに頬をゆるめる。
 この腕の中が、いちばん好きだというように。
 思いは決して伝えられないけれど、時折、こうして、どさくさ紛れにカイはカリーナを甘やかす。
 それが、カリーナにとって、どれほど嬉しくて幸せなことか……。
 カイはきっと、わがままな姫のわがままにつき合っているという意識しかないだろうけれど、カリーナにとってはとても幸せな時間。
 それはやっぱり、欺瞞、誤魔化しにしかならないだろうけれど、それでもこれ以上望むことができないなら、与えられたこの時間を精一杯楽しもう。
 この際、贅沢など言っていられない。
 ここまできたら、欺瞞でも何でもかまわない。
 とにかく、こうしてカイとともにいられるのならば、カリーナは何だってかまわない。
 今はこれくらいで我慢しておいてやる。
「やはり、わたしは見る目があるな」
 カリーナは得意げにほくそ笑む。
「あれ? 見る目がなかったのではないのですか?」
 それに気づき、カイがからかいがちにカリーナの顔をのぞき込む。
 するとカリーナは、さらに得意げににやりと笑った。
「ああ、見る目がないという意味で見る目がある。第一印象通り、カイはへたれだったからな」
「まったく、姫は……」
 カイは非難するように眉尻を下げ、けれど優しい眼差しをカリーナへ注ぐ。
 カリーナはカイの腕にこてんと頭を預け、その身をゆだねていく。
 ここが、カリーナがいちばん安らげて、そして大好きな場所。
 窓の外では、緑色をした西の地平線に、真っ赤な太陽が今沈んでいく。


 夕間暮れ。
 緑の大地が真っ赤に染まり、そして薄闇に支配される頃。
 東の空から上ってきた月の光が、真っ白い回廊をどことなく艶かしく浮き上がらせる。
 柱にそっと手を触れ、ファセランが昇ったばかりの月を眺めている。
 そのようなファセランに、ふと声がかかった。
「あ、ファセラン、ちょうどいいところにいた」
 相変わらずの得意げな笑みを浮かべ、カリーナがとてとてとファセランに歩み寄る。
 カリーナのすぐ後ろには、胡散臭い笑みを浮かべるルーディ。
 月からすっと視線を戻し、ファセランはふわり微笑む。
「カリーナ?」
「これから夕食だぞ」
 カリーナはずんずんファセランに歩み寄り、その腕をぐいっと抱き寄せた。
 ファセランは困ったように眉尻を下げ、目を細め、カリーナを見つめる。
「ああ、だから、これから食堂へ行こうと……」
「馬鹿か、お前は。あんな親父とともに食事などしてはまずくなる。来い、こっちだ。エメラブルーでは、この季節のこの時間の頃は、露台がいちばん気持ちがいいんだ。一緒に夕食をとるぞ」
 カリーナはファセランの腕を両手でつかみ、ぐいぐい引っ張って行く。
 さあと、少し冷たい、けれど清々しい風が、カリーナの髪をほのかに揺らしていく。
 月光に照らされ、その黒髪は妙に艶やかに輝いている。
 ファセランの目の前を、さらさらと黒髪が流れていく。
「え? ちょっと、いいのかい? カリーナ」
「いいんだ。あんな親父など、無視だ、無視。何かお前に嫌味を言ってきたら、わたしに強制連行されたと言っておけ。そうすれば、それ以上は何も言ってこない」
 くるんと振り返り、カリーナはファセランにいたずらっぽく不敵に笑ってみせる。
 そして、あはははと、悪役顔負けの悪い笑いを披露する。
 ファセランは思わず肩をすくめてしまった。
「まったくあなたは……。本当にはちゃめちゃだね」
「それは、もちろん誉めているんだよな?」
 くすくす笑うファセランを、カリーナはじろりとにらみつける。
 笑いをぴたりととめ、ファセランはにっこりと笑顔を作った。
 そして、けろりと言う。
「もちろん」
「そうか、ならばいい」
 こくりとうなずくと、カリーナは満足げににやりと笑った。
 それからファセランの腕を引き、またずんずん歩き出す。
 その後を呆れたようにルーディがついて行く。
 カリーナが本性をばらし、ファセランが訪問の目的を暴露したあの時から、二人の間には、妙な連帯感というか親近感がわいているらしい。
 二人はすっかり、旧来の友のように見える。……しかも、たちが悪い悪友に。


 さらさらと涼やかな夜風が吹き込むその露台に、むっつり目をすわらせたカイがいる。
 ここへやって来た時から、もの言いたげにじいとカリーナを見つめている。
 庭に面したこの露台は、カリーナのお気に入り。
 だから、そこに足を踏み入れる人間も、自然限られてくる。
 下手にカリーナと鉢合わせて、八つ当たられたり、いじめられたり、からかわれたりしないように、城に仕える者たちは可能な限り近づかない。
 同時に、気に入らない者がここに立ち入ろうものなら、お姫様は容赦なく叩きつぶす。
 そのはずなのに、どうしてここに、この男――バーチェスの王子の姿があるのだろう!?
 まったくもって、カイには理解不能。この上なく不愉快。
「……何だ、カイ。その不満そうな顔は」
 ルーディがひいた椅子にどかっと腰かけ、カリーナは目の前でふるふる震えるカイをじとりとにらみつける。
 このわたしに文句があるのか?と、その体いっぱいを使って不満を隠すことのないカイに圧力をかけている。
 いつものカイならば、ここで大人しく口をつぐむところだけれど、今回ばかりはそうはいかない。
 だって、だって、よりにもよって……。
「不満に決まっているじゃないですか。どうしてここに、ファセラン王子が……!?」
「わたしが誘った」
「姫ーっ!?」
 カリーナはふんぞり返りけろりと言い切る。
 瞬間、ばんと円卓を乱暴に叩き、カイはカリーナへ身を乗り出す。
 その目が、信じられないと、衝撃を受けたと、見開かれている。カイの顔から血の気が失せた。
 これでは、カリーナのカイへの裏切りではないか。
 昨夜、カリーナはたしかにカイに約束をしたはず。ファセランをさっさとふって、追い返すと。
 本当に、なんという裏切り行為だろう。
 ……いや、よくよく考えれば、カリーナはカイの意思をたしかめただけで、約束したわけでは……。
 でも、カリーナなら、カイの思いをくんでくれると、カイはそう思っていた。信じて疑わなかった。それなのに……。
 カイは悲しそうにカリーナを見つめる。
 けれどカリーナは、相変わらずのふてぶてしい態度で、どっかりと椅子にもたれかかっている。
「いいだろう。あんな小言乱れうちの親父と食事などしたら、夕食をおいしく食べられなくなるからな」
「姫、あなたはまたそのようなことを……」
 カリーナの裏切り――あくまで、カイ曰く――のことなどさっくり忘れ、カイはがっくり肩を落とす。
 カリーナのとんでも発言の前では、それすらもどうでもよくなってしまうらしい。
 カイはへちょりとテーブルに頭をつけ、そこから疲れたようにカリーナを見つめる。
 そのカイの額を、カリーナは嬉しそうに、ぺちんと軽く叩く。
「それに、大丈夫だ、案ずるな、カイ。ファセランはそういう男じゃない。友達になったんだ」
 ぺちんと額に触れたままのカリーナの手を振り払うように、カイはがばりと上体を起こす。
 そして、目を見開きカリーナを見つめる。
 その額から、たらりと嫌な汗が流れ落ちる。
 よりにもよって、追い返さないばかりか、友達になったなどと――。
 なんということだろう。


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update:11/02/19