姫君と果てない野望(18)
カリーナ姫の野望

 城からの一本道を下ると、その裾野に広がる活気あふれる街がある。
 そこは、エメラブルーの王都、王のお膝元。
 こっそりと、けれど大手を振って城を抜け出し、カリーナはしばしば街を訪れる。
 もちろん、城の者たちもカリーナの逃亡に気づいているけれど、とめる者は誰もいない。
 下手にとめようものならどうなるか、嫌というほどわかっているから。
 さすがに、カリーナ単独での脱獄となると、皆死に物狂いで阻止するところだけれど、供を連れている場合は、あえて見ないふり。気づかないふり。自分たちのために。
 今回の生贄は、いつものことながら、カリーナ付きの護衛官カイというところだろう。ならば、なおさら案ずる必要も、とめる必要もない。
 城から駆けるように丘を下り、そして街にたどり着いた。
 それから、見慣れた街並みを楽しみながら、カリーナはまっすぐにそこへやって来た。
 街の中心に位置する、この国を建国した王の像を戴く噴水。
 別に、王の像を気に入っているというわけではない。
 カリーナが気に入っているのは、この飛び散るきらきらとした水しぶき。それを眺めるのが、とっても大好き。
 王宮の庭にも噴水くらいあるけれど、それとこれとはまったく違う。
 やたらかしこまった王宮で眺めても、こんなにうきうきした気持ちにはならない。
 やはり、人々の声を直接感じるここだからこそ、なんだか嬉しい気持ちになれるのだろう。
 もちろん、気に入っているいちばんの理由は他にある。
 ここは、はじめてカイと会った場所。
 カリーナは噴水の広場に足を踏み入れると、この国では一般的なお菓子を売る移動式陳列台(ワゴン)を指差した。
「カイ、あれが食べたい」
 移動式陳列台からは、めまいがしそうなほど甘い香りが漂っている。
 カリカリに焼いた筒状の生地の中に、果物やクリーム、はちみつやらをやっぷりつめた、若い女性に人気のお菓子。
 カリーナも例にもれず、自由に中味を選べるそのお菓子がとっても大好き。
 あまったるい香りを発する移動式陳列台に、カイはちらりと視線を移す。
「あー、もうはいはい。あまり甘いものばかり食べていると、太りますよ」
「その時は、カイをいじめて減量するからかまわん」
「もう、姫は……」
 げんなり肩を落とし、けれど従順に「それじゃあ、ここで大人しく待っていてくださいよ。絶対に大人しくしているのですよ」と言い置いて、カイはお菓子を売る移動式陳列台へ駆けていく。
 カリーナはその背を見送りながら、ぽんと噴水端に腰を下ろす。
 ぴちゃんと、水しぶきがカリーナの頬を濡らす。
 ひんやりとして、ちょっぴり気持ちがいい。
 注文をし、移動式陳列台の主と楽しげに二言三言言葉をかわすカイの背を、カリーナは愛しそうに見つめる。
 こうしてずっとずっと、カイの後ろ姿を見ていたい。
 このおだやかで優しい時間が、ずっと続けばいいのに。
 カイがいるそこだけが、この世界から切り離されたように、カリーナの目にはきらきら輝いて見える。
 この世でいちばん優しく愛しい空間に、カリーナには思える。
 それ≠ヘ決して手に入れられないとわかっているから、だからこそ、こうして眺めている。
 手に入れられなくてもかまわないから、せめて、その場所が、カイの隣の特等席が、誰のものにもならないようにと祈る。
 カリーナのものにならなくていい。けれど、絶対に誰かのものにはさせない。誰にも渡さない。……今は。
 じいとにらむように見つめるカリーナへくるりと振り返り、手に菓子を持って、カイが駆け寄る。
 他の誰でもない、ただカリーナだけを見つめ、目指して駆け寄るカイに、カリーナの胸が幸せに満たされる。ほっこりとあたたかい。
 たとえ主従関係だけで成り立っているそれだとしても、胸にじんと染みるあたたかさは誤魔化せない。否定できない。
 今は、これで我慢しておく。
「お待たせしました」
 はあと軽く息を切らせ、カイがカリーナのもとにやって来た。
 同時に、カリーナに菓子を差し出す。
 生地の中味の好みなどカリーナに聞かなくたって、カイは全部知っている。
 差し出したその取り合わせも、もちろんカリーナ好み。
 たっぷりのクリームに、桃といちごとほろ苦い柑橘系の果物。
 そこに嬉しさを感じながらも、カリーナは偉そうにふんぞり返り、カイの手から奪い取るように受け取る。
「おう。大儀であった」
「あのね、姫……」
 カイの肩が、がっくり落ちる。
 そのねぎらい方はないだろう、そのねぎらい方は。
 どこのおやじかと、カイはとっても言いたいのだろう。
 カリーナはほにゃっと顔をくずし、菓子をぱくりと一口食べる。
 ほわわーと、ますますカリーナの頬がゆるむ。
 口の中いっぱいに広がる甘さがたまらない。
 時につんとくるほろ苦さが、さらにたまらない。
 うなだれるカイに、カリーナは楽しげにくすくす笑っている。
 しかし、カリーナのその様子は、カイの目には、カイいじめを楽しんでいるのか、甘いお菓子にほころんでいるのか、いまいち微妙に映っていた。
 ……いや、もしかしなくても、どちらにもカリーナは喜んでいるのだろうか。
 どこか困ったように、カイはカリーナを見つめる。
「まったく、姫は……」
 そう言って、カイの手がカリーナの鼻の頭に触れた。
 カリーナはぴたりと食べる手をとめ、ぎょっとカイを見つめる。
 するとカイは、カリーナに触れた手を戻していき、ぺろりとそこをなめた。
 そして、「甘い……」と不服そうにつぶやいて、しかめっ面をする。
 カリーナの頬が一気に上気した。
 それから、ぷいっと顔をそむけ、何かを必死に誤魔化すように、がむしゃらに菓子をほおばる。
 カイってば、カリーナの鼻の頭についたクリームを、なめた……?
 そう改めて気づくと、今度はぼんと噴火する。
 その時だった。
「ああー! ひっどーい。わたしの分まで食べたー!」
「いいだろう、少しくらい」
 そう叫ぶ女の声と冷静に言い返す男の声が、カリーナの耳に聞こえてきた。
 思わず視線を移すと、すぐそこで、恋人の菓子をその手から一口食べる男と、それにぷうと頬をふくらませる女の姿が目に入った。
 年の頃は、ちょうど、カリーナとカイと同じくらい。
 攻防戦をしていたかと思うと、二人はぱちりと視線を合わせ、こくりとうなずくと、互いの手から、それぞれぱくりとお菓子を食べ合った。
 それから、二人幸せそうに微笑み合う。
 カリーナは思わず、それに見入ってしまっていた。
 胸の内を冷たい風がすうと通り抜けていく。
 同じような二人なのに、どうしてこんなにも違いがあるのだろうか。
 それは、カリーナには、カイには、決して望めないこと。今、この場では。
 あたたかな陽だまりの中、カリーナだって、誰に遠慮することなく、そのように堂々と――。
 菓子を持つカリーナの手から、すっと力が抜ける。
「姫、落ちますよ? ……姫?」
 慌ててそれを支え、けれど無反応なカリーナに、カイは不思議そうに顔をのぞき込む。
 菓子とともに、カイの手は優しくカリーナの手を包んでいる。
 ふとカリーナの視線の先へカイが目線を移すと、そこには仲睦まじい恋人たちの姿があった。
 カリーナはそれをじっと見つめている。
 どこか淋しそうに、そしてうらやましそうに。
 カイは苦しそうに顔をゆがめ、けれどすぐに困ったように息を吐き出した。
 ぽんと、カリーナの頭をなでる。
「姫、早く食べないと、鳥に横取りされますよ」
「え? あ、ああ、そうだな」
 あえておどけてカイが言った。
 するとカリーナは、じっとカイを見つめ、どこか覇気なくつぶやくように答えた。
 それからまた、視線を恋人たちへ向けていく。
 カイはやはり困ったように微苦笑を浮かべる。
 カイもまた、横目で、すぐ横できゃあきゃあ騒ぎ、やっぱり互いの菓子を食べ合う恋人たちをちらりと見る。
 カイの顔も、カリーナのそれと同じに、苦しげにゆがむ。
 その姿はまるで、どんなに願っても望むものは手に入らないと諦めているようにすら見える。
 食べかけの菓子を、カリーナがちびりとかじった。


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update:11/03/13