姫君と果てない野望(21)
カリーナ姫の野望

 天蓋から垂れる更紗の布の向こうに、人影が二つ見える。
 一つは寝台に深く腰をかけ、一つはそれを労わるように見つめている。
「どうです? 大分落ち着きましたか?」
 くしゃりとカリーナの髪をなで、カイは優しい眼差しをカリーナに注ぐ。
 ちらりとカイを見た後、カリーナはこくりとうなずき、ばつが悪そうに、不満そうにうなずいた。
 カイは目を細め、くすりと小さく笑いをもらす。
 そして、もう一度カリーナの髪をすくようになで、すっと更紗に触れる。
「では、わたしはこれで失礼しま――」
 そう言って、そこから立ち去ろうとして、カイは言葉も動きもぴたりと止めた。
 ゆっくり目を見開き、それから苦しそうにきゅっと顔をゆがめる。
「……姫?」
 見ると、カリーナが、カイの制服の裾をきゅっと握っていた。
 うるんだような瞳で、じっとカイを見つめている。
 一瞬、ぐらりと、カイの体がゆれる。
 けれどすぐにきっと顔をひきしめ、カリーナにお叱りを受けない程度に厳しい眼差しを送る。
 しかし、言葉を告げるその声は、どこまでも優しい。
「……姫、放してください。そうでないと、わたしは自室へ戻れません」
 カイが諭すようにそう言うと、カリーナはふるふる首を振り拒否の意を示す。
 じいっとカイを見つめる。
 また、カイの体が大きく揺れる。
 カイは更紗に触れる手を放し、制服の裾を握るカリーナの手にそっと重ねる。
 それから、寝台に腰かけるカリーナの目線にあわせるように、腰を落としていく。
「どうしたのですか? いつになく甘えん坊ですね」
 カイはわざと困ったふりをしてみせる。
 ゆらりと、カリーナの目がゆらめいた。
「……カイ。カイ……っ」
 そうかと思うと、しぼり出すようにそうつぶやき、カリーナの目からぽろぽろ涙がこぼれ出す。
 カイはぎょっと目を見開く。
 どうやら、これまでのむっつりは、それを必死にこらえていたためだったのだろう。誤魔化していたのだろう。
 思わずカリーナをそのまま抱きしめそうになったけれど、カイはすんでのところでこらえた。
 辛そうに、カイの顔がゆがむ。
 けれどすぐに、ふっと力を抜き、ほうとひとつ息を吐き出す。
 ぽんと、カリーナの頭をなでる。
 その手を握るように、カリーナが手を重ねる。
「行くな」
「姫……」
 カリーナの手に、さらに力がこもる。
 この手を放しては絶対にだめと、最後の望みをこめたようにすがりつく。
 かくんとカイの膝がおれ、毛足の長い絨毯を敷いた床につく。
 カリーナの視線とカイの視線が、同じ高さで絡み合う。
「どうしたのですか?」
「何でもない」
「何でもないわけがないでしょう。こんなふうに泣いたりなどして……」
 カイは、カリーナに握られていないもう一方の手で、その頬をきゅっとぬぐう。
 触れたカリーナの頬は、妙に熱を帯びていた。
 カイの顔が苦しそうにゆがむ。
「泣いてなどいない。ただ、目から汗が出ているだけだ」
「まったく、あなたという人は」
 ――強がってばかりいるのだから。
 それは、決して口に出すことはないけれど。
 出してしまえば、この天邪鬼姫のこと、余計に強がるから。
 天邪鬼な姫君が、素直に珍しく本当の思いを言っているということは、きっと相当のことだろう。強がることさえ、ままならない程度に。
 とりわけ、この姫君は、人に弱みを見せることを、この上なく嫌う。
 それでも、カイにはこうして、時々本当の思いをぶちまけることもある。
 素直になる時ですら、その不遜な態度は崩れることはないけれど。
 呆れるほどの、それゆえに危ういその誇りを、カイは守ってあげたいと思う。その必死さが、愛しいと感じてしまう。
 何より、カイの前でだけ、あの恐怖のお姫様が素直になるというのだから、これほど喜ばしいことはないだろう。優越感を覚えることはないだろう。
 同時に、カイに快感をもたらす。
「とにかく、行くな。今はここにいろ」
 嬉しさをかみ殺し、眉尻を下げ、困ったように微笑むカイを、カリーナは威圧するように見つめる。
「そうは言っても、このように夜遅くに、姫の部屋にいることなど……」
「行くなと言っている」
 カイの手を握る手をするっとずらし、カリーナは一気にその腕をぎゅうと抱きしめる。
 今度は、いまいましげにカイをにらみつける。
 わたしの命令がきけぬというのか、とでも言いたげに。
 カイは微苦笑をもらし、肩をすくめた。
「姫、あのですね……」
 カイははあとため息をもらし、呆れたように視線をそらす。
 胸はこんなに喜びを覚えているのに、態度は突き放すようにしなければならないこの矛盾が、カイにはたまらなく辛く感じる。
 カイの腕を握るカリーナの手に、いっそう力がこもり、ぐいっと引き寄せる。
「頼む、行かないでくれ。カイ」
「姫……っ」
 すがるように見つめるカリーナに、カイは苦しそうにぎゅっと目をつむる。
 しかし、次の瞬間にはばっと目を開き、そのままがばりとカリーナを抱きしめていた。
 カリーナの髪に、耳に、カイの熱い吐息がかかる。
 カイもまた、すがるように、求めるようにカリーナを抱いている。
 昼間見たあの幸せそうな恋人たちの姿が、カリーナの頭からどうしてもはなれてくれない。
 あのようなこと、カリーナには、頑張っても一生望めない。
 カリーナには、とてもうらやましく思えた。
 同時に、どうしようもない苦しみに襲われた。
 カリーナが王女などではなく、カイが護衛官などではなく、普通の少女と青年として出会っていれば、あれもかなわぬ夢などではないだろうに。
 あの恋人たちのために、改めて、カイは決して手に入れられない存在だとカリーナは気づかされた。こんなにも思っているのに、手に入れられないと。
 けれど、それくらいで諦めるようなカリーナではない。
 手に入れられないのならば、それはそれで、別の方法を考える。強引におしすすめる。どのようなかたちでもいいから、カイが手に入るような手段を。
 出会った時、どうにかしてカイを引き止めたくて、カリーナはああ言っていた。今では、それを悔いて仕方がない。
 この現実は、カリーナ自らが引き起こしてしまっている。
 けれど、あの時は、ああすることしかできなかった。
 だからきっと、間違いではなかったのだろう。
 今こうして側にカイがいるのだから、間違いなどであるはずがない。――しかし、それでも……。
 あの日、軟派をした日から、カリーナはずっとカイを思っている。
 あれは、いわゆる一目ぼれというものだったのかもしれない。
 だから、得体の知れない男を、護衛官に……などと、カリーナでさえも非常識だと思うことを、あんなに強引にすすめたのだろう。
 今では、そう思える。
 ごろつきどもを追い払うその姿は、まるで剣舞でも見ているかのように、華麗で妖艶だった。
 一人の男としてカイを手に入れられないのなら、せめて護衛官としてカリーナに一生しばりつけておこう。
 護衛官として優しくカリーナを包み込むこの腕だけは、決して失いたくない。誰にも渡したくない。
 これだけは、ゆずれない。何があろうと。
 手に入らないのならば、どんなに傲慢に思えたって、わがままに見えたって、こうしてずっとずっと、カイを困らせ、カリーナの側にしばりつける。
 決して手に入れられない、いちばん欲しい人。


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update:11/04/02