姫君と果てない野望(23)
カリーナ姫の野望

 カリーナとの会話を楽しんでいるふうにすら見えるカイを横目でじとりと見つめ、ファセランがぼそりつぶやいた。
「……へえ、そのわりにはぴんぴんしているね、君」
 ファセランがずるずるずるーとわざと音を立て、お茶をすする。見透かしたように、カイをちらりと見る。
 けれど、決してその目を合わそうとはしない。
 たしかに、鞭で百回も打たれたわりに、カイには痛がる様子がない。
 動きもさっぱりぎこちなさがない。
 普通ならば、少しでも動けば、その肉にくいこむようについた傷が痛むだろうに。疼くだろうに。
「な……っ!?」
 ぎょっと目を見開き、カイはファセランを見つめる。
 無理もない。事実、カイは一度も鞭で打たれてなどいないのだから。
 だから、傷が痛むわけも、疼くわけもない。
 ぴんぴんしていて当たり前。
 精神的には、どっぷり疲れ果てていようとも。
 やはり、見透かしたように、ファセランはすっと視線をそらす。
 そしてまた、お茶を一口口にふくむ。
 今度は、ずるずるーなどと下品な音は立てず、あてつけるように優雅に。
「まあ、いいけれどね。わたしには関係がないから」
 どこかすねたふうなファセランのその口調に、カリーナはくすりと楽しげに笑いをもらす。
「ファセラン、カイは黒光りするあの嫌われもの並みにしぶといのだ、そう簡単にへこたれたりはしない。普段から、わたしが虐げ……鍛えているからな」
 ずいっとファセランに身を寄せ、カリーナはえっへんと得意げに胸をはる。
 どうやら、普段、カイを虐げているという自覚はあるらしい。
 ありながら、さらにいじめるのだから、本当にもう、この姫君はたちが悪い。
「ほう。それはそれは……」
 カリーナのその言葉に、ファセランは興を覚えたように、にやりと微笑を浮かべる。
 それから、意味深長に、ちらりとカイへ視線を流した。
 カイはびくんと体を震わせる。
 得体の知れない悪寒に襲われる。
 その時だった。池の向こう側から、ルーディがカリーナへ声をかけてきた。
 片手をふり、もう一方では籠をかかげている。
 そういえば、ルーディは先程、ご機嫌ななめのカリーナのご機嫌をとるために、カリーナが大好きなお菓子を持ってくると、一時二人の前を去ったような記憶がある。
 ということは、ルーディが持つその籠の中には、カリーナが大好きな焼き菓子が入っているのだろう。外はかりかり、中はさくっと、心地よい歯ざわりの、あの甘いお菓子が。
 そう判断した瞬間、カリーナは目を輝かせ、カイもファセランもさらっと捨てて駆け出していた。
「ちょっと行ってくるな!」
 そう叫びながら。
「え!? ちょ……っ、ひ、姫!?」
 カイが慌ててそう叫ぶ。
 別に、カリーナ自ら駆けていかなくても、待っていればすぐにルーディが持ってくるだろうに。
 本当に、あの姫君は、行動力があるというか、王女の自覚が皆無というか。
 けれど、そのようなはちゃめちゃなところがかわいいとカイは思ってしまうのだから、もう仕方がない。
 愛しそうに、そして見守るように、駆けるカリーナの後ろ姿を見つめる。
 まるで恋人を見守るように目を細めるカイに気づき、ファセランは肩をすくめる。
 なんだかもう、やっていられない、と――。
「……くすくす。さすがと言うべきかな? なんて素直な姫君なのだろうね?」
 意地悪く小さく笑い、ファセランはカイにそう声をかける。
 すると、カイはゆっくりとファセランに顔を向け、訝しげに見る。
 ぴたりと二人の視線が合うと、ファセランはすっと笑いをやめ、するどい眼差しをカイへ向けた。
 それから、見下すように目を細める。
「……カイ、といったかな? ――ねえ、君。君はカリーナの何?」
「はい?」
 いきなりのその問いかけに、カイは不審げに首をかしげる。
 たたみかけるように、ファセランは問いを繰り返す。
「何と聞いているのだよ」
 その威圧的なファセランの態度にむっとしながらも、カイは平静を装う。
 けれど、その目はどこか厳しくファセランを見ている。
「何と言われましても……。わたしは、姫の護衛官ですが? それが何か?」
「へえ、護衛官ねえ。それじゃあ、君、僭越だよ。でしゃばりすぎだよ」
「な……っ!?」
 カイを見るファセランの目が、厳しさを増す。
 組む足を、すっと組みかえる。
「護衛官のくせに、王族であるカリーナに馴れ馴れしすぎるのだよねえ」
「な、馴れ馴れしいのは、あなたではありませんか! 出会ってまだ数日しかたっていないのに、ひ、姫を呼び捨てにするなど……!」
 かっと顔を真っ赤にし、カイはファセランへ迫る。
 握る右の拳が、ぶるぶる震える。
 どうにかぎりぎりの理性で、この腹立たしい王子に殴りかからずにいられるというように。
 ここで衝動に負け殴ってしまっては、ますますこの王子の思う壺ということを、カイは感情とは別の頭のどこかで理解している。
 だから、殴らずにいられるのだろう。この場で殴り倒してやりたいほどの憤りを覚えているのに。
 カイにはどんなに望んでも、決してかなわぬ、それ。カリーナをカリーナ≠ニ呼ぶそれ――。
 がりっと、かみ締める奥歯が鳴る。
「ああ、それが君の本音? ふーん」
 にやにやと意地が悪い笑みを浮かべ、ファセランはくくっと笑いをかみ殺す。
 カイの頬が、ぴくりとひきつる。
「な、何ですか?」
「己の分をわきまえたまえ」
 びくんと体をゆらし、目を見開き、カイは思わず一歩後退していた。
 それをもちろん見逃してなどおらず、ファセランは勝ち誇ったように、そしてカイを馬鹿にするように言い放つ。
「だからね、君、邪魔なの。わたしがカリーナを口説こうとしているのだから、邪魔しないでくれないかな? 君にもわかるだろう? わたしとカリーナが上手くいけば、この国にどれほどの益がもたらされるか」
 かちゃりと茶碗を持ち上げ、ファセランはにっこり微笑む。
 そして、口をつけずに、受け皿の上に戻す。
「な……っ。そ、そんなことのために、姫を犠牲になどさせられません!」
「それこそ、君、僭越だよ。たかが護衛官如きが。それに、犠牲などとは心外だね」
 にやりと笑い、ファセランはすっと立ち上がる。
 そして、挑発するような視線を向け、カイのすぐ横をすっと通る。
 あはははと勝ち誇ったように笑いながら、ファセランは去っていく。
 お菓子へ向けて突進していったカリーナの後を追うように。
 カイは、背にそのようないらだたしいファセランを感じながら、ただそこにじっと立っていることしかできなかった。
 悔しそうに唇を噛み、血がにじまんばかりに強く手を握りしめる。
 その体全部が、ふるふる震えている。
 腹立たしいくらいに青く晴れ渡った空の向こうに、小さな黒い影が見える。
 それは、カイ目指して跳んでくるように、次第に大きくなる。
 そして、ばさりと大きな羽音をさせ、武具で守られたカイの肩に優雅にとまった。
「ご苦労様、シルフィ」
 カイは、肩にとまる鳥――隼の頭をぐりっとなでる。
 するとシルフィは、その青灰色の体をゆらし、キーと甘えるように鳴く。
 カイはシルフィの足にくくりつけられた小さな筒から、巻かれた紙を取り出した。
 そして、くるくると広げていき、そこに視線を落とす。
 シルフィは、書簡を真剣に読むカイの頬に、自らの体をすりっとすり寄せる。


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update:11/04/18