姫君と果てない野望(24)
カリーナ姫の野望

「ファセラン? あれ? 一人か?」
 ルーディから籠を奪い取り、追い払って戻ってきたカリーナと、ファセランがばったりと会った。
 ちょうど、池を半分ほどまわった辺りで、東屋からは少しばかり離れている。
「ああ、使いがやって来てね、君の護衛官は呼び出されていったよ」
 にっこり微笑み、ファセランはさわやかにほらを吹く。
 本当は、カリーナのお気に入りの護衛官をいたぶるだけいたぶって、さっさと放置してきた。
 まあ、しかし、これからまた東屋に戻ろうとも、そこには護衛官の姿はないだろう。
 あれだけいじめたのだから、すごすごとどこかへ逃げ出しているに違いない。
 むしろ、あのままあそこにとどまる方が、その神経を疑う。
「あー、また護衛官長かな? ……あれか、もしくはあれがばれたんだな、きっと」
 何の疑いもなくすんなりファセランの言葉を信じ、カリーナは一人うんうんとうなずき、納得する。
「護衛官長? ばれた?」
 ファセランは不思議そうに首をかしげる。
「ああ、わたしがいたずらをすると、カイが必ずお説教をされて、始末書を書かされるんだ」
「それは愉快だね」
 きっぱりと得意げに語るカリーナに、ファセランはにっこり微笑む。
 するとカリーナは、嬉しそうにファセランの顔をのぞき込んだ。
「ファセランもそう思うか?」
「ええ、とっても」
 ファセランがこくんとうなずくと、カリーナはぱっと顔をはなやがせ、楽しそうにけらけら笑い出した。
 けらけら笑っているはずなのに、そこには妙な艶かしさまである。
 それは、きっと、カリーナが笑うその理由に、とっても関係しているのだろう。
 どこか切なそうに、けれど見守るように、ファセランはすっと目を細める。
「ねえ、カリーナ。君は、あの護衛官が好きなのだね?」
 カリーナの笑いがある程度おさまった頃合をみて、ファセランがおもむろに、ささやくようにそう問いかけた。
「……なっ!?」
 瞬間、カリーナの顔は、ぼんと真っ赤に染まる。
 おろおろと、その目が忙しなく動く。
 ファセランは微苦笑を浮かべ、肩をすくめた。
 すっと目を閉じ、そしてまた、何かを決意したようにすっと開く。
 まっすぐにカリーナを見つめる。
「大丈夫、はじめからわかっていたから」
「は、はじめから……!?」
 カリーナの体がびくりと震え、不安げにファセランを見つめる。
 落ち着きなく、その体がおろおろと揺れている。
 すっと、カリーナの頬に、ファセランの手がそえられる。
 びくんと、カリーナの体がはねた。
 ぎょっと目を見開き、ファセランを見つめる。
 けれどすぐに、カリーナは切なそうにその目をゆらめかせた。
 見つめたファセランもまた、切なそうにカリーナを見つめていた。
「それじゃあ、辛いね」
「ファセラン……」
 カリーナの頬から、ゆっくりとファセランの手が放されていく。
 カリーナは、ただただ、ファセランを見つめることしかできなかった。
 それは、なんと見事に、カリーナの思いを言い当てる言葉なのだろうか。
 ファセランの視線が、カリーナからすっとそらされた。
「手に入れてしまうと、同時に相手を永遠に失うことになる。――とりわけ女性の王族に護衛官が手を出すと、謀反の疑いすらかけられ、極刑は免れないと聞くからね。この国では」
「……くっ」
 カリーナはきゅっと唇をかむ。
 うつむき、握り締める両手をふるふる震わせる。何かを耐えるように。
 いや、何かなどでなく、この場合、わかりきっている。カリーナが耐えようとしていることなど。
 ふわりと、ファセランの優しい眼差しがカリーナに注がれる。
「うん、カリーナは偉いよ。彼を懸命に守っているのだから。自分の思いを犠牲にして」
 瞬間、カリーナの顔が苦痛にゆがんだ。胸の前で、両手をぎゅっと握り締める。
 その手はやはり、ふるふると小刻みに震えている。
 すがるように、カリーナはファセランを見つめる。
「ファセラン、でもわたしは、いつ暴走してしまうかと、常に不安でたまらないんだ。わたしは……わたしは、自分がいちばん信用できない」
「……うん」
 ファセランは、ただカリーナの吐き出したいそれを受け入れるように、それだけをつぶやき、うなずく。
 カリーナが今何をいちばん求めているのか、ファセランは何だかわかったような気がした。
 この姫君がファセランにいちばん願っていることは、その胸に抱える苦しみ、辛さを、吐露することだろう。
 それ以外は何も望んではいない。誰かに胸の内を吐き出したいだけ。
 ファセランにはそれがわかってしまうから、ただこうして、カリーナの言葉を聞いている。
 カリーナはちらりとファセランを見て、困ったように微笑を浮かべた。
 ……不思議。カリーナは何故だか、ファセランには素直に抱える思いを言ってしまえる。
 それは、もしかして、ファセランが、カリーナと同じような思いを抱いているからなのだろうか?
 理由は違えど、決して手に入れられない相手を思っている、その同じ思い……。
 だからファセランには、カリーナは弱い部分までさらけだしてしまえるのだろうか。
 カリーナの弱い部分ももろい部分もすべてをさらけだしたい本当の相手には、絶対にできないことだから。
 そのようなことをしては、守れなくなる。
 いちばん大切にしたい人は、同時に、カリーナの全てを受け入れ、そして癒そうとしてくれるだろう。それが、わかるから。
 カイは、そういう愚かなほどに優しい人。
 だから、決してできない。カイを守るために。
 はっと何かに気づき、カリーナは急に、得意げな笑みを浮かべた。
 けれど、そこには自嘲するような陰りもある。
「せめて、あいつも同じ思いをわたしに抱いてくれていたならば、簡単なのだけれどな。そのままかっさらって、とんずらする。まあ、いざとなれば、あいつがどんなに嫌がろうが、かっさらうけれどな。愛の逃避行というものだな」
「くすっ。まったく、カリーナは。正攻法はなしかい。でも、そうか。そうだね……」
 ファセランはそう言うと、考え込むようにぴたりと動きをとめた。
 別に逃避行などせずとも、正々堂々と二人が結ばれる方法はある。
 外堀からかためていって、そして正式に王女の相手として認めさせればいいこと。
 多少の身分差など、どうとでもなる。護衛官という時点で、この国では選ばれ優れた立場にあるのだから。その地位も、決して低くはない。
 たとえ護衛官であろうと、後ろ盾さえしっかりあれば、王女の伴侶も不可能ではない。
 この国には、すでに王位継承権を持つ第一王子が、カリーナの兄がいるのだから、それはさらに容易なことになるだろう。
 ただそれは、とても時間がかかり、骨が折れるというだけ。
 だからカリーナは、手っ取り早い方法をとるというのだろう。
 なんてカリーナらしい考えなのか。
「ファセラン?」
 急に考え込んでしまったファセランを、カリーナは不思議そうに見る。
 ファセランは、「ああ、何でもないよ」とにっこり笑った。
 ふっと、どこか困ったようにカリーナは笑う。
 そして、自らを奮い立たせるように、ぎゅっと両手を握る。にやりと、得意げな笑みを浮かべる。
「大丈夫だ、わたしは頑張れる。たとえ他の男のもとへ嫁がねばならなくなっても、あいつさえいてくれたら。あいつさえ幸せに笑ってくれていたら……。それが、わたしのいちばんの願いだから」
「本当に、君って女性(ひと)は……」
 ファセランはまぶしそうに目を細めカリーナを見つめると、そのままふわりと抱きしめた。
 いきなりのファセランの行動に、カリーナはくいっと首をかしげる。
 それから、自らを皮肉るような微笑を浮かべ、ファセランをついっと引き離す。
「それはそうと、ファセラン、このお菓子はおいしいぞ。わたしの好物のひとつだ。ルーディからかっぱらってきた。お前もどうだ?」
 カリーナはそう言うと、籠からがさごそとお菓子をひとつ取り出してきて、ぱくりと一口かじる。
 ほおばるカリーナの顔が、ほわりと幸せそうにとろけた。
 お菓子ひとつで顔をほころばせるカリーナを見て、ファセランは困ったように微笑む。
 それから、カリーナに手渡されるまま、そのお菓子を受け取ろうと手をのばす。
 けれど、途中でぴたりと手をとめた。
 ちょうど、視界の端に入れてしまったから。向こうの方の木の陰で、こちらをうかがう人影を。
 その人影の正体は誰なのか、ファセランはすぐにぴんときた。
 むしろ、この場合、あの男しかいないだろう。
 もぐもぐとお菓子を食べるカリーナに、ファセランはちょいっと手招きをする。
「カリーナ、ちょっと……」
 くいっと首をかしげつつも、カリーナは素直にファセランに近づく。
 同時に、ファセランは一気にカリーナを引き寄せた。
 カリーナが持っていた籠が、その手から抜け、ぱさりと地面に落ちる。
 ばさあと、籠の中のお菓子が散らばる。
「ちょ……っ。ファセラン、お菓子が――」
 そう抗議するカリーナとファセランの顔が急接近する。
 まっすぐに散らばったお菓子を見つめるカリーナの頬に、ファセランがちゅっと口づけた。
 そしてそのまま、驚き目を真丸く見開くカリーナの唇をも奪おうと、ゆっくりとそれが動いていく。


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update:11/04/25