姫君と果てない野望(25)
カリーナ姫の野望

 吐息と吐息が絡み合うほど近づいた時だった。
 カリーナの体が、勢いよくファセランから引き離された。
 同時に、ファセランの首には、ちゃきりと音を立て、銀に輝く剣がつきつけられていた。
 ごくりと、息をのむように、ファセランののどが動く。
「おー、怖い怖い。冗談が通じない護衛だね」
 そう言いながら、ファセランはゆっくりと剣を払いのけていく。
 ファセランの目の前には、腕にしっかりとカリーナを抱くカイが憤怒の形相で立っている。
 今にも射殺さんばかりに、ファセランをにらみつけている。
 ふうと、呆れたようにファセランが細い息を吐き出した。
 そして、カイにすっと寄り、その胸をどんと打つ。
 その勢いのまま、カイの腕からカリーナがよろけ出る。
 ファセランは、よろけ出たカリーナの腕をつかみ、もう一方で腰に手をやり、ぐいっと引き寄せる。
「まあ、あながち冗談でもないのだけれどね。まさしく今、求婚をしようとしていたところだから」
「え!?」
 けろりとファセランがそう言い切ると、胸の中と、そして目の前で、同時に驚きの声が上がった。
 それに気をよくしたように、ファセランはにやりと笑う。
「カリーナ、わたしは本気であなたが気に入ったのだよ。どうかな? 決して悪い話ではないと思うのだけれど」
「ファセラ――」
 そこまで言いかけたカリーナの唇にそっと人差し指を触れ、ファセランは目配せをする。
 するとカリーナは何かを悟ったように驚きに目を見開き、くすぐったそうに肩をすくめた。
 そして、カリーナにしては実に珍しいことに、そのままファセランの腕の中に大人しくおさまり続ける。
「な、何を馬鹿なことをおっしゃっているのですか! 姫があなたで納得するはずがありません。姫の野望は、世界中のいい男を全てとりまきにして、世界一の男の妃になることなのですよ!」
 ぐっと地に足をくい込ませるように力を入れその場に踏みとどまり、カイは必死に怒りをこらえるようにファセランをにらみつける。
 そのカイの様子に、ファセランはますます気をよくし、意地悪くにやりと笑う。
「おや、君はかわいいねえ。そのようなこと、本気で信じているのかな? まったく、女心というものをわかっていないね」
「な……っ!?」
 馬鹿にするように言い捨てるファセランに、カイは顔をかっと真っ赤に染めた。
 いまいましげに唇を噛む。
 そのようなこと、ファセランになど言われなくても、カイはもちろん知っている。
 知っていて、あえてそうだと思い込もうと、……思い込み、抱く思いを誤魔化そうとしている。
 ファセランが発したその言葉は、それを全て台無しにしてしまう。
 ぶるぶる震え、必死に怒りをこらえるカイを見て、ファセランは陰湿な笑みを浮かべる。
 馬鹿にするように、ちらりとカイを見やる。
「それに、たかが護衛官ごときの君はもちろんのこと、カリーナにも拒否権はないと思うのだけれどね? ――五年十年、いや、あるいは一年後かな? 果たして、この国が存在するかどうかは、わたしには保証できないのだけれどね?」
「卑怯者!」
「何とでもお言い。君がどれだけ吠えたところで、何も変わらない」
「そんなことはない!」
 ファセランの挑発に乗るように、カイは力いっぱい叫んだ。
 そして、ファセランの腕の中にいるカリーナへ、ざっと右手を差し出す。
「姫、こちらへ……!」
 カイはまっすぐにカリーナを見つめ、訴える。
 その手を取らないはずがないと信じているように、カイはカリーナだけを見つめる。
 カリーナはきゅっと唇を小さく噛み、苦しそうに顔をゆがめた。
「カ……イ……?」
 カリーナがぽつりつぶやく。
 そしてすぐにぷいっと顔をそらし、ファセランの胸にきゅっと押し当てた。
 カイは信じていたもの全てに裏切られたように、落胆に目を見開く。
 しかし、落胆しているように見えるけれど、やはりそれでもカリーナを信じて疑わないと、その目に澄んだ光を宿している。
 カリーナはそのカイの姿を目に入れないように、ますますぎゅっとファセランの胸に顔を押しつける。
 今カイを見てしまっては、全てが無駄になるとわかっているから。
 カイはふいっとカリーナから視線をそらし、苦しげに意を決したように吐き出した。
「……姫、もしあなたがそれを真に望むなら、わたしはとめません。あなたが幸せに笑っていてくれさえすれば、わたしはそれでかまいません」
 ファセランの胸からばっと顔をはなし、カリーナは目を見開きカイを見つめる。
 その目は驚きに満ち、まじまじとカイを見つめている。
 ふっとカイの表情がやわらぎ、愛しさを込めるように切なげにカリーナを見つめる。
 ゆっくりと静かに、ささやくように告げる。
「あなたが、わたしの全て。わたしの全ては、あなたのお望みのままに」
 その瞬間、カリーナはファセランの胸をどんと押し、そのままカイの胸に飛び込んでいた。
 どしんと勢いよくカリーナが飛び込み、カイの体がわずかに揺れる。
 けれど、しっかりと踏みとどまり、危なげなくカリーナを抱きとめる。
「カイ、カイ……っ」
 カイの胸にぎゅうと顔をおしあて、カリーナはくぐもった声で何度もカイの名を呼ぶ。
 すがるようにカイに抱きつく。
 その言葉は、ずっとカリーナがカイの口から聞きたかった言葉。
 その言葉さえあれば、カリーナはまだもう少し頑張ることができる。
「姫……」
 カイはカリーナの背にまわそうとした手をためらいがちにとめ、ぐっと苦しそうに顔をゆがめ、そのままだらりと両腕を落とした。
 今この場には、カリーナとカイの他に、もう一人、ファセランがいることにはっと気づいてしまったから。
 まさか、この場で、カリーナをそのまま抱きしめられるはずがない。
 カリーナはこのエメラブルーの王女で、カイはたんなるその護衛にすぎないのだから。
 どんなに思っても、望んでも、求めても、それは誤魔化しようのない事実。
 すがるカリーナとためらうカイを見て、ファセランは呆れたように目を細め、大きく息をはきだした。
 やれやれと肩をすくめる。
 そして、意地悪くにたりと笑みを浮かべる。カイにすっと身を寄せ、その耳に口を近づけぼそりささやいた。
「いいかい、カリーナを泣かせるんじゃないよ」
「……え?」
 いきなりのファセランの接近に、かみ殺さんばかりの勢いでにらみつけていたカイの顔が、ふと表情を失った。
 そして、目を見開き、ファセランを見つめる。
 ファセランはどこか困ったように微苦笑を浮かべ、ふいっとカイから視線をそらした。
 それから、半ば呆然とした様子のカリーナをカイの腕の中から奪い取る。
 そして、呆然としたようにファセランを見つめるカリーナの顔にすっと顔を寄せ、にこり微笑む。
「カリーナ、わたしはね、気が強く誇り高い女性がとっても好きなのだよ。だから、そのような女性が精一杯頑張っている姿を見ると、つい手を貸したくなる」
 耳元でぽつりつぶやくとするりとカリーナを解放し、カイの胸へぽいっと放り投げた。
 それから、くすくすと笑いながら、カリーナとにらみつけるカイにさっと背を向ける。
 ファセランがふと視線に気づきちらりとカリーナを見ると、顔を真っ赤にさせ、面食らったように見つめていた。
 それに答えるようにファセランがにっこり笑いうなずくと、カリーナは困ったように微苦笑を浮かべた。
 そして、「すまんな……」と、声には出さずに、唇だけでファセランに礼を言う。
 ファセランはそれに満足そうにうなずくと、そのまま颯爽とそこを後にしていく。
 カリーナはふうと小さく息をはきだした。
 どうやら、ファセランは、カイを急きたててくれたらしい。けしかけてくれたらしい。
 犯罪ちっくに木の陰からこっそりカリーナとファセランをのぞき見るカイに気づき。
 ファセランは、このままカイを好きでいてもいいのかと不安になりかけていたカリーナに気づき、背を押し、応援したのだろう。このままでもいいのだと言ったのだろう。
 いや、あるいは、ただたんに、カイをからかって遊びたかっただけとか……?
 あり得る。大いにあり得る。
 何しろ、カリーナと気が合ってしまった、あのファセランなのだから。
 一筋縄でいかないと噂の隣国バーチェスの王子、ファセランだから。
 カリーナは思わず、くすりと笑いをこぼしてしまった。
 すると同時に、あっけにとられていたはずのカイが復活をとげ、カリーナの耳元でぎゃあぎゃあ説教をはじめた。
 いつもなら両耳をふさいで無視するカリーナだけれど、何故だか今日は、それすらも耳に心地よく感じてしまう。
 カリーナは嬉しそうにカイを見つめる。
「姫! 聞いているのですか? まったく、あなたという人は……!」
「カイ、そうかりかりするな。怒るとはげるぞ」
「姫ーっ!」
 そうして、疲れ切ってカイが説教をやめるまで、カリーナは始終にこにこ笑ってそれを幸せそうに聞いていた。
 今日ほど、カイの説教が嬉しいと思ったことはない。
 だって、このままでいいと、ファセランが言ってくれたから。
 それは、誰かにとっても言って欲しかった言葉。このまま、カイを思い続けてもいいのだと。


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update:11/05/06