姫君と果てない野望(26)
カリーナ姫の野望

 長く続いたお説教が終わる頃には、もうすっかり日が暮れていた。
 ちょうど、西の空に真っ赤な太陽が沈んだところ。
 薄暗くなった庭園を、カリーナとカイは館へ向かい歩いている。
 二人の手と手が、さりげなく絡めるように握られている。
 今、誰もいない二人だけのこの庭でならきっと大丈夫だろうと、互いのぬくもりを求めるように握り合っている。
 ほんわりとどこからともなく、あまい花の香りが香ってくる。
 この香りは、夜にしか咲かない不思議な花の香り。
 この辺りに、庭師が遊び心でたしか植えていた。
「まったく、なんて手癖の悪い王子なのでしょうね。あれでは、王子の風上にもおけない」
 まだ怒りがくすぶり続けているのか、カイは不平たっぷりにぶつぶつとつぶやいている。
 そのようなカイの横顔を、カリーナはちらりと見上げる。
「……カイ、何だ、やいているのか?」
「やいている……っ!? 姫!?」
 ぎょっと目を見開き、カイはカリーナを凝視する。
 その顔は、何故だか、上半分が青くて、下半分が赤い。
 カリーナはぽかんとカイを見つめ、けれどすぐにくすりと笑いをこぼした。
「あはは、照れるな照れるな」
 楽しげに、高らかに、カリーナは笑い出す。
 カイは慌てて、カリーナの手を握っていない方の手で、がばっとカリーナの口をふさぐ。
 ふわりと、カイの香りがカリーナの鼻をついた。
 その香りは、この辺り一帯を覆う芳香すらも劣ってしまう、愛しい香り。
「照れてなどいません。冗談でもそのようなこ――」
「……やいて、くれないのか?」
 ぴたりと言葉を切ったカイの目の前には、淋しそうに悲しそうに見つめるカリーナの姿があった。
 口をふさいでいたカイの手を、カイの手を絡めていない方の手で、きゅっと握り締めている。
「……姫?」
 カイの顔が苦しげにゆがむ。
 すると、カリーナはふっと表情をひきしめ、まっすぐカイの瞳を見つめた。
 そこには、切なげな色がある。
 カイの手を握ったままの手に、きゅっと力をこめ、カリーナはずいっと詰め寄る。
「カイ、わたしには、どうしても手に入れたいものがある」
「はい?」
 いきなりの話題の転換に、カイは思わず首をかしげた。
 けれど、気にせず、カリーナは得意げに微笑み、続ける。
「だから、覚悟しておけ」
「え? だから、何を……」
「わたしは、必ず野望をかなえる!」
 カイと握る両手を一気に振り解き、びしっと夜空に浮かぶ月を指差し、カリーナは高らかに言い放つ。
 思わず、ぽかんと口を開けてしまったけれど、カイはすぐにくすりと笑い、肩をすくめた。
 そして、どこか馬鹿にしたような、皮肉るような笑みを浮かべる。
 けれど、その目は、愛しそうにカリーナを見つめている。
 今の今までカリーナと握り合っていた両手に触れる夜風が、妙に冷たく感じる。
「……くすっ。今さらではありませんか」
 けれど、カリーナはそのようなカイの態度に、気をよくしたようにますます得意げに言い放つ。
「そうだ。だからお前も、心して協力するように」
「はいはい」
 やれやれと肩をすくめながら、カイは立ち止まりふんぞり返るカリーナを置いて歩き出す。
 そのカイの腕をぐいっと引き寄せ、カリーナはその背にとんと頭を打ちつけた。
「ひ、姫!?」
 カリーナのその大胆な行動には、さすがにカイも驚かずにはいられない。
 別に、これが、カリーナの私室など、二人きりでいられる場所でなら、カイもこのように慌てたりなどしない。
 けれど、このようにいつどこで誰が見ているとも知れない場所で、このようなことをされると、さすがに動揺せずにはいられない。
 手をつなぐこととはまたわけが違う。
 このような場面、絶対に人に見られてはいけない。
 けれど、カリーナはカイの背に頭を触れさせたまま、動こうとしない。
 カリーナを引き放そうとするカイの腕を、乱暴にたたき払う。
 カイは早々に諦めたように、ふうと細い息を吐き出した。
 ぽてりとカイの背に頭をあずけたまま、カリーナはぽつりつぶやく。
「……カイ、お前だけは、ずっとわたしの側にいて、ずっとわたしの味方だよな?」
「わかりきったことを」
「そうか、ならばいいんだ」
 カリーナの問いかけに、カイはそう即答していた。
 カリーナが安堵したように、きゅっとカイの背に頬を寄せる。
 まるでそこに全ての神経が集中したかのように、カイの背が熱を帯び、どくどくといっている。
 伝わる息遣いが、かかる吐息が、カイの胸を喜びと幸せに熱する。
「ずっとずっと、離れるなよ」
「もちろんです」
 さらにたたみかけるように、カリーナはつぶやく。
 ぎゅっと、カイの背に頬をすり寄せる。
 ふわりと、カイの胸へと、カリーナの腕がまわされた。
 今度こそ、心臓が飛び出しそうな衝撃をカイは覚える。
 けれど、必死に弾む胸をおさえ、カイは冷静を装う。
 絡みつくカリーナの腕に、そっと手を重ねる。
「お前は、わたしのものだ」
 そう、カイの背で、ささやかれた。
 カイは思わず振り返りそうになるのをこらえ、静かに答えた。
「……はい。わたしの全ては、姫のお望みのままに」
 それから、顔を上げ、夜空に輝く月を仰ぎ見る。
 すうと、目を閉じていく。
 今、この瞬間の幸福をかみしめるように。
 このような時間は、もう二度と巡ってくることはないだろう。
 背には、変わらず、この世でいちばん愛しくて大切なぬくもりを感じている。
 たとえ手に入れられなくとも、ずっとずっといつまでも側に――。
 そう望むことだけは、やめるつもりはない。


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update:11/05/13