姫君と果てない野望(27)
カリーナ姫の野望

 翌朝。
 車寄せにつけられた馬車の前に、カリーナの姿があった。
 その馬車は、たしか五日ほど前にも目にした。
 つややかな毛並みの白馬がひく馬車。
 たしか、バーチェスの第一王子が乗ってきたはず。
 今日も、憎らしいまでに清々しい青い空が広がっている。
 さわやかで優しい風が吹き抜けていく。
「それじゃあ、カリーナ、わたしはそろそろ帰るね」
 ファセランがそう言って、にっこり微笑んだ。
 カリーナの手をとり、そこにそっと口づける。
「ああ、ファセラン、気をつけてな」
 こくりとうなずき、カリーナが満足げに答える。
 けれど、ちょっぴり淋しそうでもある。
 どうやら、ファセランはもう自国へ帰ってしまうらしい。
 せっかくカリーナと仲良くなり、これからともに楽しいいたずらができると思っていたところなのに、本当に残念。
「いつか、カリーナの野望がかなって、覇王妃になることをわたしも応援しているよ」
 くすくす笑いながら、ファセランはカリーナを試すように見つめる。
 すると、売られた喧嘩はもちろん買ってやろうと、カリーナがにやりと微笑んだ。
「その時は、お前にも便宜をはかってやろう」
「それは頼もしいな。その時は、是非我が国の有益のため、いろいろと裏から手をまわしてもらおう」
「お前も悪だな」
「カリーナほどではないよ」
 そう言って、二人どこか陰湿に顔を見合わせ、くすくすと楽しげに笑い出す。
 そうかと思うと、ふと動きをとめ、ファセランは企むようににやりと笑った。
 試すように、愉快そうに、カリーナに耳打つように尋ねる。
「けれど、本当にいいのかい? 覇王妃はカリーナ一人ではいられないかもしれないよ? 君の性格からすれば……」
 カリーナはきょとんと首をかしげる。
 けれどすぐに、ファセランの意図するものがわかったらしく、得意げにふんぞり返った。
「たしかに、妃は一人だけとは決まっていない。しかし、わたしは正妃になれればそれでよいのだ。妾の百人や千人、大目に見ようではないか」
 それから、高らかに、かかかと笑い出す。
 すると、カリーナの背に控えていたカイが、堪えかねたようにぼそりつぶやいた。
「いや、無理だし、そんなにたくさんは。いくら覇王でも……」
「うるさい、カイ(外野)
 もちろん、即座にカリーナに切って捨てられた。
 カイは、がーんと、頭に巨大な石をのせられたように衝撃を受け、うなだれる。
 それから、うじうじと、「いいもんいいもん、どうせわたしは……」などといじけはじめてしまった。
 それを、やはりカリーナの背に控えていたルーディが、楽しげに眺めている。
 慰めようなどとは、もちろん微塵も思っていない。
 カリーナの背で展開されているその滑稽なやりとりに、ファセランは呆れたように目を細める。
 それから、すっと視線をカリーナへ向け、にっこり微笑んだ。
 カリーナの耳元に、ファセランの顔が近づけられる。そして、耳打つ。
「カリーナ、君が本当の意味で幸せになることを願っているよ。……わたしが見る限り、彼もまんざらではなさそうじゃないか」
 いや、あれはもはや、まんざらとかそのような域をとうにこえているけれど……。
 言葉にはせず、ファセランは胸の内でこっそりそうつけ足した。
 驚いたように目を見開き、カリーナはファセランを見つめる。
 そしてすぐに、にやりと得意げに笑った。
 腰に両手をあて、ふんと胸を張り、きっぱり言い切る。
「当たり前じゃないか。必ず手に入れる」
「それでこそカリーナだよ。――それじゃあ、わたしはこれで」
 ファセランはくすくす笑いながらそう言うと、控えている御者にさっと手で合図を送る。
 御者はうなずくと、馬車の扉を開けた。
 その中へと、ファセランが乗り込んでいく。
 カリーナは困ったように笑いながら、ファセランを見ている。
 その後ろでは、カイが顔を真っ赤にして憤っている。
 今にもファセランに飛びかかりそうなカイを、ルーディが羽交い締めにしてとめている。とっても楽しげに。
 どうやらカイは、ファセランがカリーナに近づきすぎたことに憤っているらしい。
 ぎゃあぎゃあとうるさい外野(カイ)を背に、カリーナは去っていくファセランが乗った馬車を見送る。
 正門の向こうへと、その姿が消えて行った。
 それを確認すると、カリーナはくるりんと振り返った。
 攻防戦を繰り広げていたカイとルーディの動きがぴたりと止まる。
 そして、二人がカリーナを怪訝に見ていると、カリーナはにやりと嫌な笑いを浮かべ、るんたったと館の中へ駆けていく。
 恐らく、いたずらでも思いついたのだろう。
 そのような時の顔をしていたから。
 カリーナが去ると、ともに見送りに出ていた重臣のおじさんたちも、胸をなでおろしそそくさと去っていく。
 その様は、まるで蜘蛛の子を散らすようだった。
 カリーナの後姿を、がっくり肩を落とし、カイは呆れたように諦めたようにぼんやり見送る。
 同様に、けれど楽しそうに見送るルーディが、ぽつりつぶやいた。
「ようやく嵐が去って行きましたね。まったく、姫が二人いるようで疲れましたよ」
「わたしは、それに加えルーディで、もっと疲れたけれどね」
 カイは、ふうと、あてつけがましくため息をつく。
 それから、ルーディに背をむけ、ふりふりと手を振りながら去ろうとする。
 そのようなカイの背に、ルーディがわざとらしく気の毒そうに肩をすくめ、楽しそうに言い放つ。
「おや? それはお気の毒に、レオン様」
「ああ、まったくだ」
 カイはさらりと答える。
 しかし、次の瞬間、はっと何かに気づいたように体を大きく震わせた。
 ぴたりとその足をとめる。
 かと思うと、勢いよくルーディへ振り返った。
「ルーディ! お前、一体何を知っている!?」
 カイは色を失った顔で、ルーディをぎょっと見つめる。
 がばりと、ルーディの胸倉をつかみ上げ詰め寄る。
 ルーディは、ぽんぽんと、胸倉をつかむカイの手をたたき、にたりと楽しげに微笑んだ。
「別に何も? ただ、覇王の正式な御名が、レオンシュザー・カイリュス・レ・ロイ・グリーエデンということくらいですよ? あとは、腹心の側近に代理を押しつけて、諸国をお忍びしているということくらいでしょうか? ――ああ、そういえば、隼を使って定期的に連絡をとっていましたか?」
 そのお忍びは、正体を明かさず訪れるからこそ見極められる、諸国のあるがままの姿を把握するために行われているという。
 そして、もし問題があれば、ただちに是正させる。
 ふらふらと旅をしながらも、一応は仕事をしているので、代理の副官も不平はもらすもののあまり強くも出られず、渋々身代わりをしているという。
 ちなみに、定期連絡に使っている隼の名前は、シルフィ。覇王をとっても愛しているらしい。
 たたみかけるように、そのようなことまでルーディはつけ加えた。
 にやにやと意地悪く微笑むルーディに、カイはその胸倉から手をはなしていき、ぐらりと体を大きく揺らす。
 がくんと、膝が抜ける。
 ばんと、地面に両手がつく。
 その姿には、悲愴感が漂っていた。
「それに、素性の知れない者を姫の側におくと思っていたのですか? このわたしが」
 うなだれるカイの顔をのぞき込むように見て、ルーディはにっこりと極上の笑みを落とす。
 カイはとうとう言葉を失ってしまった。
 どうやら、このたちが悪い男は、はじめからすべてを知っていて、そして……。
 すべては、二年前のあの日から、この男に握られていたのだろう。
 もはや、再起不能。
 カイはきゅるきゅるきゅるーと目をまわし、その場でぱたんと倒れ込んでしまった。
 それを、やはり楽しそうに、ルーディは眺めている。


 隣国バーチェスの第一王子の襲来があり、そして嵐が去った数日後。
 今日も、何故だかうかないカイを嘲笑うかのように、空が憎らしいほどに晴れている。快晴。
 ファセランが去ったあの日の出来事が、今なおカイを打ちのめしている。
 よもや、いちばん知られたくない相手に、いちばん知られたくないことを知られていたとは。
 これほど屈辱的で、衝撃的なことはない。
 今この時も、隣でにやにや笑いながら、うなだれるカイを肴にルーディはお茶を楽しんでいる。
 本当に、なんと憎らしいことだろう。
 カイとルーディが休憩をとるその露台に、勢いよくカリーナが駆けて来た。
「カイ、ルーディ、聞け! 大情報だ!! なんとあの覇王は、幸せな恋の歌を聴くことが好きだそうだ。決めたぞ。わたしの華麗な歌声で、覇王をとりこにしてやる。これからわたしは歌を習う! 国一の歌い手を今すぐ連れて来い!」
 がばりとカイに飛びかかり、その胸倉をつかみ上げ、カリーナはそう迫る。
 カイはとっても素晴らしいめまいに襲われた。ぐらりと視界が大きく揺れる。
 けれどすぐに、きっと顔をひきしめ、すがるようにカリーナを見つめる。
 すがるというよりかは、むしろ、鬼気迫っている。
 悲鳴に似た絶叫を上げる。
「うわあっ! 姫、それだけはやめてください。姫はご存知ないのですか!? あなたがどれほど破壊的な歌声の持ち主か!!」
「……歌ってやる」
 カリーナが目を思い切りすわらせぼそりつぶやくと、瞬時にカイは風化した。
 さらさらさらーと、風にさらわれて消えていく。
 その横では、我関せずと、ルーディはお茶の香りを楽しんでいた。
 カリーナは、つかみかかるカイの胸に、幸せそうにそっと頬を寄せる。
 やはり、ここがいちばんあたたかくて、安らげる。
 そうして、今日も明日も明後日も、カリーナの野望へ向けての無駄ではた迷惑な努力の日々が続いていく――。


chapter.1 姫君と果てない野望 おわり

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update:11/05/17