エメラブルーの王女(1)
カリーナ姫の野望

「カーイ、カーイ、カイカイカイカイカイ……」
 エメラブルーは王都、エメラルディア。
 活気あふれる街の中心から見上げると、小高い丘がある。
 その丘の上には、古めかしい城がひとつ。
 そこを体現したかのようにゆったりとした時間が流れる城に、奇妙な呼び声が響き渡る。
 その声を聞いた者は皆、作業をしていた手をとめ、一様に微妙な顔をしている。
 そう、それはまるで――。
「姫、カイは犬ではありませんよ」
 まさしく、その言葉通り、犬でも呼ぶかのようだから。
 カイ≠ヘ犬ではなくれっきとした人間だと知っているから、皆思わず微妙な顔になってしまう。
 いらだたしげに回廊を歩くカリーナに、くすくす笑いながら、どこから現れたのだろう、ルーディがそう声をかけた。
 今しがたまで、たしかにこの回廊見渡す限り、文官や侍女の姿はあってもルーディの姿はなかった。
 このようにいらいらしているカリーナには、触らぬ神に祟りなしとばかりに誰も近寄ろうとしないけれど、ルーディだけは違う。
「似たようなものだ」
「たしかに」
 現れたルーディをちらっと横目で見て、カリーナはぷっくり頬をふくらませる。
 恐れ知らずにもさらりと歩み寄るルーディの胸元を、カリーナは勢いよくつかんだ。
「ルーディ、カイがいない」
 カリーナはルーディにずいっと詰めより、恨めしげににらみつける。
 その目は、「おい、このすっとこどっこい。カイをどこに隠した!?」と、すっかりルーディの仕業と決めつけている。
 たしかに、カリーナのまわりで起こるよからぬことの数々の半分くらいは、ルーディの仕事といっても過言ではない。残る半分は、カリーナ自らが巻き起こしているけれど。
 昨日の夕方まではたしかに、カイはカリーナの側に控えていた。
 しかし、今朝目覚めると、そこにいるはずのカイの姿はなかった。
 呼べばすぐに飛んでやってくる、まさしく忠犬のようなカイなのに、何度呼んでもカリーナのもとにやって来ない。
 そこで、とうとう苛立ちが最高潮に達し、カリーナは自らこうしてカイを探し歩いている。
 見つけたらとっ捕まえて、お仕置きをしなければ気がすまない。
 カリーナの手をわずらわせるなど、カイめ、見つけたらただではおかないからなと、体中から怒りがにじみ出ている。
 仕える主に探させる下僕が、どこの世界にいるというのだ。
 これがルーディならさして問題はないが、むしろいない方がいいが、よりにもよって不在なのはカイ。
 カイはカリーナのお気に入りだと、城中の者が知っている。いや、お気に入りというか、カリーナの暴挙をとめられるのはカイくらいだということを知っている。ルーディは、カリーナと一緒になって暴走するから。
 同時に、カイはカリーナのいいおもちゃ、暇つぶしの道具。カイがいなければ、誰かれかまわず当り散らし、皆身を震わせる。
 そう、カイはいわば、暴れ馬姫君への生贄。
 そこにカイがいないというだけで、いくら勇気ある者でも、カリーナの姿を見た瞬間、飛んで逃げていくだろう。
 かかわったら、からまれたら最後、殺してくれというほど恐ろしい目にあわされる。
 隣にカイがいないカリーナを視界に入れると同時に、皆蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
 カイがいないカリーナは、解き放たれた猛獣も同じ。
「休暇中です」
 ルーディはさらりとカリーナの手をほどきとり、やはりさらりと答える。
 瞬間、カリーナの顔がいびつにゆがんだ。同時に、その目が殺意に満ちた光をぎらりと放つ。
「……何だと? このわたしに無断で休暇だと? 生意気なっ」
「労働者の権利です」
 珍しくルーディがカイの肩を持つ。
 いや、この場合、カイの肩を持ったのではなく、たんにカリーナをからかって楽しもうとしているだけだろうか?
 カイのことで気をもむカリーナは、ルーディにとっては格好のおもちゃになる。
 いやいや、それとも、カリーナの怒りをあおり、休暇明けのカイへの風当たりをさらに悪くさせようとしているのだろうか。カイの不幸は、ルーディにとっては蜜の味。
「そんなもの、カイには必要ない」
 しかし、ルーディの嫌味も今のカリーナの耳には届かなかったようで、さっくり切り捨てた。
 むちゃくちゃで横暴な発言だけれど、カイに対してだけは、何故かそれもありかと納得できてしまう。
 常にカリーナの隣にカイがいることが正常。いないことが異常なのだ。
 それくらい、カリーナがカイをいたぶることは、犬扱いすることは、当たり前となっている。
「まあまあ、わたしがいるのでよいではありませんか。街にでも行かれるのですか?」
 ぽんぽんとカリーナの頭をなで、ルーディはなだめる。
 しかし、諭しているように見えて、やっぱりカイがいなくていらいらするカリーナの様子を楽しんでいるとしか思えない。
 ルーディの言葉など、本心からのものであるはずがないことなど、誰が聞いても明らか。
 普段のルーディなら、自らもカリーナの護衛であるのに、こんな仕事、面倒臭がってカイに押しつける。
 カイが休暇中だからといって、自らすすんでカリーナのお供をしようなど、ルーディではあってはならない。空から槍でも降ってくるくらい、隕石が落ちてくるくらい、鶏が空を飛ぶくらい、あり得ないこと。
 そのルーディが、すすんでカリーナのお供をしようというのだから、間違いなく二心がある。しかも、ろくでもない二心が。
 それはカリーナも重々承知しているようで、うっとうしげにルーディに背を向けた。
「お前がいても意味はない。むしろ迷惑で不愉快だ。カイがいないとおもしろくない。お前ではいじめがいがないからな」
「姫はまた、正直なのですから」
 カリーナに嫌がられれば嫌がられるほど、ルーディは楽しそうに笑う。
「何か言ったか!?」
 ぐるんと勢いよく振り返り、カリーナは憎々しげにルーディをにらみつける。
「いえ、何も?」
 ルーディはやっぱり、憎らしいくらいさわやかににっこり笑い、さらりと答えた。
 カリーナは何か言いたげにじとりとルーディをにらみつけるも、そうそうに視線をそらし諦めてしまった。
 ルーディには口ではかなわないことを、カリーナは知っているから。
 いや、口ではかなわないのではなく、何を言っても無駄だとわかっているから。
 何を言っても、自分の都合がいいように変換して解釈し、楽しむ。それがルーディ。
 相手をすればするほど、腹が立つだけ。
「あいつ、時々いなくなるよな? どこに行っているんだ?」
 ふうとひとつ吐息をもらし、カリーナは面白くなさそうに吐き捨てる。
「さあ……? 恐らく、国にでも帰っているのではないですか?」
 探るようにじっと見つめるカリーナににっこり微笑みかけ、ルーディはまるですっとぼけるように答える。
 一瞬、カリーナの拳が振り上げられそうになったけれど、それはすんでのところでとどめられた。
 ぎりっと奥歯をかみ、怒りを耐えるようにカリーナは再びルーディに問う。
 今は、ルーディを殴るより、もっと気になることがある。
「あいつの国とはどこのことだ?」
 ルーディ相手に怒れば怒っただけ、無駄な体力を消耗する。
 カイがいない今、ルーディ相手に怒ったところで疲れるだけで、カリーナはちっとも楽しくない。
 そこにカイがいてこそ、慌てふためくカイの姿があってこそ、怒り甲斐がある、楽しめる。
「さあて? わたしも知りません。わたしだけでなく、恐らく、城の者誰一人として詳しくは知らないでしょうね。自分のことは話したがりませんから」
 ルーディは迫るカリーナになどかまわず、ひょうひょうと答える。
 やはり、ルーディという護衛官は、どうしても腹立たしい。
「……そうか」
 カリーナは意外にもそれ以上の追及はせず、さっとルーディからはなれ、どこか淋しそうに回廊の外に広がる青い空へ視線を流した。
 普通なら、カリーナのことだから、馬鹿にされたと大立ち回りを演じるところだけれど、どうやら今はそんな余裕すらないらしい。
 カイがいないだけで、カリーナはすっかり手がつけられなくなると同時に、弱気になる。
 ルーディは、いつにないカリーナの様子に、困ったように小さく肩をすくめた。
 思いのほか、カイの不在はカリーナに打撃を与えてしまっているらしい。
 さすがにこれでは、ルーディもカリーナをからかって遊ぶ気がそがれてしまう。
 むきになって戦いを挑んでくるカリーナだからこそ、遊び甲斐がある。
 ルーディが、カリーナの肩にすっと手を差し出した時だった。
 その手を叩きのけるように、カリーナが勢いよく振り返った。
 そして、のびていたルーディの手を、何の疑問もためらいもなく、がしっとつかむ。
「よしっ、ついて来い、ルーディ」
「はい?」
 いきなりのカリーナの言動に、さすがのルーディも思わず目を点にする。
 すると、カリーナはそんなルーディを嘲るように、得意げににっと笑った。
「カイを追う!」
 ルーディは目を見開きカリーナを見つめ、そしてくすりと笑った。
「ああ、もう、はいはい。お供いたしますよ、お姫様」
 そうして、呆れいっぱいのルーディを、カリーナはずるずる引っ張り、回廊を太陽の光が差す方へ渡っていく。
 結局のところ、そこにカイがいてもいなくても、カリーナはカリーナだったらしい。
 カイの帰りを大人しく城で待っているようなお姫様ではなかった。
 いないなら、自らとっ捕まえに狩りへ出る。


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update:11/05/21