エメラブルーの王女(2)
カリーナ姫の野望

 世界は、大きく五つの大陸に分かれている。
 その五つの中でもいちばん大きな大陸グランディアに、エメラブルーはある。
 大陸の南に位置するエメラブルー一の港町でもあるエメラルディアから、ずっと向こう、けれどはっきり姿をとらえることができる程度に近い距離にあるグリーエデン島へ定期船がでている。
 定期船は、グランディアだけでなくすべての大陸において、エメラルディアの港からのみ就航している。
 エメラブルーは、土地の広さだけなら大国バーチェスに次ぐ大陸二番目の規模だけれど、経済的にいえば商業大国クロンウォールの足元にも及ばない。
 そんな小国から、大国を押しのけグリーエデン島への定期船があるということは、その島にいちばん近いという理由をさしひいても、十分に誇れることだろう。
 そう、グリーエデン島はこの世界の中心に位置し、また世界の頂点に立つ覇王が治める土地。
 その大陸の中にたった一つだけ存在する国ということもあり、グリーエデン王国は同時に大陸の名となり、一般的にはグリーエデン島と呼ばれている。
 開かれた陸地ではあるけれど、誰でも容易に上陸できる土地でもない。
 何しろそこは、世界の中心、世界を統べる土地。保安はどの国よりも厳しい。
 グリーエデンのちょうど中央辺りに、陽光を受け虹色に輝く白亜の城がそびえたっている。
 古の技法を多く用い、その姿はまるで神話にでてくる神殿のような装いをしている。
 けれど同時に、軍事大国バーチェスの城より、難攻不落とうたわれるクロンウォールの城より、落城はおろか侵攻すら難しいと言われている。
 そのグリーエデンの城の一室に、はおるマントを払い取りながら、青年が乱暴に足を踏み入れた。
「ツバン、様子はどうだ? 変わりはないか」
「おかえりなさいませ、レオン様」
 ツバンは、他より一段高い位置に置かれた、執務机を前にした椅子からすっと立ち上がった。
 その椅子には、グリーエデン王家の紋章、緑の瞳が刻まれている。
 執務机にもまた緑の瞳が刻まれ、実用性と同時に芸術性も感じさせる細工が施されている。
 ツバンは入ってきた青年の前に歩み寄り、その足元にさっと跪く。
 たまたまこの場に人がいなかったためか、それともこの城に仕える者なら皆承知しているのか、本来なら跪くような立場にない装いをしているのに、ツバンは何故か気取らない姿の青年――レオンを恭しく扱う。
「これといって変哲はございません」
「そうか」
 レオンは満足げにうなずくと、まるで労をねぎらうかのようにツバンの肩をぽんとたたいた。
 そして、ツバンに背を向け、先ほどまでツバンが座っていたその椅子へゆっくり歩いていく。
 すると、ツバンはさっと立ち上がり、レオンの背へ語りかける。
「レオン様、申し上げにくいことなのですが、その……そろそろ……」
「まだ嫌だ」
 レオンはぐるっと振り返り、不服そうに頬をふくらませる。
 ツバンは面倒くさそうにため息をもらした。
「あのですね、覇王ともあろう方が、そういう子供じみただだをこねないでくださいよ」
 ツバンはやれやれと肩をすくめながら、羽織るマントをぬぎ、レオンの肩にそっとはおらせる。
 それは、宝飾品で縁取られる真っ赤なビロードのマント。富と権力を象徴するマント。
 つまりは、このレオンこそが覇王で、ツバンがその影武者となるのだろうか。
 肩にかけられたマントにそっと触れ、レオンはにっと笑う。
「まあ、まだもう少し――そうだな、あと三年は待ってくれないか」
「そんな、また気の長い」
 ツバンはがっくり肩を落とす。
 わかっていたことだけれど、やはり予想を覆さないレオンの返答に脱力してしまったらしい。
 ツバンはゆるゆるとした動作で、自らの頭に頂く冠を持ち上げると、それもそのままレオンの頭にぽんとのせた。
 同時に、レオンは面倒くさそうに、椅子に腰かける。
 むっつりした顔で、肘かけに肘をのせ、やっぱりむっつりとそこに顔をのせる。
 レオンは恨めしそうに、すぐ横に控えるツバンをじとりと見る。
「心の準備というか、大人になるまでもう少しかかりそうだからなあ。今のままじゃあ、ちょっと……」
「何をおっしゃっているのかわかりかねますが、あと三年もだなどと無茶ですよ。もうそろそろ誤魔化すにも限界がきています。幸い、この世界の平和は保たれていますが、いつ何時何が起こるか……。今でも火種はわずかながらあるのですから」
「うるさいなあ、無理だと言ったら無理なんだよ。――大丈夫、ちゃんと妃は連れ帰るから」
 ああ、またツバンのお説教がはじまったとばかりに、レオンはうんざり顔でさっと立ち上がった。
 そして、まだまだ言い足りない様子のツバンを押しのけて、部屋を出て行こうとする。
「そういう意味ではないですよ。っていうか、妃!?」
 自らの口に出してはじめてそのことに気づいたように、ツバンはぎょっと目を見開いた。
 しかし、レオンは気にすることなく、一人ぶつぶつ言いながら扉に触れる。
「姫君はあと一歩かな。まだまだ子供で、あまり急ぎすぎると取り逃がしそうなんだよなあ」
「はあ、それで、どのくらいまで?」
 驚いたのもつかの間、ツバンはすぐにレオンの意図することを悟り、面倒くさそうにとりあえずそう問いかける。
 結局のところ、何かと理由をつけて、まだまだレオンは落ち着く気はないらしい。
「今、口説き中。けれど、これがなかなか落ちなくて」
「その姫君がですか?」
「いや、そのまわりが」
「それはまた、厄介ですねー」
 けろりと答えるレオンに、ツバンはしみじみつぶやいた。
 気づいたら、ツバンはすっかりレオンの調子に引き込まれてしまっていた。
 まあ、しかし、覇王がふらふらしていることも問題だけれど、いつまでたっても妃を迎えようとしないのもまた頭痛の種となっている。
 それが、ひとつ解決しようとしているのだから悪いことではない。
 妃がくれば、この奔放な覇王も、幾分か落ち着くようになるだろう。
 それは、甘い浅はかな考えかもしれないが、少しでも問題が減るのならそれにこしたことはない。
 ただ、時間がかかりすぎる。三年もかかるなど、情けない。覇王なら、一発がつんと決めてくれなければ。
 まあ、姫君自身よりもそのまわりが落ちないとは、レオンでなくたって厄介だと考えて当然だろう。
 たしかに、好き好んで、覇王の妃になろうという姫君など滅多にいないだろう。
 最優良物件であると同時に限りなく事故物件に近い、とっても厄介な物件でもあるから。覇王という立場は。
 普通の親ならば、すすんで娘を覇王の妃になどしたくはないだろう。
「誰も好き好んで、覇王に娘をやりたがらないからなあ」
 どうやらそれは、レオン自身も重々承知しているらしい。自嘲気味につぶやく。
「女などよりどりみどりと言われている覇王ですからねえ」
「誤解なのに。思い切り誤解なのに。悲しいなあ」
 ツバンが納得したように言うと、レオンはがっくり肩を落とし、めそめそつぶやいた。
 どうやら、覇王という立場だけでなく、事実に関係なく立場を根拠としてまことしやかにささやかれる女好きというその噂も足を引っ張っているらしい。
 執務室をでて、レオンは回廊をとろとろ力なく歩いていく。
 差し込む日差しのまぶしさが、とっても目にしみる。
 あまりにも目にしみるから、思わずほろりと涙が出そうになる。
「まあ、そういうことならば、あと三年くらいは我慢してさしあげなくもありませんが、あなたともあろう方が、そんなに時間がかかるとはね。すでに二年は経過していますのに」
「だから、まわりが大変なんだってば」
 レオンは心から泣き叫ぶように言い放った。
 姫君自身もひと癖もふた癖もある少女だけれど、そのまわりといったら、姫君が普通に見えてしまうほど曲者ぞろい。
 その誰もが姫君を溺愛しているから、覇王の妃に欲しいと言おうものなら、間違いなく血の雨が降る。
 だから、一人落とし、二人破りと、じわじわとまわりから攻め落としていかなければならない。
 どの姫君より姫君らしくないけれど、そんな型破りな姫君こそ、覇王妃にふさわしいと考える。
 いや、ふさわしいとかそういうことはもはやどうでもよく、最初からどうでもよく、ただ純粋にレオンはあの少女を欲している。
 もし手に入らなくとも、あの姫君が幸せであるならそれでいいとも思える程度におぼれている。
 ただもう少し、間違って姫君がレオン以外の男のものになることがあるならば、それまではまわりを落とす努力は怠らない。
 姫君自身に否と言われない限り、あきらめるつもりはない。
 どうしても欲しい姫君だけれど、姫君の心を傷つけたくはないと同時に願っている。
 そう、決断のその時まで姫君――カリーナのそばにいるためには、あくまで護衛官としていなければならない。 覇王ではいけない。
 口では覇王の妃となることが野望だと、世界中のいい男はすべて姫君のものと言っているけれど、本当はそうでないことに、レオンは気づいている。
 けれど、その偽りの野望の下に隠された姫君の本当の願いは、さすがにレオンでもわからない。
 わからないけれど、その願いがいつかかなうように心から願っていることは本当。
 きかん気が強く傲慢でわがままなとってもたちが悪いあの姫君を、レオンは愛しいと思っている。
 あの日、あの二年前の日、姫君とはじめて会った時から、レオンの胸にはともる火がある。
 ほれた弱みだろう。姫君の幸せのためなら、いかなる努力もおしまない。きっと、悪魔にでも魂を売り渡すだろう。
 それほどまでに、すでにおぼれている。
 そう自覚してからは、レオンは遠慮を忘れてしまっている。
「まあ、せいぜい頑張ってください、レオン様」
「嫌な言い方だな」
 そんなレオンの思いを知ってか知らずか、ツバンは適当に突き放すように言う。
 言われなくても、レオンは十分せいぜい頑張っている。
 あの日、あの二年前の日から、あの姫君と会った時から、あの姫君を手に入れる努力は怠っていない。
 やっぱり、やわらかいはずのこの陽光が、目にしみる。
 とぼとぼ歩くレオンの背を、ツバンは先ほどの言葉とは裏腹に微笑ましそうに見つめている。
 そして、レオンの歩調にあわせ、ゆっくりとその後をついていく。


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update:11/05/25