エメラブルーの王女(6)
カリーナ姫の野望

「姫ー!!」
 回れ右し一歩足を踏み出す前に、カリーナの背にそう叫ぶ声がぶつかる。
 けれど無視を決め込み、そのまま走り出そうとした時だった。
「姫! やっと見つけましたよ、まったくあなたという方は、稀代のじゃじゃ馬ですね! 城に戻ったら、護衛官長が姫がまたとんずらしたと騒いでいたんですよ!」
 一気にそうまくしたてる声が、カリーナを襲う。
 瞬間、カリーナはぐるんと振り返った。
「誰が馬だ、誰が! わたしは人間様だぞ! カイのくせに生意気だ!!」
「そういう意味ではありません。とにかく、姫、帰りますよ」
 カリーナに暴言をあびせたのは、半日かけてカリーナを探していたカイだった。
 カイの胸倉をつかもうとのばした腕をさっと払われ、逆にカリーナが腕をつかまれ引き寄せられた。
 ぽふんと、カイの胸にカリーナの体が落ちる。
 カリーナは目を見開き驚き、けれど口のはしはどこか嬉しそうにゆるんでいる。
 気づかれないように、そのぬくもりを確かめるように、そっと胸に頬をよせる。
 ずっとずっと、今日一日をつぶして探しまわっていたその男が、こんなに簡単にあっさり、カリーナのもとに戻ってきた。
 ようやく捕まえた。
 予想もしていなかったこの展開で。
 こんな不意打ち、嬉しすぎる。嬉しすぎるけれど、同時にとっても面白くない。
 こんなにカリーナの心を落ち着かなくさせていたのに、当の本人は何事もなかったようにいつものように振る舞うのだから、面白いはずがない。
 カリーナの胸のざわざわ、結局無駄に終わった労力、これは万死に値する大犯罪。
 けれど、こんなうっとうしいだけのお説教も、今はなぜか心地よい。
 ようやく、カイがカリーナのもとに戻ってきた。そう実感できるから。
「やだ、わたしはもっと遊ぶ!」
 カリーナはどんとカイの胸を押し、ぷいっとそっぽを向いた。
 ぷっくり頬をふくらませているけれど、どうしても口のはしがゆるんで仕方がない。
 そっぽを向いたのだって、それを誤魔化すため。
 本当はもうちょっとカイのぬくもりを感じていたかったし、その姿を瞳にとらえていたかった。
 たった一日いなかっただけで、体全部がこんなにカイを求めている。
 カイをいたぶれないことが、こんなに苦しいことだったなんて知らなか……いや、もちろんカリーナは知っていた。
「駄目です、まったくこのわがまま姫は!」
 少し乱暴に、カイがカリーナの腕をつかむ。
「やだやだやだー! 遊ぶったら遊ぶんだ! だってカイ、わたしに黙って休暇をとっただろう!!」
「……え? 姫?」
 うるっとうるんだカリーナの瞳が、力強くカイの姿をとらえる。
 カイは思わず、うろたえたように一歩あとずさった。
 けれど、カリーナの腕を握る手だけはしっかり力がこめられたまま。
 呆然とするカイのわき腹を、やれやれといった様子で、ルーディがつんとつついた。
 いつもの主従のどうしようもない馬鹿らしいやりとりも、これだけまわりの注目を浴びはじめては放っておくわけにはいかなくなったのだろう。
 ここは、城ではない。
 祭りに集まった人々が、唖然とした様子でカリーナたちを見ている。
 これ以上その馬鹿っぷりを大衆の目にさらすのはよろしくない。
 ルーディに促され、カイもようやく我に返ったように気づいた。
 けれど、目は何故か嬉しそうに細められている。
 呆れるルーディに促されながら、カリーナとカイはゆっくり歩きはじめる。
 そうして、大衆の目から抜け出していく。
「それは申し訳ありませんでした。以後は、姫に一言断ってからにしますね」
 くすくす笑いながら、カイは当たり前のようにカリーナを引き寄せた。
 再び、カリーナの体がカイの胸にぴとりとつく。
「断っても駄目だ。お前がいないと、わたしはまた街で大暴れするぞ」
「どんな脅し方ですか、それは」
 カイの肩ががっくり落ちる。
「まったく、姫は……」
 カイがそうつぶやいたかと思うと、覆うようにカリーナの後ろ首に両手がまわされた。
 カリーナは目をしばたたかせ、カイを探るように凝視する。
 カイは困ったように肩をすくめ、くすりと笑う。
「お土産です」
 カイがうなじに手をまわすと同時に、カリーナの首には首飾りがかけられていた。
 肌触りがいい鎖の先には、小ぶりだけれどその存在をしっかり主張する石がついている。
 赤く燃える太陽の光を浴びつつも、赤に染まることなくきらきら輝いている。
 太陽の光をいっぱい吸い込み、虹色にきらめく。
 星のかたちをしたその石にそっと触れ、カリーナはカイを見つめ首をかしげた。
「イリス……?」
「はい」
「……まがい物か」
 カイがこくりうなずくと、カリーナはぷいっと顔をそむけはき捨てた。
 頬は、夕日のためか、ほんのり赤く染まっている。
 カイはやっぱり肩をすくめ、困ったように微笑む。
「あはは、やっぱりわかりますか?」
 そして、そうおどけて見せる。
「当たり前だ。お前の薄給で、イリジストなんて馬鹿高いものを買えるわけがないからな」
 そう、カリーナの胸を飾るのは、イリジスト――イリスと呼ばれる、世にも稀有な宝石の模造品だった。
 イリス――虹の女神と呼ばれるだけあり、たとえ偽物でもその輝きは目がくらむほど美しい。
 偽物でも、イリスのそれだけはとりわけ精巧な仕事を施されるらしい。恐らく、その辺りの産出量が多い宝石よりは値が張るだろう。
「姫に似合うと思って」
「……ふんっ。こんな安物のまがい物、わたしに似合うわけがないだろう」
 カリーナはむっと頬をふくらませる。
 たしかに、一国の王女に偽物を贈って似合うとは、失礼にもほどがあるだろう。
 たとえそれが、王侯貴族ですら手に入れるのが難しい虹の女神の精巧に作られた模造品だとしても。
 それにカイも気づいたらしく、しまったというように顔をゆがめた。
 そして、どうにかいい言い訳はないかと、わたわた思考をめぐらす。
 カリーナは、にやりと意地悪く笑った。
「まあ、仕方がないから、もらってやらないこともないがな」
 そう言って、くるりとカイに背を向けると、カリーナは大切そうにイリスをきゅっとにぎりしめた。
 くふふと、嬉しそうに小さく笑う。
 カリーナはカイに背を向けたまま、さっさと先へ先へ海へ向かい歩いていく。
 どことなくなどではなく、誰が見たって、今のカリーナの足取りは軽い。
 カイはカリーナに背を向けられ、すっかり怒らせてしまったと、さらにあたふた慌てている。
 それまで二人のやりとりを傍観していたルーディが、呆れがちに小さく笑った。
 そして、すっとカイに擦り寄り、ぼそり耳打つ。
「また思い切ったことをしましたね。見る者が見ればすぐにわかりますよ。ばれたいのですか?」
 カイはぴたりと動きをとめ、にたにた笑うルーディをじとり見つめる。
 それから、どこか悟ったように静かにつぶやく。
「一介の護衛官が贈るものなのだから、普通は本物なんて思わないだろう。あるいは、たとえ本物だと気づかれても、一国の姫が持っているのだから、自ら手に入れたか、どこかの金持ちからの貢物で片づくよ。護衛官から贈られたと耳にしたとしても、誰も信じないだろう」
 ルーディは物言いたげに、じっとカイを見る。
 普通は護衛官が姫に贈り物なんてしませんよとは、あえて言葉にはしていないけれど、その目は間違いなくそう言っている。
「やれやれ、思い切りがいいのか、たんなる馬鹿なのか……」
「一言余分だよ」
 しかし、ルーディの眼差しの意図に気づくことなく、カイはふてくされたようにはき捨てた。
 今のカイには、普段は気づくルーディの嫌味な視線の意味すら、気づく余裕がないらしい。
 すっかりカリーナを怒らせてしまったと思っていたけれど、カリーナの足取りから、本当はとっても喜んでいると気づいてしまったから、そちらばかりに意識が奪われている。
 いかにもカリーナらしい反応が微笑ましく、カイは素直じゃない姫君を愛しそうに見つめる。
 本物じゃなくたって、偽物だって、たとえその辺に転がっている石ころだって、カイからの贈り物なら、カリーナはきっと喜ぶだろう。
 果たして、カイはそのことに気づいているのかいないのか。


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update:11/06/10