エメラブルーの王女(10)
カリーナ姫の野望

「キムベ街か……」
 空には真ん丸い月が浮かび、そのまわりで躍るように星々が光を放っている。
 昼は地上がにぎわい、夜は広がる空がにぎわう。
 ひらけているといってもそれはエメラルディアやその他いくらかの主要都市だけで、基本的にはエメラブルーは緑を売りにしている自然あふれる土地。
 時折、揶揄して田舎国家というたわけ者もいるけれど、それだけ自然を大切にしている国として胸をはれる。
 王都でも、夜になると、人口の明かりに邪魔されることなく、十分にたくさんの星をのぞめる。
 これが、グランディア大陸東の科学大国ならば、ぽつりぽつり、申し訳程度の数しか星を見ることはかなわないだろう。
 すえた臭いがつんと鼻をつくそこで、崩れかけの建物からのぞく小さな空を見上げ、カリーナがぽつりつぶやいた。
 ロイルに手をひかれやってきたそこは、貧民とまではいかないが、下層階級が暮らす一角だった。
 しかしあくまでも中流ではなく、比較的ましな貧民街。もっとひどいところは、路上で暮らす人々がいる区画もある。
 ここは、先ほどの港からそう遠くはない場所に位置している。
 エメラルディアには、いくつかこのような区画がまだ残っている。
「おいらの家はこっち……!」
 ロイルはカリーナのつぶやきを気にすることなく、手を引き、ずんずん奥へ進んでいく。
 細い路地を通り、崩れかけの階段を下り、やはり崩れかけの迫持(アーチ)をくぐり、いくつか角を曲がった頃、ロイルはぴたりと足をとめた。
 そして、どこかほこほこした顔でカリーナに振り返り、目の前の四隅の角が欠けた木の扉を指差す。
「ここがおいらの家だよ」
 そうして、汚れて頼りない扉を押し開けた。
「ルディア、帰ったよ!」
「お兄ちゃん!」
 ロイルが扉を開けると同時に声をかけると、すぐに返事があった。
 ロイルはさっと扉の中へ飛び込む。
 カリーナは一度、その扉を持つ建物をぐるりと見回し、のっそり扉をくぐる。
 すると、すぐ目の前に、簡素な寝台に横たわる少女がいた。
 どうやら、奥行きはなく、目に入るところだけが居住空間の家らしい。
 いかにも硬く粗末な寝台で、薄い布をかけただけの小さな少女が、ごほごほせきをしながら、上体だけを起こし力なく微笑んでいる。
 ロイルがその少女へ駆け寄り、きゅっと抱き寄せる。
「ルディアがさっき言った妹だよ。母さんは今仕事に行っているんだ。父さんは死んでもういない」
 ロイルが上目遣いで、訴えるようにカリーナを見る。
 するとカリーナは得心したように一度小さくうなずくと、すぐ後ろについてきていたルーディへちらと視線を流す。
「そうか。――ルーディ」
「はいはい。わかりましたよ」
 ルーディもうなずくと、ロイルとルディアのもとへ歩み寄る。
 すぐ目の前までやって来たルーディを、ロイルはびくりと体を震わせ、戸惑いがちに見上げる。
「え? あ、あの……?」
 これまでの様子から、どうやらロイルはルーディだけは苦手らしい。
 言葉は乱暴だけれどとりあえず親切なカリーナ、そして態度も言葉も丁寧なカイはすんなり受け入れた。けれど、どんなに微笑んでいても直感的にルーディだけは受け入れられないらしい。
 それは、ある意味正しい判断だろう。
「そいつは医者の資格を持っているんだ。侍医のくそじじいよりはよほど腕がいい。ただし、外科に関してだけだがな」
 戸惑うロイルに気づき、カリーナはあははと笑い飛ばす。
 ルーディは有資格でありながら普段はそれらしいことはまったくしないが、人手が必要な時は駆り出される。
 それはたいてい、負傷者が多数出た時で、ルーディは傷口をえぐるように手当てし、断末魔のような悲鳴を上げる兵を見て喜んでいる。
 時には、ルーディが側にいる時などは、医者を呼ぶのが面倒と手当てさせると、すり傷程度の治療にひどい裂傷のような痛みを伴うことがある。もちろん、その時も、ルーディは兵の悲鳴を聞き、嬉々としている。
 しかし、それでも、王宮のどの医者よりも治療だけは実に見事なもので、誰もルーディに逆らおうとはしない。
 まあ、それは、その腕だけではなく、その後の報復を恐れて……というのが、大いに影響しているだろうけれど。
「……姫、それ笑えませんから」
 カリーナの肩をぽんとたたき、カイが脱力したようにつぶやく。
 ルーディはうなずくと、ルディアに微笑みかけ膝をおり、首筋に手をやる。
 ロイルは怪訝にカリーナを見つめる。
「そ、そういえば、お前、姫って……」
 瞬間、カリーナの鉄槌が、三度ロイルの脳天にお見舞いされた。
「教育的指導。目上の者に対する言葉の使い方というものを知らないようだな」
 拳を握ったまま、カリーナは威圧的にロイルを見下ろす。
「だからって、いたいけな子供をぐーでなぐることはないだろう。さっきから何度も!」
「お前のどこがいたいけだ」
 ロイルは非難いっぱいに叫ぶ。
 カリーナは馬鹿にするように鼻で笑う。
 二人、今にもかみつかんばかりの勢いでにらみあう。
 カリーナの後ろでは、カイが呆れたように頭を抱えている。
「はいはい、姫、落ち着いて。所詮は子供のすること。いちいち怒っては大人気ないですよ」
 カイは面倒くさそうにカリーナの腕をつかみ、ぐいっと抱き寄せる。
 するとカリーナは物言いたげにカイをじろっとにらむも、すぐに気がそがれたようにぽてんとカイの胸に体をもたれかける。
 そして、ぶうっと頬をふくらませる。
「カイ、何を言うか。教育とはな、子供の頃からしっかりしておかないとろくな大人に育たない。大人になってからでは遅いんだ」
「……ああ、じゃあ、姫は手遅れですねえ」
「何か言ったか? ルーディ」
「いいえ」
 ちらと視線だけをカリーナに向けくすりと笑うルーディの背を、カリーナはカイに抱き寄せられたまま思い切り蹴飛ばした。
「それで、ルーディ、どうなんだ?」
 カイにでんと背をあずけたまま、カリーナは腕組みをしてルーディを見下ろす。
 ルーディはゆっくり立ち上がりながら、カリーナへ向き直る。
「ああ、大丈夫ですよ。多少こじらせてはいますが、風邪ですね。栄養があるものを食べさせ、安静にしていればすぐによくなりますよ」
「だそうだ」
 手桶にはった水で手をすすぎながらルーディが答えるとすぐに、カリーナは得意げにロイルを見下ろした。
 するとロイルは、それまで強張っていた顔をほっとゆるめた。
「な、なんだ、そうだったのか。おいらはてっきり、父さんと同じ……。ありがとう」
 ロイルはそうつぶやくと、安堵したようにずるずるくずおれていく。
「なんだお前、素直なところもあるようだな」
「おいらはもとから、とっても素直だよ」
 ロイルは不満そうに、きっとカリーナをにらみつける。
「あはははは! お前のどこが素直なんだ」
 額に青筋を一本浮かべ、カリーナはにこやかにロイルの背を一発べしんとたたいた。
 カイは覚えるめまいに必死にたえ、額をべちんとおさえる。
 だから、子供相手に大人気ない、と言いたげに。
 たしかに、ロイルはいちいち生意気ながきだけれど、だからといってそれにいちいち本気になって相手をしなくてもいいだろうと、視線だけで訴えている。
 けれど、そんなものは、もちろんカリーナに通じるはずがない。子供相手にも全力で喧嘩をするのが、カリーナだから。
 ロイルは悔しさに、べしべし床をたたきつける。
 まだ力が抜けたままで、立ち上がることはできないらしい。


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update:11/07/05