エメラブルーの王女(16)
カリーナ姫の野望

 王宮の朝は早い。
 しかし、姫君の朝は遅い。
 ……はずなのに、何故か今日に限っては、昇ったばかりの太陽が空から落ちてくるのではないかと本気で思ってしまいそうなほど、あってはならないことが起こっている。
 城に仕える下働きの者たちが動き出した頃から、すでに王女の私室周辺では奇妙な動きを見せていた。
 まだ護衛官がやってきてもいないのに、その護衛官を大声で呼ぶ王女の叫び声が響き渡っている。
 すると、まだ寝癖が残った髪を懸命に整えながら、慌てて護衛官の一人が駆けて来た。
 たしか、護衛官の宿舎は、一般兵たちの宿舎よりは宮殿に近いとは言っても、すぐに駆けてこられるような距離ではない。
 しかし、この姫君の護衛官に限っては、それも可能。
 通常は、護衛対象に対して、一日三交代制で、夜間は夜勤の護衛官が控えの間に詰めている。
 けれど、護衛官を二人しか持たない姫君に関しては、交代が不可能なので、本来はない宿直室が姫君の居住区内に設けられている。
 そこに、交代で一人の護衛官が泊り込むことになっている。
 その体制をとらなければ、二十四時間つきっきりでの護衛など勤まらない。
 まさか、たった二人しかいない護衛官で、一日三交代をまかなえるわけがないので、まわりの者たちも目をつむっている。
 強行に三交代制を姫君にも適用しようとすると、追加の護衛官が必要となり、無駄な犠牲者が出る。かつ、自滅的な希望者も現在は皆無。
 ――とは建前で、平和なエメラブルーにおいて、夜間の警護は必要と判断した時のみ行われているのが現状。普段は、護衛官も与えられた自室で休んでいる。
 姫君の護衛官に与えられた宿直室も、本来はかたちのみ。
 夜間の警護は、王宮内を守る兵たちだけで十分足りている。
「姫、どうしたのですか? こんなに朝早くから。王宮中の者が恐怖するのでやめてください」
「黙れ下僕」
 すでによろよろに疲れきったように、本日の当番だったカイがとりあえずカリーナに尋ねる。
 当番とはやはり建前で、昨夜遅くなり自室へ戻る時間を惜しみ、そのまま宿直室に泊まっただけだったけれど。
 カイの姿を認めるとすぐに、カリーナは見下すように言い放った。
 カリーナはすでに、いつもの動きやすく、それでいて可憐さも忘れていない衣装にぴしっと着替えている。
 カイはやれやれといった様子で、体勢を整える。
 いくらカリーナの私室近くで寝泊りしていたといえど、こんなに朝早くからたたき起こされたのではたまらない。
 ただでさえ、二十四時間休む暇なく護衛をさせられているのだから。
「朝から絶好調ですねー」
 まだ日が昇ったばかりの薄暗い中でも、まるで朝の清々しい陽気を一身に受けたように、ルーディが颯爽とあらわれた。
 宿舎からやって来たわりには、ルーディもやけに早い。
 しかし、カリーナにかかれば、それでも満足できないらしい。
「遅い、ルーディ」
 非難するように言い放つ。
「姫が珍しく早いのがいけないのですよ。それに、昨夜は帰りも遅かったことですし……」
「それで、こってり護衛官長にしぼられましたからね」
 ルーディがやれやれと肩をすくめると、カイも疲れたように肩を落とした。
 どうやら、やけにカイが疲れていると思えば、夜遅くまで護衛官長のお説教につき合わされていたかららしい。
 そしてさらにその後、カイの手首をかざる守り石のあのことがあり……。
 それでは、疲れているのも当たり前だろう。あまり睡眠をとれていないだろうから。
 それでも何故か、カリーナは元気にぴんぴんしているけれど。
 ルーディに関しては、人間の常識が及ぶ範囲にはない。
「それより、さっさと朝食をとって行くぞ。あいつら、どうせ夜通し博打をしているだろうからな」
 カリーナはぐいっとカイとルーディの腕をひき、廊下を歩き出す。
 その言葉から、あいつら≠ェ打ち疲れた頃をみはからって、嫌がらせをしに行くつもりなのだろうことがうかがえる。
 その嫌がらせのために、こんなに早起きをしたのだろうか?
 まったく、たちが悪い。そして、まわりは大迷惑。
「え? あの者たちのところへ行くのですか?」
「ああ、ちょっと、な」
 カイが戸惑いがちに慌てて尋ねると、カリーナはにたりと意地悪い笑みを浮かべた。


 王宮の北東にある訓練場。
 そこは、朝早くから、鍛錬に勤しむ兵たちで活気づいていた。
 しかし、訓練場のはずれの一角だけが、明らかに異なった雰囲気を放っている。
 木の下で、木漏れ日を受け、男たちが思い思いに座り込んでいる。
 さわやかな朝には不似合いな下品な笑い声が響き、異様な盛り上がりを見せている。
 朝早くというよりかは、昨夜からずっと続いていると言った方が正しいだろう。
 鼻歌を歌いながら武器の手入れをする者もいれば、二日酔いなのだろうか、うんうんうなりながら地面をはいずる者もいる。
 その横では、賭け札に興じるたわけ者たち。
 その様子から、他の兵たちのように、訓練をする気などまったくないことがよくわかる。
 訓練を続ける兵たちは、時折そこへちらと視線をやり、迷惑そうに眉をひそめる。
 けれど、彼らに意見する者は滅多にいない。
 彼らには極力かかわりたがらない。
 下手にかかわれば、面倒事に巻き込まれる。
 そこに、さらに不釣合いな者が現れた。
「おい、お前たち、暇そうだな」
 ぎゃははははと下品な笑い声を上げる兵たちを見下ろしながら、カリーナが言い放った。
「げっ、お姫さんっ!!」
 顔をあげカリーナの姿を認めると、皆一斉に顔をゆがめざっとのけぞった。
 けれど、ただ一人、黒の短髪にがっしりとした体躯、左頬に三日月形の傷を持つ男だけは、落ち着き払った様子で、通常のものの倍はあるだろう大剣の手入れをつづけている。くすりと笑い、小さく肩を揺らした。
「というか、王宮でどうどうと賭け事は駄目でしょう、賭け事は」
 あきれがちに、カイが男たちから札をとりあげる。
 すると、賭け札に興じていた男たちの間から、ぶうぶう不平の声がもれる。
 しかし、ルーディがにっこり微笑むと、瞬時にそれもぴたっとやんだ。
 それだけでなく、びくびく身を震わせ、さささっと遠のいていく。
 安全距離を保ったそこから、ルーディの様子をうかがうように見ている。
 それを見て、カリーナははあと面倒くさそうにため息をもらした。
 武器を手入れしていた男もちらりと逃げた男たちを見て、やれやれと肩をすくめる。
 そして、手をとめ、カリーナを見上げる。
「それで、お姫さん、こんな朝早くから何のご用で?」
「ラルフ、話が早いな」
「お姫さんと俺の仲ですから」
 カリーナが得意げににっと笑うと、三日月傷の男――ラルフは口のはしを上げにやっと笑った。
 二人、企むように目配せしあう。
 それを見て、カイの疲れはますます増していく。
 朝の陽光に、不敵な笑みがよく映える。


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update:11/09/05