エメラブルーの王女(18)
カリーナ姫の野望

 サイラスは、腰を少しかがめロイルの目線の高さに視線を合わせ、まじまじと見る。
 あまりまっすぐ見るものだから、ロイルは思わずあとずさる。
「そうですね……。ロイルと言ったかな?」
「うん――いや、はい!」
 サイラスがそう口を開くと、ロイルは慌てて返事をした。
 びしっと直立し、緊張の面持ちをしている。
 それまで見たことがないロイルの様子に、カリーナは思わずぽかんとしてしまった。
 サイラスはおかしそうにくすりと笑う。
 そして、すっと顔を引き締め、まっすぐロイルを見る。
「見ての通り、この神殿は施療院と孤児院をかねている。ここで働くことは君が思っている以上に辛いだろう。それに、財政は常に厳しい状況なのだよ。十分な給金を出すことはできない。それでも働く気はあるかい?」
「働けるなら、おいら、どこでだって頑張るよ!」
 つかみかからんばかりの勢いで、ロイルはサイラスへ身を乗り出す。
 サイラスは口元をゆるめ、目を細めた。
「どうしても人手が足りない場面も多々ある。指示通り動けるかい?」
「ちょうど欠員が出たと聞いてな。お前でも雑用ならできるだろう」
 サイラスが尋ねると、カリーナがそう横槍を入れた。
 意地悪っぽく試すように、ロイルに視線を流す。
 ロイルはむっと眉根を寄せ、カリーナをじっと見る。
 そして、ぷいっと顔をそらし、サイラスに向き直った。
「おいらでできることなら、何でもする!」
 ロイルは目を輝かせ、迫るようにサイラスを見つめる。
 窓辺で、軽く舌打つ音がする。
 何故かご機嫌をななめにしたカリーナを、カイがどうどうとあやしにかかる。
 何故などではなく、ロイルにあからさまに無視されたからだろう。
 まったく、からかおうとしてうまくいかなかったからといってすねるとは、なんて子供なのだろう。
 カリーナは面白くなさそうに椅子から立ち上がった。
「では、毎日朝八時から夕方五時まで、一日三シリンでどうかな。ここではこれが精一杯だよ」
「じゅ、十分すぎるよ! おいら、一生懸命働くよ!」
 ロイルは嬉しそうに顔をほころばせる。
 ロイルの母親だって、一日五シリン稼ぐのがやっとだろう。
 キムベ街の家庭であれば、一日六シリンもあれば生活できる。
 ロイルが十分すぎるというのも当然のことだろう。
 母親とロイルの稼ぎで十分暮らせ、さらにおつりまで出るのだから。
「では、今日からよろしく、ロイル」
 サイラスは微笑み、ロイルへ右手を差し出す。
 ロイルはためらいがちにおずおずと手をのばし、サイラスの手に触れたと同時に、一気にぎゅっとにぎった。
「よろしくお願いします!」
 そして、勢いよく頭を下げる。
 その頭を、やってきたカリーナがぐりっと乱暴になでる。
 ロイルはびくんと体をふるわせ、カリーナを見上げた。
 それから、遠慮がちにカリーナの服の袖をちょんとつまむ。
「……姉ちゃん、ありがと」
「うむ」
 つぶやくようなロイルの言葉に、カリーナは不遜に答える。
 ロイルは嬉しさに顔をほころばせ、目をうるませている。
 ようやく念願かなって仕事を手にすることが出来たのだから、それも当然だろう。
 しかも、とんとん拍子にすすんだだけでなく、予想外に給金もいい。
 こんな運がいいこと、幸せなことなんて、そうそうない。
 カリーナには感謝してもしきれないだろう。
 最初は嫌な女と思っていただろうけれど、現金なことに、ロイルは今ではすっかり心酔している。
 ルーディがロイルの顔をのぞきこむようにひょいっと顔をやった。
 ロイルは突然現れたルーディの顔に、ぎょっと目を見開く。
「そうそう、ロイル。手があいた時間は、読み書き計算を習うといいですよ。読み書き計算が出来るというだけで、将来つける仕事の幅が広がりますからね」
「うげっ、おいら、勉強嫌い」
 ルーディは人差し指を立てにっこり微笑み、諭すように告げる。
 そのわざとらしいルーディの言葉に、ロイルは思い切り顔をゆがめた。
 すると、今度はめっとたしなめるように、ルーディは眉尻を下げる。
「それでも、学びなさい。でないと、姫みたいになりますよ」
「それは悲惨だな」
 ロイルはどこか哀愁を漂わせ、心の底からぼそりつぶやく。
 たしかに、たかが勉強、されど勉強。勉強をさぼったために、カリーナのようになっては人生が終わる。それくらい、ロイルにだってわかる。
 最高の教育を受けているだろうに、どうしたらあんな無茶苦茶な王女様が出来上がるのだろうと思ったら、なるほど、勉強をしていなかったのか。勉強をしなかったら、人間として破滅的に終わるのかと、なぜか妙に納得してしまった。
 あんな大人にだけはなりたくない。
 もちろん、ルーディとロイルの暴言を聞き逃してなんておらず、カリーナは二人をじろりとにらみつける。
「何だと!?」
 思わず、その懐から、手榴弾のひとつやふたつ飛び出してきそうな勢い。
「わ、わかった、おいら、勉強も頑張るよ。ルディアのために」
 カリーナに一度も目を合わそうとはせず、ロイルはすがるように必死にルーディにそう告げる。
 すると、ルーディは満足げにうんうんうなずく。
「そうそう、その意気です」
 ルーディの向こう側では、その背にとびつかんばかりの勢いでばたばた暴れるカリーナを、カイが必死に取り押さえている。
 今この場で取り逃がすわけにいかないと。
 まさか、神殿で手榴弾のひとつでも投げられては、機関銃のひとつでもぶっぱなされてはたまらない。
 いつもルーディがカリーナの怒りをあおり、そしてカイが必死にとめる。
 どうしてカイはいつも、こんな役回りばかりなのだろうか。
 ただでさえ、カリーナ一人でも大変だというのに、ともに護衛にあたっているはずのルーディの面倒まで見なければいけないので、まったくもってカイは割に合わない。
 この分だと、むしろカイ一人でカリーナの護衛を勤めた方が楽かもしれないと、近頃は切実に思うとか思わないとか。
 どうやら、カリーナたちのこのやりとりなどなれたもののようで、サイラスはさらっと無視して、あっけにとられたようにカリーナたち三人を見ているロイルに微笑みかける。
 さっと、手を差し出す。
「それでは、ロイル、いらっしゃい。みんなに紹介しよう」
「は、はい!」
 サイラスの言葉にはっとして、ロイルは慌てて手をとり返事をした。
 カイの羽交い絞めによって、ようやくカリーナが大人しくなる。
 なんだか気持ちよさそうにカイに身をゆだねているあたり、大人しくのなり方が少し違うような気もするけれど、恐らく気にしてはいけないだろう。
 ルーディはあきれたように、カリーナをじとり見ている。
 ロイルがサイラスの手をとったことを見て、カリーナはどんとカイを突き飛ばした。
 そして、仁王立ちし、すっとカイへ手を差し出す。
「じゃあ、わたしたちは帰るか。カイ、ルーディ、行くぞ」
「はい」
 カイは微苦笑を浮かべ、カリーナの手をすっととった。
 ルーディもやれやれと肩をすくめ、カリーナに寄り添う。
 そして、三人は開け放たれたままになっていた扉から出て行こうとする。
 その時、ふと何かに気づいたように、カリーナが振り返った。
「あ、そうそう、神殿長。わたしは人を見る目がないんだ」
 カリーナは得意げに口のはしを上げ、にっと笑う。
 サイラスはおかしそうにくすりと笑うと、得心したようににっこり微笑んだ。
「ええ、存じております」
 その言葉を確認すると、カリーナは満足したように廊下の向こうへ去っていった。
 前のめりになるカイの手をぐいぐい引き、やっぱり我が物顔で歩いていく。
 それを見送りながら、サイラスはおかしそうにつぶやいた。
「ロイル、姫様に気に入られたようだね」
「……え?」
 ロイルは目を丸くし、サイラスをじっと見つめる。
 一体、あれのどこが、気に入られたということになるのだろうか?
 虐げられ、いじられ、おもちゃにされ、遊ばれているだけのような気がするのだけれど……。
 たしかに、カリーナはロイルに仕事を紹介した。だけど、それだけで?
 嫌われてはいないようではあるけれど、気に入られたという実感はロイルにはない。
 ロイルは思い切り首をかしげる。


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update:11/09/22