エメラブルーの王女(26)
カリーナ姫の野望

 この陰気な場所から見上げる空は、狭くいびつな四角にかたどられている。
 限られた土地しか与えられていないため、建物は横へではなく上へ上へとのびていく。
 何度も増改築を繰り返したため、それは不安定に見えながらも、絶妙な均衡を保ちとりあえずは崩壊することはない。
 しかし、ひとたび大きな地震でも襲えば、それはあっけなく瓦礫の山と化すだろう。
 崩れかけの壁。いびつな形をした建物。きらびやかな表通りと比べると、ここはなんと暗く沈んでいるのだろう。
 しかし、これでも、王都、そして比較的恵まれている方であり、ここよりもっと目もあてられない状態の土地が他にはある。
 王都の一角に、その存在を忘れられたかのようにあるキムベ街。
 忘れられたはずなのに、人々はそこへ近づこうとしていない辺りから、意識のどこかではしっかり存在を認めているのだろう。
 街灯ひとつないその路地に、狭い夜空から月明かりが差し込んでいる。
 今夜空にある月は、細い。
「おう、ロイル」
 夜半、家の窓がこつんと音を鳴らしたかと思うと、ロイルを呼ぶ声がした。
 その声を、ロイルはよく知っている。
 今にも壊れそうな硬く簡素な寝台に潜り込もうとしていたロイルはその声に気づき、さっと窓辺へ寄る。
 すぐ横では妹のルディアが心地よい寝息を立てている。
 ロイルは、ルディアを起こさないように慎重に窓を開ける。
 そして、ささやくように問い、そこに立つ青年を見る。
「パーシー兄ちゃん? どうしたんだ?」
「ちょっと、な……」
 窓を叩いたのはロイルのいとこ、パーシーだった。
 どことなくばつが悪そうにくちごもる。
 ロイルは不思議そうに首をかしげると、ふうと小さく吐息をもらした。
 そして、音が出ないように慎重に窓を閉じ、玄関へとやはり慎重に足をすすめる。
 きいと小さな音を鳴らし玄関扉を開けると、わかっていたかのようにそこでパーシーがロイルを待っていた。
 ロイルを確認すると、パーシーは親指をたて、くいっと後方を示す。
 ロイルはこくんとうなずき、音が出ないようにゆっくり扉を閉めた。
 玄関から出て、すぐ前の路地へ人目をはばかるように、ロイルとパーシーは身を滑り込ませる。
 そして、ロイルは「どうしたんだ?」と首をかしげてパーシーを見る。
 パーシーは目を泳がせ、落ち着きがない。けれどすぐに意を決したようにきっと顔をひきしめた。しかし、ロイルからぷいっと顔をそむける。
「なあ、ロイル、あの生意気な女、狙われているのか?」
 パーシーは狭い空からのぞく月を見上げ、ぶっきらぼうに言い放った。
 ロイルは一瞬何のことかわからず眉根を寄せたけれど、すぐに思い当たることがあったようにぱちりと一度まばたきする。
「生意気な女? 狙われて……? ――ああ、カリーナ姉ちゃん?」
「ああ、たしかそんな名前だったな」
 パーシーは興味なさげにつぶやきながら、ちらりとロイルを見る。
 ロイルは首をかしげながら、思わず腕組みをした。
「うーん、おいらにはわからないけれど、命を狙われることもあるんだろうなあ。だって、姉ちゃん、この国のお姫様だし」
「はあ!? お姫様!?」
 さらりと告げられたロイルの言葉に、パーシーはすっとんきょうな声をあげる。
 目をめいっぱい見開き、口をぱくぱく動かしている。
 あまりにもとんでもなく予想外な単語に、その後の言葉が出てこないらしい。
 その単語は、あの生意気な女≠ノは、いちばん似つかわしくない。
 しかし、ロイルは気にすることなく、こくりとうなずいた。
「うん、あのおつきの腹立たしい野郎たちがそう言っていたぞ。カリーナ姉ちゃんは、この国の王女だって」
「そうか、だから……」
「兄ちゃん? 何かあったのか? 姉ちゃんが危ないのか?」
 納得したようにつぶやくパーシーを、ロイルは怪訝に見つめる。
「何でもねーよ」
 ぺしっとロイルの額を軽くたたき、パーシーはぶっきらぼうに吐き捨てた。
 たたかれた額に手をあて、ロイルは物言いたげにパーシーを見る。
 一瞬、ロイルの目が悲しくゆれた。
 どこか元気を失ったような目で、ロイルはじっとパーシーを見つめる。
 そして、ぽつりつぶやいた。
「なあ、パーシー兄ちゃん、姉ちゃんも言っていたけれど、そろそろ真面目に働かないか?」
 まるで諭すような大人びたロイルの顔と口調に、パーシーはむっと唇を強く結ぶ。
 それを誤魔化すために、ロイルを鼻で笑うように小さな笑みを作る。
「なに、お前、あの女にたらしこまれたのか?」
 ロイルは一瞬衝撃を受けたように目を見開き、けれどすぐに何かを悟ったように首を小さく横に振った。
 再び、じっとパーシーを見る。
「そうじゃないよ。おいらだって、最初、ムカつく女って思って仕返ししてやろうと思ったけれど……でも違ったんだ。カリーナ姉ちゃんは、他の王族とか貴族とか金持ち連中とは違うよ。今の仕事だって、姉ちゃんに口をきいてもらったし。おいら今、姉ちゃんのおかげで幸せなんだ。だから、兄ちゃんも……」
「うるさい、がきは黙っていろ!」
 パーシーはかっと目を見開き顔を紅潮させる。
 そして、ロイルの肩をどんと押し、さっと背を向ける。
 怒りをこらえているのか、何かに耐えているのか、パーシーの肩はロイルから見てもわかるほど震えている。
 その背に向かって、ロイルは語気を強め語りかける。
「パーシー兄ちゃん、一緒に頑張って生きようよ!」
「うるせーっ」
 パーシーがいらだたしげに吐き捨てた時だった。
 パーシーのいく手に、近頃よく目にするようになった胸糞悪い連中が現れた。
 まるでいい獲物を見つけたかのように、にたにたと嫌な笑みを浮かべている。
 それはさながら、空腹を満たすためでなく遊ぶために鼠を捕まえた猫のようなたちが悪い目をしている。狩りを残虐に楽しむ目をしている。
 近頃この辺りを荒らすようになった、地上げ屋だった。
 もともと昼夜を問わなかったが、とうとう夜更け近くにまで出没するようになったらしい。


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update:11/12/05