エメラブルーの王女(27)
カリーナ姫の野望

 パーシーはいまいましげに小さく舌打ちする。そして、さっと振り返り、そこにいたロイルの手をつかみそのまま駆け出した。
 けれど路地から出ようという時、パーシーの肩が乱暴に後ろに引かれた。
 同時に、すぐ横の壁に勢いよく打ちつけられる。
「パ、パーシー兄ちゃん!!」
 ロイルが慌てて、壁に打ちつけられずるずる崩れ落ちていくパーシーに駆け寄る。
 パーシーをどうにか助け起こそうとするロイルに、ふっと陰がかかった。
 つつましやかながら届いていた月光が奪われる。
 苦しげに小さく声をあげるパーシーの目が険しい光を放ち、ロイルの背後をにらみつける。
 ロイルは思わず、パーシーを守るようにぎゅっと抱きついた。パーシーもまた、ロイルをかばうように、がばっとその体を覆う。
 くくくと愉しげな、けれど陰湿な笑い声が、静まり返った路地に響く。
「これはこれは、実に美しい兄弟愛だねー。けれど、その兄弟愛もこれで終わりだ」
 パーシーがにらみつける男――地上げ屋の一人が、赤くどろりとした舌で唇を一度べろりとなめた。
 そして、ぱちんと何かをはじく音がしたかと思うと、その手にあるものが銀色に光った。
 パーシーはとっさにロイルを抱きかかえぐりっと体をまわし、壁と自らの体の間に挟みこむ。
 震える手で、ロイルをぎゅっと抱きしめる。
 それと同時に、地上げ屋の手にあった小刀がパーシーめがけて振り下ろされた。
「ぎゃあっ!!」
 痛みに悶える叫び声が、静まり返ったキムベ街の路地に響き渡る。
 その叫びは、狭い狭い空にぽつり浮かぶ月に吸い込まれていくようだった。
 かばわれるように壁に押しつけられていたロイルははっとして、パーシーを押しのける。
 そして、その背後へ視線を向ける。
 パーシーも慌ててロイルにならった。
 たしかに小刀が振り下ろされたはずなのに、パーシーはまったく痛みを感じなかった。それだけでなく、先ほどの地を割るような叫びは何なのだろうか。
 二人が慌てて見たそこには、細い月明かりに照らされた大男が立っていた。
 その頬には、今夜の月によく似たかたちの傷がある。
 そして、その足元や背後では、たしかにロイルたちを痛めつけようと狙っていた地上げ屋たちが地面におさえつけられ、あるいは腕をねじ上げられている。
「連れて行け」
「はっ」
 男がそう指示を出すと、地上げ屋たちを拘束していた男――王都守備官の制服を来た男が鋭く答えた。
 ロイルとパーシーは思わずぽかんと、その光景に見入ってしまった。
 すると、ふと気づいたように、左頬に三日月の傷を持つ男がすっと口の端を上げた。
「ぼうず、無事か?」
 はっとして、ロイルは慌ててうなずく。
 パーシーの腕の中からへろへろにじり出る。
「う、うん、ありがとう」
「おう」
 三日月傷の男は人懐こい笑みを浮かべ、ロイルの頭をくしゃりとなでる。
「ところで、ああいう連中はしばしば来るのか?」
 そして、引っ立てられていく地上げ屋たちをちろりと横目で見る。
「え? あ、うん。ここのところ頻繁だよ。ほら、あそこの壊れた窓とか、穴が開いた壁、ああいうの全部あいつら地上げ屋の仕業だよ。他にもまだ何人か仲間がいるよ」
 ロイルが右側前方の建物、それから左側後方の建物を指差す。
 ロイルが指差した先には、たしかに破壊された跡が生々しく残っている。
「ずいぶん酷いことをするな。そうか、だから、ここで暴れて来いと言ったのか」
 ロイルの言葉を聞き、三日月傷の男は納得したように一度うなずいた。
「暴れて来い……?」
 ロイルが怪訝に三日月傷の男を見上げる。
 すると、三日月傷の男はぼきっと音を鳴らせ、肩を一度まわした。
「ああ、近頃なまっていけないとぶうぶう言ってくさっていたら、お姫様にここで大暴れして来いと尻を蹴られてな」
 三日月傷の男は、にっと、いたずらっぽく笑む。
 ロイルはあんぐり口をあけ三日月傷の男を見つめ、けれどすぐに何かに気づいたようにぽんと手を打った。
「あ、それ、姉ちゃ――姫様に、おいらがこのことを言ったからだ!」
「なるほど。だから、カリーナ姫は……。まったく、素直じゃないお姫様だな」
 三日月傷の男が得心したようにつぶやくと、二人の会話をまわりで聞いていた守備官たちも納得したように、おかしそうにくくくと笑い出した。
 ロイルも思わず、へにゃっと顔を崩す。
 三日月傷の男――ラルフも、カリーナが行って来いというくらいだから何かあるとは思っていたが、まさか地上げ屋が暴れているとは思っていなかっただろう。
 もとからこのつもりで――ラルフたちに地上げ屋を追い払わせるために、ここへ差し向けたのだろう。
 まったく、お姫さんにはしてやられたよとでも言うように、ラルフはおかしそうに目を細める。
「ぼうず、安心しな。頻繁には無理だが、時折この辺りを見まわってやるよ。俺たち、姫君に尻を蹴られるくらいには暇をしているからな」
 ぽかんと見上げるロイルの頭をぽんぽんなでながら、ラルフは豪快ににっと笑う。
 すると、すぐ横で微笑をたたえていた守備官の一人が、非難がましくラルフをじとりと見る。
「隊長、そのようなことばかり言っているから、城内のならず者集団などと言われるんですよ、あの姫君にすら」
「まあ、仕方ないだろう。あたらずとも遠からずといったところだしなあ。実際、城でいちばんたちが悪い隊だからなあ、俺たちは」
「全部ぐうたらな隊長のせいです」
 どうやら、あのならず者集団≠フ中にも、一人二人はまとも――まだましな者もいたらしい。
 夜通しで賭け事をしているだけが能ではなかったらしい。
「ローランドは手厳しいな」
「当然です。わたし以外に、誰があなたの手綱をとれると?」
 ローランドがどこか黒いものを漂わせにっこり微笑むと、ラルフは思わず絶句してしまった。
 あのラルフをいとも簡単にやりこめてしまうとなると、その言葉もあながち大げさではないらしい。
 さすが、ラルフの補佐を務める、王都守備官第五部隊副隊長ローランドなだけはある。
 ラルフがどうしようもない分、しわ寄せはすべてローランドにいっている。
「おっちゃんたち、姉ちゃんと仲いいのか?」
 やけに親しげにカリーナのことを語るラルフに、ロイルは思わずずいっと詰め寄り、その袖をぐいっと引っ張った。
 どこか目をきらきら輝かせ、嬉しそうにラルフを見上げる。
 ふと、ラルフの口元が優しげに上がる。
「ああ、お姫さんがしでかすいたずらには、たいてい一枚かんでいる」
 そして、いたずらたっぷりにさらっと言い放つ。
 ローランドが皮肉交じりに口の端をあげる。
「そして毎回、反省文を書かされるんですよね。懲戒処分を食らわないことが、いまだに不思議でなりません」
「ほら、それは人徳だろ? 俺の」
「……隊長ではなく、護衛官長の慈悲だと思います」
「そうか、そうとも言うな」
 ローランドがどこか哀愁漂わせつぶやくと、ラルフは豪快にあははと笑う。
 思わずぽかんと見ていたロイルもはっとして、一緒になって楽しげにけたけた笑い出した。
 もちろん、そこにとどまっていた守備官たちも、皆それぞれに笑い声を上げる。
 ただ、パーシーだけがいまだに、そこの異様な光景を呆けたように眺めている。


* BACK * NEXT *
* TOP * HOME *
update:11/12/20