エメラブルーの王女(28)
カリーナ姫の野望

 墨をたらしたような夜空に、少し欠けた丸い月だけが煌々と浮かんでいる。
 重苦しい空で自らを主張するように輝くその月は、どこか不気味さをはらんでいる。
 薄く開けられたままの窓から、月光を抱いた風がわずかに入り込む。
 うっすらと、カリーナの闇夜より暗い色の髪を揺らす。
 人払いしたカリーナの私室に、三人はいる。
 長椅子にふんぞり返るカリーナの前にルーディ、横にカイが立っている。
 扉の向こう、廊下にも人の気配を感じないことを確認すると、カリーナが促すようにあごをしゃくってみせる。
 するとルーディは薄くうなずき、おもむろに口をひらいていく。
「はじめに襲撃を受けた際のガルディアの矢については、現在調べさせています」
「なんだ、ルーディにしてはなまぬるいな」
 カリーナはすっと目を細め、いぶかるようにルーディを見る。
 たしかに、いつものルーディならば、その程度のこと、一日――いや、半日もあればどこからか調べ上げてくる。
 しかし、今回は何故か手間取っているよう。
 あれからまる一日が過ぎたというのに、まだ結果が得られていないということは。
 ルーディはどこか苦々しげに小さく唇をかむ。
 そして、吐き捨てるようにつづける。
「仕方がないでしょう、想定外なのですから。よもや、戦争を仕掛けてくるとは思っていなかったのですから」
「戦争?」
 カリーナは、突飛とも思えるルーディの言葉に怪訝に眉根を寄せる。
 戦争などと物騒な発想、一体どこからくるというのだろう。
 現在の世の中は、どこの国も多少の武力は有しているとはいえ、基本は平和を望んでいるものと思われている。
 下手にきな臭い動きを見せようものなら、周辺の国々から牽制がかかる。
 どこも、領地争いのための不毛な戦争は望んでいない。
 そのような無駄なことをしている暇があれば、内政を安定させ生活を豊かにさせることに力を入れる。
 それが、常識だと思われている。
 そんな中、わざわざ戦争をはじめようなどという愚かな国が、果たしてあるのか……。
 平和ぼけとも言われるが、それが現在の世界の常識となっている。
「そうです。一国の王女の命を狙ったのですから、宣戦布告には十分でしょう」
 ルーディは目に厳しい光をこめ、深くうなずいた。
 たしかに、王族暗殺ともなれば、対応しない国などないだろう。しかし、それが必ずしも戦争となるとは限らない。
 カリーナはどうにも腑に落ちないといった様子で首をかしげる。
 そして、手もとにふと視線を落とし、持っていた茶碗にもうお茶が入っていないことに気づく。
 すっと茶碗を持ち上げ、すぐ横のカイへ突き出す。
 すると、カイは手に持つ茶出し(ポット)から、からになった茶碗にかいがいしくおかわりをそそぐ。
 そのついでに、ぽつりつぶやく。
「しかし、それは覇王が許さないのでは?」
 人払いをしている時は、いや、人払いをしていない時も、気づけばカイは侍女の真似事をしている。
 それは、いやいやではなく、カイ自ら望んでしていること。
 侍女から仕事を横取りすることになるので、その点においてはかるく非難の視線を向けられることがある。
 しかしまあ、あの護衛官カイだから≠ニ、侍女たちも皆すぐに許してしまうようだけれど。
 カイのカリーナ好き好きっぷりは、王城に勤める者なら誰でも知っていることだから。
 下手にカイからカリーナを取り上げてしまうと、辺りに不機嫌をばらまいて面倒なことになる。同時に、カリーナからカイを取り上げても同じことが言える。
 カイとともにカリーナの護衛官をつとめるルーディは、その制止役としてはさっぱり頼りにならない。むしろ、あおって楽しむ節さえある。
 それがわかっているので、カリーナのために行われるカイの行動は、誰もとめようとしない。放っておくに限る。
「いくら覇王とて、理由が理由でなければ下手に手出しできないでしょう。それが世界の均衡を保つことに必要でなければ」
 ルーディはカイの言葉に、ふるっと小さく首を横に振った。
 カリーナはやはりどこか納得できない様子で、難しそうに首をかしげる。
「なんだ、案外面倒なんだな。覇王の一言でとめられないこともあるのだな」
「覇王とて万能ではありませんからね。あくまで、世界の統率者にすぎません」
「ふーん」
 どうにも気があるのかないのか、それともすでに興味を失ったのか、ルーディの言葉にカリーナはつまらなさそうにつぶやく。
 そして、カイがおかわりをそそいだばかりの茶碗に、ちょんと唇を寄せる。
 まだ熱くて、一気にのどに流し込むことができないよう。
 お茶はあきらめたのだろう、茶碗から唇をはなし、カリーナは思い出したように顔をあげカイとルーディを順に見る。
「それにしても、わたしたちが探っていることには気づいているだろうに、何故何もしてこないんだ? 妨害があって当然だと思うのだが」
 カリーナの常識からすれば、そういう悪いことを企む奴らは、邪魔なものは片づける、それが普通だろうとなっている。
 しかも、企みを暴こうとしているのだから、奴らにとって面倒以外の何者でもないだろう。
 それを阻もうとしないとは、どうにも腑に落ちない。
 どちらにしろ命を狙っていることに変わりないので、あえて動く必要もないということだろうか?
 けれど、動いているのはその暗殺対象者だけではなく、手駒たちもである。
 いくら目的の者を片づけても、それらも片づけないことには意味がないだろう。
 一人でも真相を知る者があれば、下手をすると、すべてが台無しになりかねない。
 仮にカリーナが奴らの立場なら、とりあえず邪魔者は処分する。そして、それから行動を再開する。
 そもそも、昨日の今日だから、まだそこまで手を打てていないのだろうか?
 ならば、思いのほか間抜けで腑抜けでたいしたことはない。
「我々にはとうてい調べられないとでも思っているのではないでしょうか? でしたら、なめられたものですが」
 ふむと理解したように、ルーディが告げる。
 しかし、ルーディにしては珍しいことに、その声にはどこか迷いがあるようにも聞こえる。
「いや……。もしや、それも罠のひとつとか?」
「どちらかというと、そちらの方が確率が高いな」
 ふるっと首をふりカイがつぶやくと、カリーナは大きくうなずいた。
 あえて油断を誘い、そしてそこで一気に仕留める。
 たしかに、その可能性も捨てきれない。
 しかし、目的がわからない以上、それらすべてが想像の域を出ない。しかも、ひどく曖昧な想像の域を。
 それでも、たとえそれが罠だとしても罠でなかったとしても、カリーナがとる行動は決まっている。ひとつしかない。
 カリーナは、さっぱり裏が読めないほど燃え上がるという、たちが悪い性質を持ち合わせている。
 カリーナはどこか愉しそうに、その口ににっと笑みを刻む。
「どうであろうと、わたしの縄張りをあらされるのは我慢ならん。やるぞ、カイ、ルーディ」
「はい!」
「もちろんです!」
 どうやら、それはカイとルーディにも言えることのようで、カリーナの言葉に二人は反対の意を見せることなく、すぐさま同意していた。
 二人の目もまた、愉しそうな光をはらんでいる。
 それを確認すると、カリーナは意気込むように言い放った。
「とりあえず、あの胡散臭い男、ループスとかいう奴をとっ捕まえて締め上げるぞ」
 そう宣言し、くくっと悪い笑いをもらし、カイがそそいだおかわりのお茶を一気にぐいっとあおった。
 カイとルーディは、力強くうなずくだけだった。
 裏が読めないからといってためらう必要はない。三人には似合わない。
 わからなければとりあえず行動に移す。それが、カリーナ、そしてカリーナに従う護衛官二人。
 後のことは、動き出してから考えればいい。
 動かなければ、何もはじまらない。


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update:12/01/01