エメラブルーの王女(32)
カリーナ姫の野望

「おや、またお会いしましたね」
 パーシーのすぐ背で、のんびりとした男の声がする。
 一瞬何が起こったのかわからずにいたが、すぐにばっと振り返る。
 すると、パーシーのすぐ背後で、そののどに剣の切っ先をつきつけられた男が皮肉るような笑みを浮かべ立っていた。
 一寸の狂いもなく、切っ先は綺麗に皮一枚すら傷つけることなくのどに触れるだけでとまっている。
 パーシーは思わず、ぎょっとその男を見る。
 そして、慌てて、剣から逃れるように、さっと横に飛びのいた。
「うそつけ。お前、ずっとわたしたちをつけてきていただろう。いつまでついてくるつもりだ!? まったく、どいつもこいつも忍び寄る者(ストーカー)みたいにねちねちついてきやがって。お前たちなどにかまっているほど、わたしは暇ではないんだ」
 カリーナは汚らわしそうに一気にそう吐き捨てる。
 カリーナが剣をつきつける相手は、昨日大通りで、そして先ほどエイドス街の商人の屋敷で会った、自称ガルディアからの観光者ループスだった。
「気のせいですよ。たまたま行き先が同じだっただけです」
 すごみをきかせるカリーナににっこり微笑み返し、ループスは剣の刃に触れ、それをゆっくりおろしていく。
 カリーナも舌打ちをひとつして、ぶんとわざと大きな音を鳴らせ、渋々ループスから剣を引き戻す。
 同時に、カイとルーディが、ループスからカリーナを守るように、その前にさっと身を滑り込ませた。
「行き先が同じなわけがあるか。誰が好き好んでこんな路地に入ってくるものか。しかも、観光者というならなおさらだ」
 ルーディに剣を手渡しながら、カリーナはいまいましげに吐き捨てる。
 そして、くるりと身を翻し、大通り、そしてそこから枝をのばす向かい側の路地へ向かい歩いていく。
 その先にはすぐに水路が見える。
 カイがカリーナの背にすっと付き従い、少し離れてループスを警戒するようにルーディが着いていく。
「それはそうと、今といい、昨日の鮮やかなお手並みといい、感服いたしました」
 さっさと放置されおいていかれたループスは、気にするふうなく、むしろ当たり前のようにその後に続き、何事もなかったようにカリーナの背へ話しかける。
 パーシーは状況がわからず、しばらくその場で呆然としていたが、はっと思い出したようにさらにその後へ続いた。
 この場でそのままカリーナたちと別れてもよかったけれど、今さら別れることもためらわれるらしい。
 それに、ループスの邪魔が入ったため中断され、カリーナとパーシーの話はまだ終わっていない。
「話を変えるな。別にお前が何を企んでいようがどうでもいいが、厄介事を持ち込むのだけは許さない」
 さっさと短い路地を抜け、水路沿いの道に出ると、カリーナはくるりと振り返り、後をついてきたループスをにらみつける。
 水路横は遊歩道になっており、ぽつりぽつり散歩を楽しむ人の姿が見受けられる。
 すぐ横の水路では、陽光を受け、宝石をちりばめたように水面がきらきら光っている。
 時折、小魚がはね、ぱしゃんと水音を生む。
 どこからか、甘い菓子の香りがほんわり漂ってくる。
 遊歩道までやって来たループスは少し驚いたようにカリーナを見つめ、そして不敵に口の端を上げた。
「その点は大丈夫ですよ。さすがはカリーナ姫ですね、簡単には誤魔化されてくれない」
「何が言いたい? というか、お前、わたしを知っているのか?」
 怪訝ににらみつけるカリーナに、ループスはにっこり微笑み返す。
 ぱたぱたと足音を立て、パーシーも追いついてきた。
 そして、少し間をおき、一触即発のような雰囲気をかもし出す二人を不安げにながめる。
 カイとルーディは警戒しつつも、今は動く気配はない。
「当然です。何しろあなたは有名ですから。ここ数日、街を歩いているだけであなたの噂はあちらこちらから入ってきましたよ」
「含みがある言い方だな」
 カリーナはすっと目を細め、ループスをにらみつける。
 煉瓦を敷き詰めた地面に、靴のかかとを一度かっとたたきつける。
 苛立ちながらもそれを上手く隠し、あまつさえ利用するカリーナに感心したように、ループスは口元をゆるませた。
 そして、一歩、ついっとカリーナに寄る。
 カイとルーディの気配が、ひときわ険しくなる。
「それよりご存知ですか? この近くの貧民街のことを。つい先ほど聞いた話ですが、どうやら今朝さらに売買が成立し、あの土地の三分の二ほどがすでにガルディアに渡ったようですよ」
 辺りをはばかるように声を殺しささやくループスを、カリーナはいまいましげににらみつける。
「何故お前がそのことを知っている? ……貴様、よもや首謀――」
「違います」
 すぐさまもたらされたループスの否定の言葉に、カリーナは苦々しげに舌打ちをする。
 やはり、一筋縄ではいかない男らしい。
 いきなりカリーナたちの前に現れたかと思うと、胡散臭い行動ばかりとっている。これでは疑ってくれといっているようなもので、だからこそ白だろうなんて、そんなありきたりな判断にはカリーナは至らない。
 むしろ、疑ってくれというのなら、遠慮なく疑う。
 もとより、そうやすやすと他人を信用するカリーナではない。
 一部はあっさり信用しているようにも見えるが、基本は人を簡単に信じないように教育されている。
 他人をたやすく受け入れることは、王族にとっては命取りとなる。
 カイもルーディもカリーナ同様警戒しているということは、すなわちこの男は信じるなということだろう。
 これ以上は無理だろうと早々に諦めていたが、そうでもなかったらしい。情報を引き出すという意味では、ループスはまだ利用できる。利用できなくなれば、さっくり切り捨てるか、善処≠キればいい。
 幸い、カリーナの傍らには優秀な護衛官が二人ついている。処理も容易だろう。その気になれば、周辺にいる王都守備官も呼び寄せられる。
「違うというのならひとつ聞くが、キムベ街の地上げ屋と覆面の男たち、あれは同一か?」
「恐らくは」
「……そうか、わかった。だからわたしが邪魔なのか」
 射抜くようにまっすぐにらみつけるカリーナに、ループスは迷いなく深くうなずいた。
 茶色の瞳の奥に、力強い光が見える。
 その目をカリーナはまっすぐににらみつける。ループスもそらすことなくカリーナを見つめ返す。
 ほんの数秒、けれどうんざりするほど長く感じる時間、互いに互いの真意を探るように見合った後、カリーナはどこか諦めたように細く息を吐き出した。
 同時に、カリーナはばっと足を踏み出す。
 それにあわせるように、ループスがさっと身を横にそらす。
 飛び出したカリーナは、ループスの少し後ろではらはら様子をうかがっていたパーシーの胸を突き飛ばした。
 その勢いで、パーシーは路地の中へ倒れこむ。
 どんと、背が建物の壁にぶつかる。
 パーシーはいきなりのカリーナの乱暴に抗議しようと顔をあげ、同時にびくりと大きく体を震わせた。


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update:12/02/09