姫君とこいごころ(1)
カリーナ姫の野望

 今年も、エメラブルーに蔦薔薇の季節がやってきた。
 王宮では毎年、王妃自慢の蔦薔薇の庭に花が咲く頃、その庭で、有力貴族の令嬢、夫人たちを集めて、王妃主催のお茶会が催される。
 この庭園だけは、王宮のあちらこちらにカリーナの破壊行為の爪痕が残る中、珍しく無傷のまま。
 王の胸像を躊躇なく破壊するカリーナでも、その庭でだけはいたずらができない。
 王宮で唯一、カリーナの被害に遭っていない場所と言っても過言ではないだろう。
 もし間違って破壊しようものなら、その後、王妃にさめざめと泣かれるので、それを恐れたカリーナはそこにだけは手出しができない。
 カイのじめじめ泣きながらのお説教、護衛官長の思わずその髪の心配をしてしまうお説教の次くらいに、王妃のさめざめ泣く姿はカリーナが苦手としている。
 初夏のおだやかな王宮の昼下がりに、切迫した叫びが轟いた。
「危ない、木が倒れるぞ!」
 若草色の衣装を身にまとった少女が、その叫びにはじかれたようにびくりと大きく体をゆらす。
 少女の目の前に、ぱらぱらといくらか、みずみずしくつやがある卵形の緑の葉が落ちてくる。
 ふと頭上に影がかかり見上げると、少女に向かって大木が倒れかかってきていた。
 どうやら、先ほどの緊迫した叫びは、少女に向けられたものだったらしい。
 王宮内の雑木林の横を、王妃自慢の蔦薔薇の庭へ向け歩いている時だった。
 迫る大木に恐怖で足がすくみ、その場から一歩も動くことができない。
 大木の下敷きになれば、よくて大怪我、最悪死ぬだろう。
 一気に絶望感に襲われ、少女は思わず目をぎゅっとつむる。
 すぐ目の前まで迫ったその大木は、次の瞬間、少女を押しつぶすだろう。
 その場を目撃してしまった誰もが、そして少女自身もそう思った。
 誰もがその最悪の状況を想像し、たまらず目をそむける。
 しかし、その瞬間はいくら待ってもやってこない。
 少女が不思議に思いうっすら目を開けてみると、目の前には陽光を受け艶やかにきらめく濡れるような黒髪があった。
「……え?」
「お怪我はありませんか?」
 その疑問のつぶやきを飲み込むように、優しげな声、そして優しげな藍色の瞳が少女に降り注いだ。
 気づけば、少女はその瞳の持ち主に抱きかかえられるようにして、呆然とそこに立っていた。
 すぐ横には、みずみずしい緑色の葉をたっぷり茂らせた大木が横たわっている。
 そこから瞬時に、今置かれた状況を少女は理解した。
「は、はい。ありがとうござ――」
「カイ!」
 少女が告げようとした礼が、その声によってかき消された。
 同時に、少女に触れていた手が、弾かれたようにはなれる。
 少女に向けられていた深い藍色の瞳が、声がした方へ愛しげに向けられる。
「何をもたもたしている。置いていくぞ!」
「は、はい!」
 視線をたどれば、すみれ色の衣装をふわりと風に遊ばせ、艶やかな黒髪を風にそよがせる少女が、上体だけをこちらへ向けている。
 その艶やかな黒髪の少女は、この国エメラブルーの第一王女、カリーナだった。
 そして、その横には、長い銀の髪が美しい青年が立っている。
 何故か少女の手には、小型の爆撃砲のようなものが持たれている。
「それでは、わたしはこれで失礼します」
 先ほど少女の危機を救ったその藍色の瞳の持ち主――カイは、かるく会釈をし、そう告げさっと背を向ける。
 そして、迷うことなくまっすぐ、立ち止まりカイを待つカリーナのもとへ幸せそうに駆けていく。
 その後ろ姿を、少女はぼんやり見つめる。
「イヴァンジェリン様、大丈夫ですか!?」
 そこへ、焦ったように問いかけながら、着飾った令嬢たちがぱらぱら駆けてくる。
 どうやら、これまでの状況を目撃していたのだろう。
 その令嬢たちとあわせるように、王宮守備官たちが駆け寄ってくる。
「え、ええ、何とか」
 イヴァンジェリンがしどろもどろに答える。
「それはようございましたわ。どうやら、お怪我もないようですね」
 そう確認すると、イヴァンジェリンの返答など待たず、集まってきた令嬢たちはそれぞれ語りだす。
 去っていく王女とその二人の護衛官の後ろ姿を、うっとり見つめている。
 もとより、彼女たちには、イヴァンジェリンの言葉など必要ないのだろう。薄情にも、それよりも気になることが他にあるために。
「さすがは、王女お気に入りの護衛官カイ様ですわ!」
「ああ、やっぱりカイ様は素敵よねー」
 令嬢たちは、もうすっかり小さくなった護衛官の背を、かわらずうっとり見つめている。
「カイ様だけでなく、ルーディ様もとっても素敵。あの銀の御髪なんてまるで妖精の王のようよ」
 小さくなったもうひとつの背に陽光を受け輝く銀髪を見つめながら、別の令嬢が吐息交じりにつぶやく。
 その横では、目をらんらんと輝かせた別の令嬢が、胸の前で両手を合わせて、やはりうっとり声を出す。
「そういえば、カイ様といえば、ルイスという家名はエメラブルーでは聞かないお名前だから、他国のご出身かしら?」
「まあ、では、ルーディ様のように跡取りではいらっしゃらないのね。他国に仕官できるということは」
「さあ、どうなのかしら? カイ様のことは、皆詳しく知らないのよ」
 つられるように、さらに別の令嬢が首をかしげて答える。
 その場は、王女付護衛官二人の話ですっかり盛り上がっている。
 それぞれにうっとり目をほそめ、そしてため息をもらし、護衛官二人に心奪われたように、もうすっかり姿が見えなくなったそこへ視線を向けている。
「それにしても、本当にお二人とも素敵よね。お二人にかかれば、世の男性たちなどかすんでしまうわ」
「姫様は気に入った者しかお側におかないというのも、わかるような気がするわね。あのお二人なら、わたしも他にはいらないわ」
 それぞれにうんうんとうなずきあい、いかに護衛官二人が素晴らしいか納得しあう。
 誰もが絶望を覚えた中、危機に陥った乙女を颯爽と現れ救うなど、まるで物語に出てくる騎士のよう。
 まさしく、護衛官二人は、令嬢たちにとっては理想の王子様像なのだろう。
「これまで何人もの護衛官がお側に仕えたけれど、すぐに暇を出されたのよね? そうして、ようやくあのお二人が姫様のおめがねにかなったと聞くわ」
 あらためて、その希少さ、素晴らしさに気づいたというように、それぞれ感嘆の声をもらす。
 そして、そのような二人に心から仕えられる王女もまた、同じ女性でも思わず見とれてしまう麗しさを持ち合わせている。
 誰もがそう納得して、そして見事なまでの理想的な構図だと確認しあったその時、そこへ冷や水を浴びせるような声がかかった。
「ルーディ殿は騎士団から引き抜き、あのカイという男などはどこからか拾ってきたというじゃない。素性の知れない者を側に置くなど、気が知れないわね」
 いまいましげに顔をゆがめ、群がる令嬢たちのもとへ一人の令嬢がゆっくりと歩み寄ってきた。
「ヴァ、ヴァレリア様!?」
 やってきたその令嬢の言動に、その場に集う令嬢たちが焦りの色をのぞかせる。
 よりにもよって王族相手に王宮でそのようなことを口にするなど、なんと恐れ知らずなのか。自らの首が惜しくはないのか。
 すぐ横には、倒れた大木の処理をしようと、王宮守備官も集まってきているというのに。
 かの姫は、王宮の者たちに慕われていると聞く。


* BACK * NEXT *
* TOP * HOME *
update:12/05/04