姫君とこいごころ(6)
カリーナ姫の野望

 カリーナの胸を不必要にざわめかせたあの蔦薔薇の庭のお茶会から数日が過ぎていた。
 あの日とその翌朝まで、カリーナは事あるごとに、八つ当たりのようにカイをいたぶっていた。
 それは、乱暴に暴力をふるったかと思えば、カイの胸に余すところなく槍をねじ込むが如く刺々しい言葉を放っていた。
 けれど、カイは何故か、それらすべて、妙におだやかな気持ちで受け入れていた。
 何しろ、それは、カリーナのわかりにくい、いや、とってもわかりやすいやきもちだと知っているから。
 お気に入りのおもちゃを他人にとられそうになってすねている、カリーナにとってはその程度かもしれないけれど、カイにはそれでも十分だった。
 あのカリーナが、あからさまに嫉妬を表に出している。それは、これまでは考えられなかったこと。
 いや、わかりやすすぎるくらい嫉妬心をめらめらたぎらせることもあったけれど、カイには何故かいつものそれと少し違うと思えた。それが、勝手だけれど、カイに幸福感を与えていた。
 しかし、数日もすれば、カリーナの気持ちも落ち着いたようで、すっかりいつも通りになっていた。
 いつも通り、ルーディとともにカイをいたぶり楽しむようになっていた。
 まあ、それはそれで、カイは悪くないと思う。
 むしろ、いつも通りにカリーナと過ごす日々は、カイに幸せしか与えない。
 いたぶられることが嬉しいなど変態だと、周りの者たちにののしられたってかまわない。
 すぐそばにカリーナがいる。それだけで、今のカイは満足なのだから。
 王城中庭の木の陰に身を寄せ、カイは青く澄み渡った空を見上げている。
 その手から、ちょうど青灰色の隼を放ったところだった。
 城の上空を、隼が一羽、気持ちよさそうに旋回している。
 かと思うと、すぐに体勢をただし、空の向こうへ向けて飛んで行く。
「あ、カイ、はっけーん!」
「え? 姫?」
 隼を見送り一息ついた時だった。
 そう叫ぶ声とともに、カイは背に衝撃を覚えた。
 振り向かずとも、その衝撃の正体を確かめずとも、カイには今背にしがみつくものが何であるかわかる。
 多少驚いた様子を見せながらも、背に感じるぬくもりに愛しげに目を細める。
 カイはすっと背に腕をまわし、しがみつくそれ――カリーナをゆっくり自らの胸へと移動させる。
「ほら、もたもたしていないで、さっさと行くぞ」
 その胸に抱きこもうとすると、カリーナはさっとかわし、逆にカイの腕をとりぐいぐい引っ張りはじめた。
 カイはちょっと残念そうに眉尻をさげ、けれどすぐに不思議そうな顔をつくってみせた。
「どちらへですか?」
「決まっているだろう、城下だ、城下!」
「はあ……。またお忍びですか」
 目をきらきら輝かせ、意気揚々と答えるカリーナに、カイは呆れたようにため息をもらす。
 どうやら、カリーナがカイを探していたのは、その姿が見えず不安から……ではなく、またお忍びに巻き込むためだったらしい。
 まあ、それ以外で、カリーナがカイを探すとは思えないけれど。
 ちょっぴり残念に感じつつ、楽しげに笑うカリーナにつられ、カイも思わず顔をほころばせる。


 三日後に開催される王家主催の舞踏会のため、普段より王都に滞在する貴族が増えつつある。
 それにより、王都に不慣れな地方からやって来た貴族のため、彼らが起こす小競り合いや小さな騒ぎも目立つようになってきた。
 いつもより少し雰囲気が異なる王都を、馬車が一台駆けていく。
 行き着けの仕立屋、茶葉屋、菓子屋などをまわり、帰路についている時だった。
 王都の大通りをゆっくり走るクリフォード家の紋章を掲げた馬車が、急停止した。
 その勢いのため、イヴァンジェリンの上体が前のめりに傾く。
 しかし、そのまま前壁に激突することなく、どうにかとどまった。
 一瞬不機嫌に顔をゆがめるものの、クリフォード家の御者はよく教育ができていることもあり、主を不快にする行為をしたとなると、それもやむを得ぬ何事かが起こったのだろうと、イヴァンジェリンはすぐさま判断した。
 気を取り直して、けれど不機嫌をにじませることを忘れず、イヴァンジェリンは物見窓から顔をのぞかせる。
「どうしたの?」
 馬車内からかかった声に御者は一瞬びくりと肩を震わせるものの、すぐさま主のもとへ駆け寄り恭しく頭を下げる。
「申し訳ありません。前方に人だかりができておりまして、やむなく急停車いたしました」
「……ふーん」
 御者の言葉に、イヴァンジェリンは興味なくつぶやく。
 けれどすぐに、その前方の人垣の中心になっているであろう人物の姿が飛び込んできて、思わず目を奪われたようにそこを凝視する。
 イヴァンジェリンが目にしたのは、下級貴族のものらしい馬車が道をふさぐように停まっているところだった。
 一頭しかいない馬は、どことなく興奮気味にぶるると身を震わせ、鼻をならしている。
 その横には、ようやく十になったばかりだろう少女が、素焼き煉瓦の地面にぺたりと座り込んでいる。
 それを威圧的に見下ろす、その馬車の御者らしい男。
「子供、この馬車がどなたの馬車かわかっているのか!」
 どうやら、少女は馬車の前に飛び出しでもし、その進行を妨げたらしい。
 馬車の窓からは、にやにやといやらしい笑みを浮かべた、小太りの男が顔をのぞかせている。
 御者は手に持つ馬用の鞭を、今にも少女めがけて振るいそうなほど憤っている。
 後に、馬車に乗せる主に厳しい叱責でもされるのだろうか。何かに怯え、そして少女にそのすべてをぶつけようとしているらしいことが見て取れる。
 なんとも小心者のよう。
 窓からのぞくその嫌味な男を見れば、御者の怯えようも納得ができる。
 男はまるではやしたてるように、御者に気持ち悪い視線を注ぎ続けている。
 さっさとその子供を鞭打ちにしろと、視線だけで告げている。
 その様子を目にし、イヴァンジェリンは胸にざわりと嫌なものを感じた。
 少女たちのまわりでは、不安そうな、または野次馬根性まるだしの通行人たちが、ただただ成り行きを見守っているだけ。誰も少女を助けようとする者はいない。
 御者がそのまま鞭を振り下ろせば、少女は間違いなく大怪我を負う。
 それがわかっていても、誰もこの場をどうにかしようと、好転させようとする者はいない。
 それは、下級とはいえ相手が貴族だから仕方ないのだろう。
 庶民は、保身のため貴族には逆らわない。
 その様子を、イヴァンジェリンはぐるりと見まわす。
 このままここで様子を見ていてもいいのだろうか、しかしここで出てしまったら面倒なことになるかもしれない。
 少女を助けたい気持ちとそれを恐れる気持ちが、イヴァンジェリンの中でぐるぐるまわる。
 そうして、行動に移しあぐねている時だった。
 ついに、御者の手にある鞭が振り上げられた。
 どこからともなく、声にならない悲鳴があがる。
 耳障りなうなりを上げて、少女めがけて鞭を振り下ろそうとした手が、何故か次の瞬間ぴたりととまった。
 一瞬何事が起こったのかと見やれば、御者の鞭を持つ手首ががっちりつかまれていた。
 そして、そのまま乱暴に振り払われ、御者はたたらを踏む。
 どうにか踏みとどまり、御者はぐるりと顔をまわすと、その原因を作ったそれをいまいましくにらみつける。
 御者が視線を向けた先には、にらみつけるように立つ黒髪が美しい青年がいた。
 両手をはらうようにぱんぱん打っている。
 その平然とした態度に御者も、そしてその主である馬車内の男も、満面に怒りをにじませ目を見開いた。
「無礼者! 貴様、貴族に逆らうか!? どれほどの罪深さかわかっていての振る舞いか!?」
 男がそう叫ぶと、はじかれたように御者がたたずむ青年へ向けて、持っていた鞭を振り上げた。
 同時に、青年と御者の間に、すっと人影が現れた。
 青年はそれまでのひょうひょうとした顔が幻だったかのように、瞬時に顔を真っ青にして、慌てて現れた人影をかばうように抱きしめる。
「カイ、邪魔立てするな……!」
「あなたは馬鹿ですか! あなたがわたしをかばってどうするんですか!」
 そして、二人同時に、非難がましく叫び合う。
 少女をかばった青年――カイが逆上した御者に鞭打たれようとし、そのカイを人影――カリーナがかばおうと躍り出た。
 それをさらに、カイが慌ててかばった。
 カリーナにかばわれてしまったら、カイは立つ瀬がない。
 命をかけて守る王族にかばわれる護衛官など、一体どこの世界にいようか。
 いや、それは建前で、カリーナがたとえすり傷程度でも傷つくなどカイは許せない。生きた心地がしない。


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update:12/05/25