姫君とこいごころ(7)
カリーナ姫の野望

 現在の状況を一切無視して、何故かいがみ合いをはじめたカリーナとカイのもとへ、ルーディが唇の端に笑みを浮かべ、あっけにとられる人垣をわけゆったりとやって来た。それから、二人を楽しげに観察しはじめる。
 二人を止める気も、この騒動に介入する気もまったくないらしい。
 カリーナは抱き寄せるカイの胸を突き飛ばし、さっと離れる。
 そして、どこか苦しげにカイをにらみつける。
「だってお前、昨日も鞭打たれたばかりだろう!」
「それは、姫が脱走するからですよ。姫さえ大人しくしていてくだされば、わたしも鞭打たれずにすむんです!」
「へたれな護衛官なお前が悪い。責任転嫁するな!」
 カリーナはいまいましげに、口答えするカイをにらみつける。
 ぺちょり座り込む少女も、鞭を持つ御者も、馬車の男も、さらにはこの状況すらさらりと忘れ、カリーナとカイはそのような不毛な言い争いをはじめた。
 それを、ルーディはやはり他人事のようにただ傍観している。
「ああ言えばこう言う。まったく、口が減らないお姫様ですね!」
「黙れ、カイ。わたしに理屈をこねるな!」
 そう叫んだかと思うと、カリーナはどこか苦しそうにカイをにらみつけ、うーとうなるような声を絞り出した。
 その目は、どことなくうるんでいる。
 それにはっとして、カイは再び、あたふた慌てはじめる。
 いくら鞭の前に躍り出たカリーナに心臓が止まるほどの恐怖を覚えたからといって、少しばかり言い過ぎたのではないかと、カイに後悔がどっと押し寄せた。
 それに、よくよく考えれば、カリーナはカイをかばおうとして……。
 瞬間、カイの顔がかっと真っ赤になる。
 思わずよろりとよろけ、ばっと口元を右手でおさえる。
 カリーナはその華奢な体いっぱい使い、鞭に痛められようとしたカイを守ろうとした。
 さながら、情熱的な愛の告白ではないか。
 それが、どれほどカイにとって喜ばしいことか。
 ……悲しいことに、カリーナにとってはそうではないと気づいていようとも、カイには関係ない。
 真実ではなく事実が、今のカイにとっては大切なこと。
 カイとて、本当にかばわれたいわけではない。そのようなことは死んでもさせられない。その心が、その思いが、カイにとってはこの上なく幸福を与えるだけ。
 気持ちだけで、十分。気持ちだけで、カイは喜びのあまり昇天すらできてしまう。
 とっさの行動に、カイはカリーナの思いの一片を見る。とっさにかばわれる程度には、カイはカリーナに気に入られている。その事実が、カイにとっては何よりも大切なのだろう。
 カイはいつも、カリーナのいたずらのため、かわりに鞭打たれている。
 しかもその際使われるものは、人用ではなく馬用の鞭。
 それが、カリーナにとっていちばんの罰になる。
 カリーナはそれを知っているので、カイが鞭打たれることを厭い、とっさに飛び出したのだろう。
 カリーナのためにカイが痛めつけられるのはかまわないが、それ以外で痛めつけられるのはカリーナは許せない。
 よって、カイを痛めつけられたくなければお(いた)をしなければいいという選択肢は、カリーナにはない。
 カイもそのことに薄々気づいているけれど、何故か不思議と胸にぬくもりを感じている。
 本来ならば、憤らねばならないところのはずなのに。
 今にもその深い緑色の大きな目からぽろりとしずくが落ちそうになった時、カリーナはきっと顔をひきしめた。
 そして、言い合っていたカイを振り切るように、「ところで」とつぶやくと、馬車の男へさっと振り返った。
「無礼者はお前だろう。お前こそ、わたしを誰だと思っている。このような往来で無謀な走りをするなど、お前の脳みそはへちまか」
 カリーナは、馬車の男にびしっと人差し指をつきつける。
「へちま、すなわち、中がすかすかですか」
 誰に聞こえるともなく、ルーディが得心したようにつぶやく。
 カイが場に踏み込んだのは、たしかに鞭が振り下ろされようとした時だったけれど、その騒動の起こりは見ている。それまで、御者が、男が、どう行動に出るか様子見をしていた。
 御者と男が適切な行動に出ていれば、カイも介入することはなかった。
 そもそもの発端は、少女が馬車の前に飛び出したからではない。
 人々が行き交う中、馬車が暴走といえる勢いで乱暴に大通りを飛ばしていたことが原因。
 勢いよく走ってくる馬車に気づき、人々は皆、慌てて道のはしによけた。
 ただ少女だけが、その速度についていけず、馬車の前に取り残されてしまった。
 そこで、御者が慌てて手綱を引き、馬車が道をふさぐかたちで急停止した。
 そして、少女が鞭を振り下ろされるに至った。
 不遜ににらみつけるカリーナを、男は気おされたようにまじまじ見る。
 そして、男ははっとしたかと思うと、転げるように馬車から飛び出してきた。
 それから、地面にこすりつける勢いで頭を下げる。
「こ、これはこれは、気づかず申し訳ございませんでした。――ほら、さっさと馬車を出すんだ」
 男はそう叫ぶと、あっけにとられ控える御者の尻に蹴りをひとつ浴びせ急かす。
 けれど、これだけの無礼をはたらかれてこのまま黙って引き下がるのかと、御者は不満げに男を見つめる。
 後にすべて御者のせいにしひどい仕置きを受けるはずだから、ならば今のうちにここでその鬱憤のいくらかは晴らしておいてもらった方が随分いい。
 御者の目は如実にそう語っている。
「し、しかし……っ」
「いいから、出せと言っているのが聞こえんのか!」
「は、はいっ」
 男の剣幕に、御者も逆らってはまずいと判断したのだろう、慌てて御者台に乗り込む。
「それでは、私どもはこれで失礼します」
 男もへらりと愛想笑いを浮かべ、カリーナにぺこぺこ頭を下げ、あいたままになっていた扉から馬車に乗り込む。
 そして、その内部から、乱暴に天井を打ちつける音が聞こえた。
 それが合図となり、馬車は逃げるように動き出す。
 男を嘲るように見下ろす少女は、姫≠ニ呼ばれていた。
 そう呼んだ青年は、よく見れば護衛官の制服を着ている。
 一見それとはわからない作りをしていることもあり、一般には護衛官の制服は知られていない。
 しかし、辛うじてひっかかっている程度でも貴族であれば知っている。
 黒髪の護衛官はカイ≠ニ呼ばれていた。では、後からやってきた銀髪長髪の護衛官はルーディ≠セろう。
 そのような護衛官を従えている王族は、エメラブルーには一人しかいない。
 国王と王太子に溺愛されている、王女カリーナ、その女性(ひと)しか……。
 噂とは大分違うようだけれど、元来噂というものは実にいい加減なもの。よって、このふてぶてしい少女は、王女で間違いないだろう。
 殊勝にもそれに気づき、男は慌てて叩頭した。
 そして、逃げるようにその場を去っていく。
 末席の貴族にとって、目の前の不遜な少女に逆らうことは得策ではない。言葉ひとつで簡単につぶされる。
 それに気づけただけでも、まだ救われる方だろうか。その人格は救いようがないようだけれど。
 ただし、詰めが甘いことにはかわりない。
 その粗末な馬車に刻まれた家紋を、ルーディという魔王にしっかり見られていたのだから。
 男の貴族としての命運は、恐らく、明日には尽きていることだろう。
「だから、馬車を暴走させるんじゃないと言っているだろうがー! このざる頭がー!!」
「姫、どうどう」
 逃げさる馬車へ向かって、カリーナは両手を振り上げ怒鳴る。
 カイは背から抱きしめるように取り押さえ、今にも暴れだしそうなカリーナをなだめる。
 もちろん、そのようなことで、命の危機すら覚えた馬車が速度をゆるめるはずはなかった。
 その様子を、イヴァンジェリンは物見窓から見ている。
 いつもたおやかで美しく気品に満ちた王女の違った一面を見て、驚きと同時に目を奪われていた。
 イヴァンジェリンにはできなかったことを、王女は当たり前のようにさらっとしてのけた。
 護衛官がついているから強気に出られるのか、それとも元来、正義感が強くそのためにむちゃもしてのけるのだろうか。
 自ら鞭の前へ躍り出るなど、イヴァンジェリンには決してできない。
 けれど、王女のように振る舞えば、イヴァンジェリンもまた同じように、たくさんの者たちから愛される存在になれるのだろうか?
 そう思うとどことなく胸がきゅっと苦しくなり、イヴァンジェリンは御者に静かに指示を出す。
「……行って」
 そうして、何事もなかったように、馬車は王都の中に消えていく。
 馬車が去ったそこもまた、すっかり普段の様子を取り戻していた。
 ただ、助け起こされた少女が、うっとりと王女を見つめているだけ。
 そして、その王女を、護衛官二人が微笑ましげに見守っている。


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update:12/05/29