姫君とこいごころ(8)
カリーナ姫の野望

「姫、逃げないでくださいね」
「……わかっている」
 月がすっかり空の真上に昇った頃、日頃の王城はそろそろ静けさに満たされてくる。
 しかし、今宵はどうも違うようで、王城中が人々のざわめきに満たされている。
 ざわめきだけでなく、夜警のための松明のあかりでは不足とばかりに、王城中が夜空の星も逃げ出してしまいそうなほど煌びやかな光に満ちている。
 王城の門前には、そこをくぐるためにしつらえのよい馬車の長い列ができている。
 ようやく城門をくぐり車寄せにやってきた馬車から降りると、着飾った者たちがそこに控える侍従に書状を手渡している。
 それは、王宮内へ入るための招待状だろう。
 今宵、王宮では、年に一度の、国中の貴族たちを集め、その慰労のための王家主催の舞踏会が催される。
 夕刻頃からぞろぞろやって来た馬車は、その貴族たち所有のもの。
 さすがに、夜会嫌いのカリーナとて、王家の一員のため、そのような場に顔を出さないわけにはいかない。
 ライラに笑顔で脅されたこともあり、渋々出席のための整えを終えたばかりだった。
 往生際悪く、さあ、ここからどうやって逃げ出そうかと思案していたところ、王女の仕度を終えた侍女たちと入れ違いに、カリーナの考えなどわかっていたとばかりに、カイとルーディがやって来た。
 二人はすでに仕度が済んでいるようで、いつもの護衛官の制服ではなく、それぞれ正装に身を包んでいた。
 そして、現在に至る。
「というか、こう両脇からがっちり捕えられていたら、逃げたくても逃げられないだろう。何より、この無駄にびらびらの衣装が重くて仕方がない」
 カリーナはとらわれたままの腕をぎこちなくのばし、淡い桃色の衣装をつまんで見せる。
 この期に及んで逃げようとしていたことなど、さらっとなかったことにする。
「諦めてください。……我々もまだ、王妃に殺されたくはありませんので」
 もちろん、カリーナの思惑に気づいていないわけではないが、ルーディもまた何事もなかったように、しれっとした顔でさらっと言い放った。
 カリーナは物言いたげにルーディを見て、そしてこれ見よがしに大きくため息をもらす。
「……それも、わかっている」
「そうですか、助かります」
 ルーディはにっこり笑ってうなずく。
 カリーナはやはりルーディをじとりと見て、それからふるっと小さく首を振った。
 これ以上何を言っても無駄だと、早々に諦めたのだろう。
 たしかに、ここで諦め悪くカリーナが逃亡しようものなら、それを阻止できなかった罪で、カイとルーディは王妃ライラに殺されるだろう。
 そうなるとさすがに、カリーナでも寝覚めが悪い。
「では、そろそろ時間のようですし、参りましょうか、姫」
 うんざり気味のカリーナをなだめるように、カイが優しげに声をかける。
 カリーナはついっと顔をあげ、じっとカイを見つめた。
 それからやはり諦めたように、渋々ゆっくりうなずく。
 そうして、今宵の舞踏会場となっている、王宮一階の大広間へ長い廊下を歩いていく。


 大広間では、すでに招待された貴族たちで満たされ、見た目だけは優雅な会話でざわめいていた。
 そこに集うは、ここぞとばかりに毒々しいまでに着飾った淑女や、滑稽なまでに気取った紳士たち。
 こちらで野心のため有力者に取り入ろうとあいさつ回りに精を出しているかと思えば、あちらでは有望な男を物色する女狐のような者もいる。
 舞踏会場では開始前から、それぞれの思惑が渦巻いている。
 そこへ、舞踏会の開始を告げるごく短い華やかな楽曲が高らかに響き渡った。
「国王陛下、王妃陛下、ご入場ー!」
 大広間前方扉横に立つ侍従が、そう宣言した。
 それまでおしゃべりに興じていた者たちは皆ぴたりとやめ、まるでそう定められていたかのように、それぞれの位に見合った場所へ移動し、一段高くなったその場所をまっすぐ見る。
 すると、そこへ優雅にゆっくり、今宵の舞踏会主催者、王と王妃が姿を現した。
 同時に、皆、恭しく頭を下げる。
 王は王妃とともに、そこに置かれた絢爛な椅子に腰かけると、集う者たちに頭をあげるよう手で促す。
 頭を下げつつもそれをしっかり見て、貴族たちは頭を上げていく。
 つづいて、その中の何人かが、ちらちらと、先ほど王と王妃が入ってきた扉へ視線を移す。
 すると、それに触発されたように、次第に視線を送る者が増えていく。
 それを待っていたかのように、そこに控える侍従が再び口を開く。
「第一王女殿下、ご入場ー!」
 王と王妃が入り一度閉ざされていた扉が、再びゆっくり開いていく。
 そして、そこに現れたのは、長い黒髪きらめく、桃色のふんわり衣装に身を包んだ、麗しい少女だった。
 右手に黒髪の青年、左手に銀髪の青年を従え手をとられ、余裕たっぷりの笑みを浮かべゆっくり歩みを進める。
 瞬間、大広間内から音が消えたかと思うと、次には、大歓声に包まれた。
 このような華やかな場を嫌う王女が珍しく出席したことに、皆驚きと喜びを爆発させる。
 期待をしていなかったわけではないが、けれどこれまでのことからそれを裏切られることも考慮に入れ、過度なそれは禁物とそれぞれ自らに言い聞かせていたのだろう。
 それらがあいまって、この場が王と王妃の入場よりも盛り上がることになっている。
 王女カリーナはぐるりと大広間を視線だけで一度見回し、両脇に従える青年二人にそれぞれ小さく笑みを向け促す。
 その二人の青年が誰であるか、この場に出席している者ならば知らない者はいない。
 その二人は、王女に唯一認められた護衛官たち。
 本来、護衛官は舞踏会には護衛のため控えるのみで出席できないが、この二人だけは特別。
 このような場に出席となると、同伴者(パートナー)が必要となるが、生憎王女にはまだ相応しい相手がいない。
 通常、ふさわしい同伴者がない令嬢は、父親や兄弟などの親族がその代役を勤めることになるが、王女にはそれらもいない。
 王女の兄である王太子がその役を務めることもあるが、現在、王太子は外遊に出ているため国内にいない。
 では、他に適任者は……となると、護衛官二人しかいなかった。
 カリーナの同伴者は、カイとルーディにしか勤まらない。
 他の者がどんなに望んでも、あっさり門前払いを食らう。
 ルーディは有力貴族子息で、カイも他国の貴族。
 護衛官ということを除いても、二人には一貴族として十分に出席する資格がある。
 よって、誰も否を唱えることができない。
 二人とも同伴する必要はないが、どちらか一方を選ぶと、それはそれで後々面倒な憶測が広まることを恐れて、あえて二人を連れてきたのだろう。
 そう判断することもできるか、カリーナの場合は、たんに面白くない夜会を自力で少しでも面白くしようという思惑から二人同伴となった。
 男女問わず妙齢の者たちが、うらやましげに姿を現した三人を見ている。
 紳士たちは護衛官の位置に立ちたいと、淑女たちは王女の位置に立ちたいと。


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update:12/06/02