姫君とこいごころ(10)
カリーナ姫の野望

 誰もが大広間中央で舞う王女とその護衛官に魅入られていく。
 絡繰り自鳴琴(オルゴール)で舞う機械仕掛けの人形のようにくるくるひらひら舞う優雅で可憐な二人を、大広間に集う者たちはまるで時間を失ったようにただただそこを見つめている。
 何人たりとも、たとえ神であろうとも侵し難い光景がそこにある。
 そこは、まるで二人のためだけに用意された舞台のよう。
 言葉を忘れ、瞬きすら忘れ、舞う二人をその目にとらえている。
 あれほどルーディに迫っていた令嬢たちもまた、複雑な表情を浮かべその光景に見入っている。
 楽しげに舞う二人には、人々に二人以外のすべてのことを忘却させる魔力がある。
 大広間中央でたった二人で躍るカリーナが、注目を浴びていることなど意に介さず、いや、重々承知していてなお、誰も不思議と思わないほど自然にカイの耳元に頬をよせた。
 そして、まるで愛を語るようにそっとささやく。
 誰の目にも、ただ親しげに踊りを楽しんでいるようにしか見えない。
「カイ、足を踏むなよ」
 耳に吹き込まれるあたたかな吐息とともに、カイの体中へ甘いしびれが広がっていく。
 ぞくりと、カイがわずかに身を震わせる。
 それは、頬を寄せる少女にさらに愛しさを募らせる甘いしびれ。
 けれど、その目は変わらず優しげに少女をとらえているので、カリーナは気づいた様子はない。
 いや、カリーナもまた、弾む自らの胸を必死になだめることに気を払い、カイのわずかな変化に気づく余裕がなかった。
 いつものカリーナなら、このような失敗はしない。
「姫の方こそ、足を踏まないでくださいね」
「失敬な。わたしはお前ほど踊りが下手ではない」
 カイが事も無げにさらっと答えると、カリーナはむっと眉根を寄せた。
 二人に目を奪われる者たちにわからぬよう、カイにだけ向けカリーナはするどい視線をぶつける。
 けれど、カイはやはり、何事もないように、唇に笑みをのせている。
 普段は散々カリーナにいじめられているくせに、こういう時だけは取り繕うので、カリーナもいたぶり甲斐がない。
 このような場でこそ、うろたえ無様な姿をさらしてくれなくてはいじめ甲斐がない。
 必要なところで失敗しないカイなど面白くない。
「いつも躍りの練習をさぼっている人がよく言いますね」
「完璧だからさぼるのだ。そのような暇があれば、城下視察をせねばな」
「脱走している暇があれば、もう少し淑女としての教養を身につけていただきたいものですね」
 そして、いつもなら簡単にやりこめられるのに、カイは今夜に限ってしぶとく食い下がる。
 けれど、カリーナは面白くないと言いつつ、胸がわくわくして、カイとの衆目を集めつつの秘密の会話を楽しんでもいる。
「わたしは完璧なのだから、これ以上必要ない」
 カリーナは優雅に足を運びつつ、カイの腕の中で胸をはる。
 カイは呆れたように、がっくり肩を落とした。
 けれど、二人を見つめる目は変わらず微笑ましそうだったり、嫉妬に狂っていたりと、先と変わることはない。
 一体、傍目には、二人はどのように見えているのだろう?
 愛を語らっているようにでも見えているのだろうか?
 ならば、カリーナにとっては望むところ。
 こうしてカイはカリーナのものと見せつけて、余計なことを考える輩の牽制になる。排除できる。
 とにかく、カイはカリーナのもの、カイに手を出してはならない、それを印象づけることが、この踊りの目的。
 まわりの様子を見る限り、現時点では、カリーナの目論見はうまくいっているよう。
 カリーナはカイの胸に頬を寄せるようにして、にっと笑む。
「カイ、見ろ。みんなわたしの美しさに見ほれているぞ」
「はいはい。調子にのっているところびますよ」
 カイは呆れがちにそう言うと同時に、カリーナの体を軽々と一回転させる。
 桃色のドレスの裾が、星をきらめかせたようにふわり舞う。
 再び、カリーナとカイの顔が向かい合うと、カリーナはいたずらっぽく小さく笑んだ。
「それも楽しいな。王女に恥をかかせたと貴族どもがいきり立ち、お前は鞭打ち千回、……いや万回ほどを食らう。あと、一年間給料なしの刑だな。――ためしてみるか?」
「むちゃくちゃですね。……まあ、給料なしの前に、私の首はつながっていないでしょうけれどね」
「よくわかっているじゃないか」
 カイの胸に額を寄せ、カリーナは意地悪くくくっと笑う。
 けれどすぐにそこからはなされたため、傍目には踊りの揺れでたまたま一瞬触れ合ったようにしか映らなかった。
 まさか、意思をもってカリーナがカイの胸に額を寄せたなど、誰も思わないだろう。
 確信をもってしているから、たちが悪い。
 そして、それをわかって許しているカイもまた、たちが悪い。
 意図はどうであれ、互いに触れ合いたかった、ということだけが真実だろう。
 もっとたくさん、もっと長く、もっと大きく、互いに体温を感じあいたい。その思いが、二人の行動の原動力。
 数多の眼差しが注視する中、正々堂々触れ会うことができるのはこういう時しかない。この機会を逃してはかなわない。
 ならば、与えられたこの機会をおおいに利用しなくてどうするのだろう。
 きっと、カリーナもカイも同じ思いで、この危険な遊びすら楽しんでいる。
「だから、姫、くれぐれも余計なことはしないでくださいよ。あなたの護衛官が勤まる者など、わたしと……悔しいですがルーディくらいのものです。わたしの首が飛べば、後で姫がルーディにねちねち嫌味攻撃をくらうはめになりますよ」
「……それは嫌だな」
 カリーナが顔を伏せ、どこか戦慄したようにゆがませた。
 カイは目を細め、怯えたようなカリーナを愛しげに見つめる。
 カリーナの瞳にまっすぐ視線を合わせる。
 そして、大げさなほどにっこり微笑んだ。
「では、わたしを陥れようとせず、しっかり王女の踊りを披露してください」
「わたしに命令するな。カイのくせに生意気だぞ」
 カリーナはぷっくり頬をふくらませ、非難がましくカイをにらみつける。
 その時、ふと、カリーナの視線のはしに、うるんだ瞳でぼんやり二人を見つめる令嬢たちに気づいた。
 その視線の先をよくよくたどると、すべてカイに向けられている。
 カリーナの頬はさらにぷっくうとふくらみ、カイの耳元にさっと顔を寄せる。
「カイ、わかっているだろうな。お前は舞踏会を楽しめないぞ。今日はずっとわたしの護衛だ」
 ふいに怒気をはらみ告げられたそれに、カイは目を見開き、すぐ横にあるカリーナの顔をまじまじ見つめる。
 カリーナもさっと目をカイに向けると、ばっちり二人の視線が絡み合った。
 一瞬、二人の踊りの足運びが、動揺したようにぶれた。
 けれどすぐさま、完璧な足運びに戻る。
 訴えるように見つめるカリーナに、カイは思わず顔をほころばせる。
 どうやら、カリーナが意図するものに気づいたらしい。
「承知しておりますよ。もとより、姫以外の女性の手をとる気などさらさらありません」
「わたしがそれだけで満足すると?」
 カリーナは探るようにカイを見る。
 あまりにも正確にカイが意図を読み取ったので、逆にそれがカリーナにわずかな不安を覚えさせる。
 本当に、カイはカリーナ以外の女性の手はとらないでいるのだろうか?
 カイは困ったように眉尻をさげ、安心させるようにカリーナに微笑みかける。
 カリーナを見つめる目は、どこまでも優しい。
「まったく、姫は欲張りですね。どれだけわたしに恥をかかせて笑い飛ばせば気がすむのですか」
「三日ほど立ち直れないほどにだ」
「……意地悪ですね」
 不安を隠すためぷりぷり怒りながら、カリーナはぶっきらぼうにつぶやく。
 カイは思わず、また頬をほころばせ、口元をゆるめてしまった。
 そのようなことをしなくても、カイの目にはカリーナ以外は映らないというのに。
 そのようなことをしなくても、三日間くらいカリーナのそばをはなれないのに。いや、三日といわず、ずっと――期限などなく、カリーナのそばをはなれる気など一時とてカイにはない。
 かなう限り、常にカリーナのそばに寄り添う。
 そのために、カイは今、国をはなれ、ここエメラブルーにいるのだから。
 自らが望む未来を手に入れるために。
 けれど、この素直でない王女様は、カイのそのような気持ちにちっとも気づこうとしてくれない。
 微笑つつも、どことなくすねたようにつぶやかれたカイの言葉に、カリーナは気をよくしたようににっと笑った。
「今さらだな」
 そして、くすくすと楽しげに笑いながら、再びカイの胸にそっと頬をよせる。
 それと同時に、誰もの目を楽しませ魅了した王女とその護衛官の踊りが終わりを告げた。
 二人は踊りが終わってもなお、それが当たり前のように手を取り合っている。
 そのまま、流れるように大広間中央を後にしていく。
 二人の間には、何人たりともわりこめないように、その手がしっかりと握り合われている。
 それを邪魔でもしようものなら、……そう、呪われてしまいそうなほど、誰も寄せつけない空気を放っている。
 それは、護衛官が姫を悪い虫から遠ざけようと守っているようにも見える。
 実際は、愛しい少女を独り占めしたい、嫉妬に燃える醜いただの男なのだけれど。
 それを知っているのは、カイだけで十分。
 そのような無様な思い、カリーナにすら気づかれないように、カイは務めて護衛官然とさわやかに装う。


* BACK * NEXT *
* TOP * HOME *
update:12/06/11