姫君とこいごころ(13)
カリーナ姫の野望

 年に一度の国中の貴族が会した、夢のような夜が終わりを迎えた。
 王都に本邸や別邸を持つ者はそこへ帰り、持たない者は王宮に一室を与えられ、興奮さめやらぬ短い夜を過ごす。
 王宮の客室を与えられた者の中には、翌朝城を後にする者もいれば、数日滞在した後、自らの領地へ帰って行く者もいる。
 雲間からのぞく月はすっかり真上から大きく西へ傾いている。
 もう幾分もしないうちに、東の地平線から太陽が顔をのぞかせるだろう。
 夜深くまでつづいてなお、王城はいまだ舞踏会の余韻を楽しんでいる。
 しかし、そのうかれた様子に影響されていない場所もある。
 それは、城を守る要所だとか片づけに勤しむ厨房やその他だとかいろいろあるが、顕著なのがこの一室だった。
 王族の居住区、その中でも第一王女の私室。
 開け放たれた窓から吹き込む夜更けの風に、窓掛けがひらひら揺れている。
 その窓掛けに戯れるように窓辺にたたずむこの部屋の主。
 盛装はすっかり解かれ、薄くやわらかな夜着に身を包んでいる。
 たまたまのぞいた月の光を浴び、くすりと小さく笑った。
 そして、ゆっくり振り向く。
「そうすねるな」
「すねていませんよ」
 振り向いた先に静かに立つカイに、カリーナはどこか挑発するように笑みを浮かべる。
 一歩、カイへと足を踏み出す。
 それにあわせるように、カイは視線をすいっと床に落とし、一歩後退した。
 その薄着一枚の頼りない姿は、月光を浴び、カリーナをやけになまめかしく藍色の瞳に映し出す。
 湖面に森を移したような深い緑の瞳と、深く濃く優しいそれでいて透き通った藍色の瞳がぴったり合わさる。
 しばらくそうして、互いの瞳の色を侵食するように、互いの瞳の色を奪い合うように見つめ合っていた。
 そして、責めるようでいて問うような切実なカイの眼差しに、珍しくカリーナの方が先に折れた。
 意地のぶつけ合いをした場合、先に折れるのはカイだと決まっているのに、何故かこの時はいっこうに折れる気配がなかった。
 その理由をカリーナは知っているので、いつものように意地を押し通すことはできない。
 カリーナはふうと深く息を吐き出し、諦めたように肩をすくめる。
「仕方がないだろう。あの場合は、ファセランの手をとらないわけにいくまい」
 カリーナは眉尻を下げ、目の前の月光を浴びる自らの護衛官に歩み寄る。
 今度は、カイが退くことはなかった。
 その場に立ち、カリーナがやってくるのを待つ。
 そして、カリーナがカイのもとにたどり着くと、その胸にのばす手をそのまま受け入れた。
 ぴとりと、カリーナの右手のひらがカイの胸に触れる。
 カイの胸は、脈動を幾分早くカリーナの手に伝える。
 胸に触れるカリーナの手に、カイは手を重ね、そのままきゅっと握り締める。
「……姫、わたしをいたぶって楽しんでいたでしょう」
「まあ、否定はしないがな」
 非難がましく見つめるカイに、カリーナはおどけたようににっこり微笑む。
 カイはあてつけるように、大きく息を吐き出す。
 どうやら、からかうためにファセランと仲良く振る舞っていたことなど、カイにはお見通しだったらしい。
 やきもちをやきいらだつカイを見て楽しんでいたと、ばれていたらしい。
 まあ、しかし、それでいても、カイがカリーナのために胸を痛めていたのかと思うと、カリーナの胸はほんわりあたたかくなる。
 やきもちをやかれることが、これほど嬉しいとは、カリーナは知らな――いや、知っていた。ただし、カイ限定だけれど。
 カリーナはくふふと嬉しそうに笑い、そのまますっとカイの胸に頬を寄せる。
「だけど、カイも悪いんだぞ」
 カリーナはカイの胸に頬を触れさせたまま、上目遣いに見上げる。
 カイは怪訝に、身を寄せるカリーナを見下ろす。
「何故です?」
 カイは両腕をそのままカリーナの背にまわそうとし、けれどためらったように、またぶらんとおろす。
 そのまま望みのままカリーナの背に腕をまわしては、それだけではすまないことを、カイの理性は知っている。
 これほど艶やかな月の夜、さそうような匂い立つ姿のカリーナに自ら触れては、気持ちをおさえられるはずがない。
 カイの胸にはもう、おさまりきれないほどの思いがあふれているのだから。
 どれほど気づかれないようにしようとしても、まわりにはわかってしまうほど。
 けれど、何故か肝心の相手には、うまいぐあいに伝わっていないようだけれど。
 それでもいい。むしろ、それがいい。
 今はまだ、王女と護衛官、その距離がちょうどいい。
 その一線を越えてしまっては、このぬるま湯のような優しい時間は奪い取られてしまう。
 護衛官は仕える王族と深い思いを通わせてはならない。
 それは、どちらのためにもよくない。
 だから、互いに思いを伝え合ってはならない。
 胸に抱くだけなら、誰にも咎められることはない。
 そう、思いだけなら自由。
 あくまでカリーナはそう思っているだろう。
 ならば、カイもそれにあわせるまで。
 今すぐにそのようなものはぶち壊してもいいけれど、カリーナはまだこの関係を望んでいるようだから、カイもその望みに従う。
 すべては、カリーナのため。カリーナの思いのため。
 もう少しくらいなら、カイもこの関係を我慢できるだろう。いつまでもつかはわからないが。
 カリーナはもともと身分など頓着せず、好きなものは好き、嫌いなものは嫌いという性格。
 また、カイは本当の身分を隠しているだけで思いをはばむものはないので、互いに気持ちを深めていくのに何のためらいもない。
 そのはずなのに、何故かカリーナは、カイの立場を、そしてそこから生まれる悲劇を、ひどく恐れている。
 それは、カイが本当のこと≠カリーナに伝えていないためだとは、カイもわかっている。
 けれどカイは、何故かそれをカリーナに伝えようという気にはまだなれない。
 きっとそれは、カイも今の関係をもう少しつづけたいと、楽しみたいと思っているからだろう。
 カイの思いは、なんて矛盾だらけなのだろうか。
 今すぐカリーナを我が物にしたいと願いながら、この関係がもう少しつづけばいいと思っているのだから。
 カイの問いかけに、カリーナはどこかすねたように、ぷうと頬をふくらませる。
 すっと手をのばし、カイの頬に触れさせた。
「カイが、わたし以外の女性の姿をその目に映すから悪いんだ。たとえカイにその気がなくとも、わたし以外は見るな」
「……仰せのままに」
 カリーナの口から出たその意外な言葉に、奇跡的な素直な気持ちに、カイは驚きに目を見開く。
 けれどすぐに優しげに目を細め、静かにうなずいた。
 とうとうおさえがきかず、カイはカリーナの背に両腕をまわしていく。
 そしてそのまま、思いのまま力いっぱいカリーナを抱きしめる。
 カイの胸の中で、カリーナは心地よさそうに目をとじる。
 カイはそっと、胸元で夜風に揺れるカリーナの艶やかな黒髪に、顔をうずめた。
 独占欲が強い、子供のようなわがままを言うこの姫が、カイはこの上なく愛しい。
 そうして、舞踏会の夜が更けていく。


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update:12/06/24