姫君とこいごころ(14)
カリーナ姫の野望

 昨夜行われた王宮での舞踏会のため、いまだ王都に滞在する貴族は多い。
 これも次第に数を減らし、一週間もすれば王都はすっかりいつもの様子を取り戻すだろう。
 王都の主要路、大通りは、南の城郭門から北の王宮までを一直線につないだ通りで、道の両端にはせめぎあうように商店などが立ち並んでいる。
 明らかに地方からやってきたとわかるおのぼり感を吐き出す田舎臭い貴族を、まばらに目にすることができる。
 恐らく、それぞれの領地へ引っ込む前に、親しい者への土産を買い求めているのだろう。
 王都ではたいしたことがないものでも、地方にいけばそれは流行の最先端をいくものに早変わりする。
 そのような田舎貴族の一人を目の端にとらえてしまい、買い物を終え店を出てすぐのイヴァンジェリンは胸の内で大きくため息を吐き出した。
 背に頭のてっぺんよりもさらにうずたかく積み上げられた色とりどりの箱を抱えた下男を一人従え、クリフォード家の紋章が入った立派なしつらえの馬車に乗り込もうとした時だった。
 大通りを少し下がった方向から、馬が上げたいななきとともに馬車が急停止するような耳障りな音が聞こえた。
 同時に、背後の下男がそれに驚いたようで大きく震え、積み上げた箱の上部の二つほどを地面に落とした。
 イヴァンジェリンはちらりと下男をにらみつける。
 下男はこの世の終わりかと思うほど震え上がる。
 貴族としては、召使いの粗相を許してはならない。厳しく罰しなければならない。
 それを怠れば、主従の関係があいまいになり、貴族の威厳が損なわれる。
 イヴァンジェリンもそれに倣い、さて、どう罰してやろうかと思案しはじめる。
 けれど、それはすぐに、空をも切り裂くような女の金切り声のような、けれど女のそれとは決して違う、耳を覆いたくなるような気持ちの悪い男の叫び声が聞こえ、霧散してしまった。
 とりあえず、罰を考えることはおいておいて、イヴァンジェリンは声がした方へ視線を向ける。
 そこは、先ほど、馬車の急停止音が聞こえた方向だった。
 通りの中央に停車した馬車を囲むようにして、行き交う人々が足をとめ、様子をうかがっている。
 調子に乗った馬鹿な田舎貴族の馬車が暴走し、人をはねかけでもしたのだろう。
 王都に地方から貴族が集まるこの時期は、別段珍しいことではない。よく目にする。
 いかにも、王都でのきまりを知らぬ愚か者らしい、傲慢を隠さない振る舞いだろう。
 御者台から慌てて下りた御者が、説明のためだろうか、慌てて車へ駆け寄った。
 すると、馬車の窓が細く開けられ、そこからのぞいた無骨な手が御者の頬をはたいた。
 御者は頬をはられた勢いのままよろりと一歩後退する。その頬には、くっきりと人の手のかたちが赤く浮き上がっている。
 頬にじわりと一筋血がにじむ。
 ややして、馬車の扉が開けられ、そこから一人の男が出てきた。
 その男は、イヴァンジェリンも目にしたことがある。
 過去に何度かイヴァンジェリンに言い寄ってきたことがある、ガーン男爵家の嫡男だった。
 その後から、濃い紺色のドレスのすそが顔をのぞかせた。
 そして、ちらりとその顔が垣間見えた。
 その女性もまた、イヴァンジェリンはよく目にしている。
 イヴァンジェリンと並び、王太子妃有力候補と目されている、グリント家のヴァレリアだった。
 では、あの男は、良家の令嬢に片っ端から声をかけているということだろうか?
 なんと節操がない、厚顔無知で無様な男なのだろう。その容姿同様に。
 冷たくあしらってはかわいそうだと少しでも情けをかけてやった自分が、イヴァンジェリンは腹立たしくなる。
 次いで馬車の中を誇らしげにのぞき、ガーンは得意げにくいっと顎をあげる。
 そして、滑稽なほど威圧的に、馬車のすぐ横で地面にしゃがみこんだままの童子を見下ろす。
「……小僧、覚悟はできているだろうな。この罪、その命で償ってもらおう」
 野太い声で、どこか喜色を含み、ガーンは傲慢に吐き出す。
 ガーンは腰にはいた剣をするりと抜く。
 そしてそのまま、童子の首筋に切っ先をおしつけた。
 瞬間、事態を見守っていた人々の間から悲鳴があがる。
 それにさらに気をよくしたように、ガーンは唇の端を嬉しそうに引き上げた。
 馬車のしつらえは立派だけれど一切の装飾がなく、家を特定できるものも刻まれていない。
 ――お忍びだろう。
 にもかかわらず、馬車の本来の持ち主の意図を無視し、そこから降りた上、貴族風を吹かせ傍若無人に振る舞うとは、ガーンは愚かにもほどがある。
 お忍びの最中ということを、忘れてしまったのだろうか。
「とめなければ!」
 その場面を目撃した瞬間、イヴァンジェリンは粗相を働いた下男を罰することも忘れ、駆け出そうと一歩足を踏み出した。
 イヴァンジェリンの頭には、一週間ほど前のカリーナの姿がよぎり、衝動的にそう思っていた。
 あの時、幼女を助け人々に賞賛されるカリーナを、どれほどうらやましく思ったことか。
 そして、イヴァンジェリンもあのようになれば、あの人も見てくれるのではないかと、ふと思った。
 そう、あの人が敬愛する王女のようになれば、あの人を手に入れられるかもしれない。
 羨望とともに嫉妬も同時に不気味にとぐろを巻いていた。
 しかし、イヴァンジェリンはそのことにまだ気づいていない。カリーナのようになりたいと望んでいる。
 イヴァンジェリンが一歩足を踏み出した時だった。
 同時に、その肩がぐいっと後方へひかれ、次にはいたわるようにぽんとたたかれた。
 イヴァンジェリンの体が、驚きに大きくびくりと震える。
 はっとして振り返ると、そこには、今脳裏をかすめたばかりの人物がいた。
 護衛官カイとルーディを従えた、王女カリーナが得意げに微笑み立っている。
「心意気は立派だが、無茶はするな」
「そうですよ、あなたはか弱い女性なのですから。こういうことは男の仕事です」
 カリーナがイヴァンジェリンにそう告げると、ルーディがにっこり笑ってうなずく。
「なに!? では、わたしはか弱くないというのか!?」
「姫はいいのですよ、わたしたちがいるのですから」
 カリーナは振り向きざま、ルーディの胸倉をつかみしめあげる。
 その手にカイが手を重ね、ため息交じりになだめる。
 その目は、声とは裏腹に、言葉通りに優しくカリーナを映している。
 カリーナはカイの言葉に満足したように大きくうなずくと、剣の切っ先をおしつけ卑下た笑みを浮かべる男をいまいましげに見て、護衛官二人を連れそこへ歩いていく。
 イヴァンジェリンはその後ろ姿を、ただ見送るしかできなかった。
 思わず、ぎゅっと唇を噛む。
 口腔内に、錆びた鉄の味が広がる。
 イヴァンジェリンの胸は、とても悔しくむなしい気持ちに支配された。
 目標と決めたばかりのカリーナに勇気を誉められたのだから、本来ならば喜ぶところなのだろうけれど、イヴァンジェリンの心はまったく軽くならない。ただ、苦しく切ない。
 先ほどのカイとルーディの言葉は、イヴァンジェリンにカリーナとの明らかな違いをつきつけた。
 カリーナ、カイ、ルーディの三人の間には、何人たりとも割り込めない強い絆があると、語らずとも告げていた。
 胸が苦しくなる。
 王女に、そしてその護衛官に、手を出すなと言われてはどうすることもできず、イヴァンジェリンはただ様子を見守るしかできない。


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update:12/06/28