姫君とこいごころ(17)
カリーナ姫の野望

 正体を完全に失ったガーンに満足したように、カリーナは変わらず呆然としたままの童子に視線を落とす。
 それから、腰を少しだけかがめ、童子の目に目線の高さを合わせる。
 ぽんと、童子の頭をかるくなで、うかがうように顔をのぞきこむ。
「お前、これくらいで許してやれるか? 一応、こいつは王宮一のならず者で有名だ。しごきとは名ばかりで、拷問だな。あははは」
「姫、一言余分です」
 ラルフを示し豪快に笑うカリーナに、カイが呆れたようにぼそりつぶやく。
 ラルフはカリーナの背後に控えるように立ち、両手を頭の後ろで組み、楽しげに笑っている。
 ふと、童子が顔をあげ、まっすぐカリーナの目を見つめ返した。
「……ありがとうございます」
「ん?」
 カリーナはくいっと首をかしげる。
 すると童子は、その目にしっかり光を宿し、ふわり微笑んだ。
「お姫様にそう言ってもらえただけで嬉しいです」
「なんだ、安い奴だな」
 きっぱり告げる童子に、カリーナは一瞬驚いたように目を丸くし、そして得意げに笑う。
 もう一度、童子の頭をぽんとかるくなでる。
 それから、どこかいたずらっぽく口のはしをあげた。
「そうそう、お前、何かあれば――あの男がおかしな気でも起こして仕返しにお前に悪さしようとしたら、アンテリナム神殿の神殿長のもとへ行け。神殿長からわたしに伝わるからな。神殿長はわたしの友達なんだ」
 何か悪いことでも企むようにくくっと笑うカリーナを、童子はあっけにとられたように見つめる。
 身分のない民では城にはやすやす近づけないけれど、すべての者に門戸を開けている神殿へなら誰でも足を運べる。
 神殿の中には、貴族や金持ちしか相手にしない不届きなところもあるけれど、アンテリナム神殿といえば弱者に優しいと城下でも有名。
 たしかに、そこならこのみすぼらしい姿の童子でも受け入れるだろう。
 そこの神殿長が王女に伝手を持っていると王女自身が言うのだから、たとえ口先だけの慰めにしてもこれほど心強いものはない。
 もちろん、カリーナは口先だけで言ったのではないけれど。
 神殿のことは童子でも知っていたようで、驚いたかと思うとまぶしそうに眼を細めた。
「お姫様、大好き」
 童子はそう言うと、カリーナの腰にきゅっと抱きついた。
 瞬間、カリーナの背に控えていたカイがびくんと体を揺らした。
 けれど童子の突然の行動に驚いたカリーナはそれには気づかず、童子をまじまじと見つめ、やれやれと肩をすくめる。
 童子の背を、ぽんぽんとあやすようにかるくたたく。
 嬉しそうにカリーナの腹にぐりぐり顔を押しつける童子に、カリーナは知らず目を細め微笑を浮かべていた。
「カイがやきもちをやくから、ほどほどにしろよー」
「子供相手にやきませんよ!」
 ラルフが冷やかすように声を上げると、即座にカイが力いっぱい否定する。
 そして、噛み殺さんばかりの勢いで、ずいっとラルフに迫る。
 その背に向かって、どこかすねたようなカリーナの声がかけられた。
「じゃあ、子供相手じゃなければやくのか?」
「う、そ、それは……っ」
 カイが慌てて振り向けば、そこには童子をはなしていくカリーナがいた。
 訴えるようにじっと見つめるカリーナに、カイは気おされたようにたじろぐ。
「だらしない」
 ルーディがカリーナとカイにすっと背を向け、ため息まじりにぽつりこぼす。
 それから、肩をすくめ二人からゆっくり遠ざかっていく。
 倣うように、ラルフもまたローランドたちのもとへ歩いていく。
 その様子を見守っていた民衆たちの中から、ぽつりぽつり手を叩く音がしたかと思うと、次の瞬間には拍手に変わっていた。
 誰もが無茶なやり方に圧倒されつつも賞賛し、カリーナに喝采を浴びせる。
 多少破天荒でも、童子に手をさしのべ、そして楽しげに理不尽な貴族を陥れていく王女を、皆微笑ましく見つめている。
 そう、このように破格な王女はカリーナをおいて他にはいない。
 噂ではたおやかということだったけれど、まさかこのような暴れ馬のような王女だったとは。しかし、それも悪くないと、誰もが思ったのだろう。
 カリーナを実際にその目にして。
 まったく王女らしくはないけれど、むしろこちらの方が親近感がわき、好感がもてる。
 ただただしとやかで高飛車な王女などより、民の目線で現実を見つめる王女の方こそよろこばしい。
 わらわらとカリーナへ寄り、親しみをこめて話しかける民たち、そしてそれを嫌な顔ひとつせず受け入れる王女。
 一瞬にして和気藹々となったその光景を、離れた馬車のもとで、イヴァンジェリンは切なそうに顔をゆがめ見つめている。
 かなわない、カリーナにはかなわない。
 庶民に身をやつしお忍びをしていたって、その輝きはあせることはない。
 そして、潔いまでに正義感にあふれ、公正明大。
 だからこそ、あの人は王女をあれほど優しげな瞳で見守るのだろう。
 イヴァンジェリンには、もとより、真似をしようとしてもかなわなかったことだった。
 苦しげにゆがむその顔は、そう告げているように見える。
 笑い声が響くその場へ、子供の元気な足音が近づいてきた。
 ふとその音に気づき、カリーナは人垣の向こうに視線を移す。
「あ、姫さまだー!」
 駆けてきた子供たちがカリーナに気づき、一人がそう声を上げた。
 すると、はじかれたように子供たちは口々に「姫さま、姫さま」と騒ぎ出す。
「おう、どうした? みんなでどこかへ行くのか?」
 集まる人々もそれに気づいたようで、カリーナのためにさっと道をあけた。
 その間を、カリーナがうなずきながら通っていく。
「うん、これからはずれの川に魚釣りにいくのー!」
 子供の一人が、カリーナの腰にぽすんと抱きついた。
 そこからカリーナを見上げ、嬉しそうに笑う。
「そうか、気をつけていくんだぞ」
 カリーナがうなずき答えると、抱きついた子供はぱっと手をはなし踵を返す。
「うん! それじゃあ、まったねー!!」
 そう手をふり、また慌しく駆けていこうとする。
 その背へ向かって、呆れたようにカリーナが声をかける。
「おい、お前たち、アナを置いていくな」
「あ、そうだ。――アナ、来いよ!」
「うん!」
 一人遅れてやってきた幼女に、子供の一人ははっと気づいたように手を差し出す。
 アナはその手を嬉しそうに握った。
 そして、カリーナへ向けてあいたもう一方の手をぶんぶん振る。
「姫さま、ばいばーい」
「ああ、気をつけるんだぞ、アナ」
 アナは嬉しそうにうなずくと、にっこり笑って手をひかれて駆けていく。
 そのような子供たちを、カリーナは微笑ましそうに見送る。
 すぐ背後にやって来ていたカイも、駆けていく子供たちを見守るように見ている。
 それから、カリーナの肩にいたわるように手を置く。
 カリーナはゆっくり振り返り、カイを見つめる。
 カイはそれに答えるように、優しげに目を細め微笑を浮かべる。
 ふわりと、カリーナの口元がほころぶ。
 一方、この騒動の原因ともなったガーンが乗っていた馬車の物見窓から、カリーナたちへ鋭く注がれる一対の眼光があった。
 車窓からちらとのぞいたその顔は、蔦薔薇の庭の茶会でも、また王宮での舞踏会でも目にした令嬢、ヴァレリア・グリントのものだった。
 陽光に邪魔され、控える御者にしかその姿は見えない。
「……出しなさい」
 ヴァレリアが短く告げると、扉のもとに控えたままになっていた御者は恭しくうなずいた。
 御者台につくと、ガーンを残しそのまま静かに馬車を動かしていく。
 誰も気づかないうちに、馬車はその場から立ち去っていた。
 しかし、ただカリーナだけはそれに気づいていた。
 ふと視線を感じた方をちらと見ると、ちょうどヴァレリアが顔を引っ込めるところだった。
 カリーナは眉間にしわを寄せ、にらむようにじっと見つめた。


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update:12/07/13