姫君とこいごころ(18)
カリーナ姫の野望

 王宮には両手ほどの庭園がある。
 王妃が作らせた蔦薔薇の庭のように普段は立ち入ることができない庭もあれば、王宮に出入りする者すべてに解放された庭もある。
 ここもそのような一般に開放された庭のひとつ、花の宴の庭。
 腰の高さほどの咲く花が美しい低木ばかりが集められた庭。
 王城の中でいちばん外側にある庭にあたり、王宮に勤める者たちの憩いの場とされている。
 ぽつりぽつりと、人の姿が見える。
 息抜きに散歩をする者があれば、設置された椅子に座り語らう者の姿も見える。
 その庭を、気落ちしたようにとろとろ歩くイヴァンジェリンの姿がある。
 城下でカリーナの勇姿を再び目にしたあの日から、ニ日ほどがたっていた。
 この二日間、イヴァンジェリンはあの時のことを思い出すたび、気分が滅入っていた。
 どうしたって、カリーナにはなれない、カリーナにはかなわないと思い知らされたあの日。
 どう表現すればよいかわからないが、とにかくあの出来事はイヴァンジェリンを打ちのめしている。
 そのようなうかない気分のまま、のろりのろり歩いていると目の端に飛び込んで来たものに、イヴァンジェリンは目を見開き、思わずぱっと顔をほころばせた。
 前方からこの庭園に駆け込んできたばかりの王女の護衛官――カイの姿を、イヴァンジェリンは垣根の向こうに見つけた。
 カイはどこか慌てた様子で、きょろきょろと辺りを見まわしている。
「あのじゃじゃ馬は! また逃亡したな!」
 かと思うと、そのような叫び声がイヴァンジェリンの耳に届く。
 同時に、椅子にごろんと寝転んで休憩をしていた護衛官の制服を着た男が上体を少し起こし、おかしそうにカイに声をかけた。
「あはは、カイ! 姫ならあっちの方で見たぞー!」
 護衛官の男は、イヴァンジェリンがいる方へ向けて指差す。
 カイは力強くうなずいた。
「わかった、すまない!」
「いいやー」
 ひらひら手をふって、護衛官は再びぽてんと椅子に上体を倒した。
 その様子にあっけにとられていると、気づけばカイはイヴァンジェリンのすぐ目の前までやって来ていた。
 カイはたちすくんでしまっていたイヴァンジェリンをひょいっとよけ、その横を駆けていこうとする。
 瞬間、イヴァンジェリンは思わず叫んでいた。
「あ……。お、お待ち下さい、カイさま!」
「……え?」
 ちょうど通り過ぎたばかりのカイが大きく体をゆらし、ぴたりと足を止める。
 それから、首をかしげながら振り返った。
 そこには、庭園に咲く花に埋もれるようにして立つ、切羽詰ったようなイヴァンジェリンの姿があった。
「ええーと、たしかあなたは、イヴァンジェリン・クリフォード嬢。――わたしに何か御用でしょうか?」
 優しげに微笑むカイにほっと安堵したように、イヴァンジェリンは小さく吐息をもらす。
「あ、あの、その……。は、はい! わたくしの名を覚えてくださっていたのですね」
 思わず声をかけてしまったという様子のイヴァンジェリンに、カイは逸る気持ちを押し込め、根気強く次の言葉を待っている。
 本当ならば、すぐにこの場を去り、先ほど仲間の護衛官から得た情報のもと、カリーナを見たというこの先、通用門へと駆け出したい気持ちをカイは必死に押しとどめる。
 通用門の辺りにいたということは、間違いなくカリーナはまたとんずらしようとしている。
 近頃はちゃんとカイを連れて出るようになったけれど、時折思い出したように一人で消えることがある。
 それだけは絶対にさせてなるものかと、カイの胸の内は現在大騒ぎしている。もちろん、顔にはまったく出していないが。
 カリーナを一人城下へとんずらさせた後のお仕置きが怖いわけではない。一人城下へ下りたカリーナに何かあれば……とそれにひどく恐怖している。
 はっきりいって、このようなとりあえず名前を知っている程度の令嬢にかかわっている暇など、カイにはまったくない。一歩間違わなくても大迷惑。
「ええ、何しろあなたは、大貴族のご令嬢だけでなく、王太子殿下の妃候補のお一人ですからね」
 にっこり笑うカイに、イヴァンジェリンはさっと顔をくもらせた。
 それからどこか面白くなさそうに唇をきゅっと噛んだかと思うと、覚悟を決めたようにまっすぐカイを見つめる。
 ざあと、花びらを巻き込み、一陣の風が通り抜けていく。
 その風に導かれるように、ちょうど垣根のすぐ向こうにやって来た令嬢たちの姿があった。
 カイとイヴァンジェリンにすぐに気づいたようで、不思議そうに首をかしげ二人に見入る。
 普通ならとうてい考えつかないその組み合わせを怪訝に思い、同時に興味をひかれたのだろう。
 一人の令嬢をのぞき、皆瞳をきらきら輝かせている。
 それどころではないカイと焦るイヴァンジェリンは、その令嬢たちには気づいていないよう。
 イヴァンジェリンは意を決したように、にらみつけるようにカイをきっと見つめる。
 その目はじわり潤んでいるように見える。
「カイさま」
「……はい?」
「わたくし、カイさまのことをお慕いしております」
 カイをまっすぐ見つめ、イヴァンジェリンは前触れなくきっぱり告げた。
 けれどすぐにはっとして、恥ずかしそうにさっと視線をそらす。
 その頬がりんごのように真っ赤に染まっている。王妃自慢の真紅の蔦薔薇よりも赤い。
 カイは驚いたように少しだけ目を見開き、けれどすぐにどこか冷めたようにさっと目を細めた。
 しかし、イヴァンジェリンがそれに気づかぬうちに、すぐに申し訳なさそうに眉尻をさげる。
 垣根の向こうでは、頬を染めた令嬢たちが「まあ!」と、音にならない黄色い声を楽しそうにあげている。
 ただ一人、先ほどもどこか険しい顔でイヴァンジェリンたちを見ていた令嬢――ヴァレリアをのぞいて。
 一瞬浮かんだカイの蔑んだような眼光は、もうそこにはない。まるで、そのような目をしたことが幻覚であったかのように。
 カイはふうと細い息を吐き出すと、一度小さく首を振る。
「申し訳ありません。お気持ちは嬉しいのですが、わたしは王女の護衛官です。カリーナ様以外は考えられません」
 声はやわらかに、けれど果てしない冷たさのようなものを含んだ声音が、単調にそう告げた。
 言葉とは裏腹に、申し訳なさは微塵もみられない。それが当たり前のように表情がない。
 瞬間、イヴァンジェリンは衝撃を受けたように、よろりと一歩後退した。
 条件反射のように、つうと、その頬を一筋の涙が伝う。
 けれど、その涙にすら情を流されることなく、カイはイヴァンジェリンにさっと背を向ける。
「では、急いでおりますので、わたしはこれで失礼します」
 無情にそう告げると、カイはそのまま駆け出した。
 それは、カイが守る王女――カリーナ以外はすべてどうでもいい、取るに足りないと告げているようだった。
 イヴァンジェリンはただその背を苦しげに見送る。
 その顔が、次第に忌々しげにゆがんでいくことには誰も気づいていない。
 ただ庭園に咲き乱れる花々だけが目撃していた。


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update:12/07/20