姫君とこいごころ(19)
カリーナ姫の野望

 カイの――いや、誰をもの期待を裏切ることなく、カリーナの姿はそこにあった。
 王城脱出に使う予定だろう、通用門近くの茂みの中に。
 門番のすきをつきそこから逃亡するつもりなのか、カリーナは様子をうかがうように通用門にじわじわ近づいていく。
 その姿、まるでこそ泥のよう。
 これが一国の王女の姿かと思うと、なんとも嘆かわしい。
 ……などと言う者は、この城にはもはや存在しないだろう。
 気づいていても気づかないふり。それが己の身を守ると、誰もが知っている。
 ただ、そこからやすやすと王女を逃亡させた門番にはとんでもないお仕置きが待っているので、彼らだけは見てみぬふりができないし、いつ王女がやってくるかと戦々恐々としている。
 決して、己が守る門からだけは王女をとんずらさせてなるものかと。己が守る門以外からならば、どうぞ自由にとんずらしてもらってもかまわないけれど。
 王女のとんずらを阻止してもしなくても、被害は間違いなくある。ただ、阻止しなかった時の被害の方が大きいというだけで。
 けれど、どうやら今日に限っては、門番たちはそこへ払う注意を怠っている。怠っているというよりは、そのような余裕は今はないよう。
 正門の横に設けられた貴族のための通用門前で何やら騒ぐ子供がいて、その対応に追われているらしい。
 その子供は何を思ったか、王女に会わせろと騒ぎ立てているから、とんでもない。
 どんな要求でも、王女にかかわることだけは、決して知られてはならない。その王女にだけは。
 一体どのような面倒を引き起こしてくれるか。
 それこそ、王女に知られれば最後、門番たちの明日はなくなる。
 すぐそこまで通用門が迫ったという時、カリーナの耳に、悲しいかな、その子供が騒ぐ声が入った。
「カリーナ姉ちゃんの知り合いなんだ! カリーナ姉ちゃんに大事な用があるんだ!」
「嘘をつくな。お前のような者が、王女と知り合いのはずがないだろう」
 必死に食い下がる子供を、門番たちは迷惑そうに顔をゆがめ押し返す。
「去れ。さもないと、牢にぶち込むぞ!」
 門番たちも自身の命がかかっているので、必死に子供を追い払おうとする。
 もちろん、手をあげることはしない。
 いくら非常識な要求をしているとはいえ、相手は子供。無茶なことはできない。
 せいぜい、すごんで脅して追い返すくらいだろう。
 ……間違って、後々これがカリーナに知れれば、また違った意味で彼らに明日はないから。
 王女はあれで何故か、女子供に手をあげることをひどく嫌っている。鉄拳制裁は別のようだけれど。
 自らは、護衛官をいたぶって楽しんでいるというのに。まあ、その場合は女子供でなく武官だけれど。
 いまいましげににらみつける子供に、門番たちが多少の苛立ちを覚えた時だった。
 背後でがさりと茂みをゆらしたような音がしたかと思うと、門番たちの前に、よりにもよって彼らが今最も恐れるその王女が飛び出してきた。
 門番たちは、声にならない悲鳴を上げる。
「あれ? ロイル、どうした?」
「カリーナ姉ちゃん!!」
 飛び出してきた王女カリーナは首をくいっとかしげ、騒ぎ立てていた子供――ロイルに声をかけた。
 すると、ロイルははじかれたようにぱっと顔をほころばせ叫ぶと、唖然とする門番たちの間をするりとすり抜けカリーナへ駆け寄る。
 艶やかな黒髪に青々とした葉が一枚ひっかかっていることから、間違いなくカリーナは背後の茂みから飛び出してきたのだろう。
 門番たちは恐怖とともに、何故か脱力感に支配された。
 そして、次の瞬間、脱力感は消え去り、底知れぬ恐怖だけが門番たちを襲った。
 まさか本当に、子供の言うとおり王女と知り合いだったのかと、その顔が蒼白になる。
 王女の知り合いの子供を追い返そうとしていた場面を、まさしくその王女に見咎められてしまったのだから、一体この後どのようなお仕置きをされるのか……。王女は恐らく、死んだ方がましと思えるほどの仕打ちを、嬉々として行うのだろう。
 しかし、次には、その王女のお仕置きですら生易しいと思えるほどの恐怖が、さらに門番たちを襲っていた。
 門番たちが凍えるような寒さを感じゆっくり振り向くと、そこには凄まじい形相で怒りを惜しみなく振りまく王女の護衛官カイがたたずんでいた。
 あの後――イヴァンジェリンと別れた後、カイはすぐにここにやって来た。
 門番たちがすくみあがっているというのに、カリーナはまったく気にせず、平然と駆け寄るロイルへ歩み寄る。
 ロイルはカリーナに駆け寄ると、その両腕を乱暴につかんだ。
 同時に、王女付護衛官の怒りが倍増した。
 門番たちはがくがく震える足でその場に立っているのがやっとだった。
 今から彼らの目の前で、どのような地獄絵図が展開されるのか……。
「姉ちゃん、どうしよう、アナがさらわれた!」
 けれど、次にもたらされたロイルのその言葉で、門番たちが恐れていたその想像は一気に吹き飛んだ。
「はあ!?」
「ロイル、どういうことだ? 詳しく説明しなさい」
「カイ!」
 すっとんきょうな声を上げるカリーナを遮るように、カイがずいっと二人の間に身を割り込ませた。
 カリーナはぎょっとしてカイを見つめる。
 まいたばかりのカイが現れたことに驚いたのと同時に、その険しい顔にもはっとしたのだろう。
「カイ兄ちゃん……」
 カリーナからさっさと引き離されたロイルも、目を見開きカイを見上げる。
 今の今まで気配すら感じなかったカイがいきなり現れ、驚いたのだろう。
 気づいていなかったのは、カリーナとロイルだけなのだけれど。
 門番たちはしっかりカイに気づき、震え上がっていたのだから。
 その門番たちの背後には、ゆっくり歩み寄ってくるルーディの姿も見える。
 やってきたルーディは、門番たちに所定の場に戻るよう促す。
 門番たちはそれに救われたように、わたわたとそれぞれの位置へ戻っていく。
 この時ばかりは、普段は恐怖の対象であるルーディが慈悲深い神に思えただろう。
 それを横目でちらと確認して、ルーディもカリーナたちのもとへ歩み寄る。
「じ、実は……。神殿長さまには姉ちゃんに知らせるなって言われたけれど……。一昨日、川に魚釣りに行った時、少し目をはなしたすきにアナの姿が見えなくなったらしいんだ」
「ああ、あの後か……」
 カリーナは思い出したようにぽつりつぶやく。
 子供たちに街中でカリーナと会ったことを聞いていたのだろう、ロイルは迷うことなくうなずいた。
「それで、川に落ちたんじゃないかって、みんなで必死に探したんだけれど、……今朝になってこの文が神殿に投げ込まれたんだよ」
 そう言って、ロイルは懐からぐしゃぐしゃに握り締められた紙のかたまりを取り出してきた。
 それを、カリーナへずいっと突き出す。
 カリーナはこくりと息をのむと、ロイルの手からそのぐしゃぐしゃの紙を受け取る。
 そして、もどかしそうに紙をひらき、しわをのばす。
 その文に視線を落とし、次の瞬間いまいましげに顔をゆがめた。
 カイとルーディも、カリーナの手に持たれている文をのぞき込み、顔を険しくさせる。
 しわしわの文には、少女の命が惜しければ、今日の夕刻、カリーナ一人で王都の橋のたもとへ来いと書かれていた。
 ロイルが言うには、神殿長たちと話し合った結果、事実はどうあれ王女を巻き込むわけにはいかないと、カリーナに知らせないでおこうとなった。――たとえ、巻き込まれたのは神殿側だとしても。
 しかし、ロイルは納得できず、すきをついてこの文を持ち出し、王宮へやって来たらしい。
 すがる思いでカリーナを訪ね、無謀だとわかりつつも門前で騒ぎ立てた。


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update:12/07/29