姫君とこいごころ(21)
カリーナ姫の野望

 真っ赤に燃えた太陽が、西の城壁の向こうへ姿を隠そうとしている。
 人気がない橋のすぐ横に、年季を感じさせる古ぼけた円柱形の塔がある。
 時代は感じさせるものの、日頃からよく手入れはされているのだろう。今にも崩れ落ちそうな危なげな様子はない。むしろ、刻み込まれた歴史からある種の趣を放っている。
 西第十九橋物見塔は、西の城壁のすぐ内側に位置し、必要に応じて跳ね橋により互いに行き来ができるようになっている。
 現在は平時のため、橋は塔側へ上げられている。
 物見塔の最上部はぐるりと壁に囲まれ、城壁より建物二階分ほど高い位置にある。
 城壁外に広がる緑の平原をよく見渡せる。
 この物見塔だけでなく、王都のすべての物見塔や物見櫓は、かつての混乱期の名残だといわれている。
 世界がひとつになってから久しい現在では、外敵におびやかされる心配もなく、ほぼ用をなしていない。
 物見塔最上部から、眼下の橋を目をすがめ見下ろす女が一人。
「……ふふ。やって来たようね」
 女の背後に立つ男もまた橋を見下ろし、ゆっくりうなずく。
 男の足元には、ようやく十になったばかりだろう幼女が気を失い横たわっている。
 その両手は、後ろ手に荒縄で乱暴に縛られている。
 縄に触れる肌が、痛々しく赤くはれている。
 不気味なまでに赤く燃える太陽の光を浴びる女の顔は、まるで地獄から這い出してきた悪鬼のように見える。
 赤い舌をのぞかせ、ぺろりと舌なめずりをする。
 待ちかねた人物の姿を映し、その目がぎらりと輝いた。


「ここだな……」
 夕陽を受け赤く染まる物見塔を見上げ、カリーナは険しい表情でつぶやいた。
 いつものカリーナならば、どのような厄介事に巻き込まれようと嬉々として首をつっこむところだけれど、今回ばかりはそうはいかない。
 まだ幼い少女の命がかかっているとなれば、ふざけていられない。無茶もできない。それらを楽しめない。
 それくらいの分別くらいは、カリーナでもある。
 カリーナは、ヴァレリアに耳打ちされた西第十九橋のたもとへやって来ていた。
 投げ文には王都の橋と書かれていたが、カリーナは橋ではなくその横の物見塔をにらみつけている。
 橋に人の姿がなかったこともあるが、ヴァレリアの言葉通りならば、目的の場所は物見塔となる。
 ヴァレリアを信用できるかどうかわからないうちは、一か八かの賭けのようなもの。
 しかし、手がかりがない以上、それに頼る他ない。
 時間は残されていない。守備官たちに王都の橋ひとつひとつをあたらせている間に、いちばん有力な橋へためしにカリーナ自ら赴いてみたところで、どちらにころんでも失敗はないだろう。ここでなかったとしても、候補のひとつはつぶせたことになる。
 カリーナの傍らには、やはり険しい表情を浮かべたカイとルーディが立っている。
 投げ文にはカリーナ一人で来いと書かれていたけれど、その他大勢の護衛官や守備官をまくことはできても、この二人だけはかなわなかった。
 カイとルーディがいることでアナの命が危険にさらされたとしても、もちろん二人は気にすることはない。
 二人が最優先にするものは、カリーナの身の安全。そのためならば、幼い少女の命とて、容赦なく危険にさらす。切り捨てる。
 カリーナもそれをわかっているが、二人をまくことは試みるだけ無駄だとそのまま従わせている。二人をまく時間すら、今はおしい。
 たとえ二人がついていたとしても、橋までなら問題ないだろう。ヴァレリアの言葉が正しければ。犯人が示す場所は、橋ではなく物見塔となるのだから。
 どうやらそれは間違っていなかったようで、カリーナが見上げた塔の最上階に、こちらをうかがうような人影が先ほどから何度かちらちら見える。
 カリーナはそれを確信し、小さくうなずいた。
 その時、時期をはかったように、物見塔の上からカリーナへ声が降ってきた。
「ようこそ、カリーナ王女。あなた一人で……いえ、いいわ、護衛官二人も連れて、上がってきてくれるかしら?」
 それはよく通る女の声だった。
 しかし、カリーナもカイもルーディも、それにまったく驚いた様子はない。
 むしろ、その声で確信したように、大きくため息をもらす。
 このような凶行、しかも投げ文の内容からすると、間違いなくカリーナの命を狙っての所業のはずなのに、それが女の仕業であるかもしれないというのに動じていない。
 このような野蛮なことは、男がするものと相場は決まっている。決まっていなくとも、通常そのような先入観を抱くだろう。
 それなのに、まるではじめから、誰の犯行かわかっていたような素振りさえある。
 それにしても、女の様子から、ニ心などなく至極真面目に、あの文の内容でカリーナがここにやって来ると信じて疑っていなかったのだろう。
 ……愚か過ぎる。
「今行く」
 カリーナは投げかけられた言葉に短く答えると、ゆっくりと塔の入り口へ歩き出した。
 その後に続き、カイとルーディも歩みをすすめる。
 物見塔は、管理はされているものの有事の時くらいしか使わないためか、かび臭い。その有事も、もう何十、何百年と訪れていない。
 通常は入り口にはしっかり鍵をかけ立ち入ることができないが、こうして扉は開かれカリーナたちを容易に招き入れるということは、女には協力者がいるのだろう。
 しかも、たちが悪いことに、塔の鍵を手に入れられるだけの地位にいる協力者が。
 カリーナは塔の中に一歩足を踏み入れると同時に、いまいましげに舌打ちをした。
 もちろん、カイとルーディが、カリーナが気づいたそのことに気づいていないわけがない。
 どこか面倒くさそうに、細い息をはく。
 塔の最上階まで登ると、そこには豪奢な衣装に身を包んだ女と、趣味が悪いはではでしい姿の男がいた。
 そして、その足元には気を失い横たわるアナの姿がある。
「アナ……」
 それを目にし、カリーナは声を荒げることなく静かに目的の少女の名を唇にのせた。
 その反応が癪に障ったのか、先ほど塔の下にいたカリーナに声をかけた時の機嫌よさそうな様子は今の女にはない。
 どうやら、その姿を目に入れ、いちばんはじめに気にかけ驚かれるのは自分だと思っていたのだろう。
 しかし、それは裏切られ、カリーナがいちばんに気にしたのは、ものの数にもならぬ孤児の幼女アナだった。
 それだけで、女の自尊心は十分に傷つけられる。
 そう、侯爵令嬢イヴァンジェリンともなれば。
 背にする窓から差し込む真っ赤に染まる夕陽が、その姿をまがまがしく浮き上がらせる。
 唇がぎちりと噛み締められ、背にする夕陽よりも鮮やかな赤がそこににじむ。
 ほんの数週間前、王妃お気に入りの蔦薔薇の庭で目にした可憐な令嬢の姿は、どうしたことかもうそこにはない。
 どことなく、その目は狂気にとらわれたように胡乱によどんでいる。
 何故、イヴァンジェリンがこのような凶行に及んだのか……。
 理由はわからないが、その狂気に支配されたような目から、たしかに自らの意思のもと行っていることだけはわかる。誰かにそそのかされた様子はうかがえない。
 しかし、カリーナは、そしてカイもルーディも、それに驚いた様子はない。
 まるで、はじめからこうなることがわかっていたようでさえある。
 予想通りとでも言うかのように、うっすら笑みすら浮かべている。
 イヴァンジェリンは男に目配せし、横たわるアナを抱え上げさせた。
 男は腰に佩いた剣を抜き、それをアナにつきつける。


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update:12/08/08