姫君とこいごころ(23)
カリーナ姫の野望

「ねえ、わたくしのために死んでよ。この子供の命が惜しければ、死んでよ」
 イヴァンジェリンはさらにそう告げると、くすくすくすと楽しげに笑い出した。
 その声は不必要に艶っぽい。けれど、その目は暗くよどんでいる。
 もはや、光はすっかり失われている。ただただ、狂気に支配された目をしている。
 さすがに今回は、パーシーの時のように、王女のために死ねるのだからありがたく思え、さっさと殺されろ、とは言えない。
 人質にとられているのは、気を失った無力な少女アナ。
 カリーナとて、何の罪もない幼女を盾に自らの命を守ろうとは思わない。
 何より、相手が悪い。
 刺客相手の時のような子供騙しの方法は通用しないだろう。
 もはや狂気にとらわれたような相手では、まともな判断など下せないような相手では、下手に刺激をすると取り返しのつかない行動にでないとも限らない。
 挑発していい相手としてはいけない相手の区別くらいは、さすがにカリーナでもつく。
 今カリーナの目の前にいる、狂気にとらわれた女が抱くは、嫉妬という名のこいごころ。
 これほど恐ろしいものはない。それに対抗する手段など、恐らく無いに等しいだろう。
 さて、どう答えようかとカリーナが思案していると、その横からルーディがすっと一歩踏み出した。
 そして、侮蔑をこめてひややかに吐き捨てる。
「醜い。まるで悪鬼ですね」
「な……っ!?」
 瞬時に、イヴァンジェリンの目が怒りに見開く。
「馬鹿にするのもたいがいになさい! もう許さない! 殺してやる! みんな殺してやるわ!!」
 イヴァンジェリンはそう叫ぶと、アナに突きつけていた小剣を振り上げた。
 そしてそのまま、アナめがけて振り下ろそうとする。
 その時だった。
「そこまでだ、お嬢ちゃん」
 そう発する声とともに、振り上げたイヴァンジェリンの小剣を持つ手首ががっちりつかまれた。
 それと同時に、背後の窓からがっしりとした体格の男が姿を現した。
 窓枠に足をかけ、イヴァンジェリンの手から小剣を奪い取ると、そのままその首にそれを押しつける。
 それから、小剣を持つ手を微塵も動かすことなく、ひょいっと窓枠から飛び降りた。
 イヴァンジェリンは突然のことに声も出ないらしい。目を見開き、ぱくぱくと口を動かしている。
 状況が理解できていないよう。
 それと時を同じくして、別の窓から飛び込んできたローランドが、イヴァンジェリンの腕の中からアナを取り返していた。
 ローランドはアナを抱えたまますっと後退する。
 続いて、窓や階段から王都守備官第五部隊の守備官たちが、わらわら姿を現す。
 どうやら、窓から現れイヴァンジェリンに小剣をつきつけるラルフを含む一部は外壁をよじのぼり、そして残りは階段から気配を殺し、じわじわ上って近づいて来ていたのだろう。
 守備官の一人に、ローランドはアナを預ける。
 アナを受け取った守備官はカリーナに頭を下げると、確認するように目をあわせうなずき合い、そのまま階段を下りていった。
 カリーナはそれを横目でちらりと見送る。
 この後、アナは医者に診せた後、神殿へ送り届けるのだろう。
 カリーナの目の前では、やって来た守備官たちがイヴァンジェリンに抜き身の剣をつきつけている。
 その中の二人ほどが前に出て、イヴァンジェリンを拘束する。
 しっかりその腕や体に縄がまかれたことを確認し、ラルフがつきつけていた小剣をひく。
 そして、床に力なく座り込むイヴァンジェリンを威圧的に見下ろす。
「さあ、観念するんだな。誰もあんたを助けに来やしないぞ。下で見張りをしていた奴らは拘束済みだし、今頃はあんたの父親も捕まっている頃だ。娘の不始末のためにな」
 ラルフは楽しげな中にも不気味なものをにじませ、にやりと笑む。藍色の目は、静かな怒りをたたえている。
 イヴァンジェリンはラルフの言葉に勢いよく顔をあげた。
 驚愕に見開くイヴァンジェリンの目にも、ラルフは顔色ひとつ変えない。
 それに何かを悟ったように、イヴァンジェリンは大きく身を震わせ、がっくりうなだれた。
 その横にカリーナもすっと歩み寄り、うなだれるイヴァンジェリンを見下ろす。
「残念だったな。ラルフたちにはわたしの後をつけさせていたんだ」
 イヴァンジェリンは一瞬生気を取り戻したようにカリーナをにらみつけると、すぐにそのままへなへなと再びくずおれ、床に倒れこんでいく。
 けれど、誰もイヴァンジェリンに手を貸そうとはしない。顔色を変える者さえいない。
 蝶のように振る舞い花のように愛でられた、かつての高貴な貴族令嬢の姿は、もうそこにはなかった。
 ようやく、自分がしでかした事の重大さに気づいたのだろうか。
 それとも、野望を成し遂げられず失意に気を遠くさせただけだろうか。
 しかし、そのようなことは、今の彼らにはどうでもよかった。
 ただ、ずっと目をつけていた者をようやく拘束できた、その事実だけが重要だった。
 そう、カリーナがはった罠に、馬鹿な獣が見事かかった。
 アナを労わるように抱えた守備官が、ちょうど西第十九橋を渡っていく姿が窓の向こうに見え、カリーナは安堵したようにふわりと頬をやわらげた。
 それを見て、守るようにカリーナに寄り添うカイとルーディ、そしてラルフが誇らしげにカリーナを見つめている。


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update:12/08/18