姫君とこいごころ(25)
カリーナ姫の野望

 すっかり日は落ち、空には星が数多輝いている。
 果たして、日没からどのくらいの時が過ぎているだろうか。
 夜警の松明が城中を蛍のように行き交い照らした頃、城門にカリーナの姿があった。
 城を抜け出しとんずらしたにもかかわらず、そのことをすっかり忘れたように、堂々と正門をくぐろうとする。
「すっかり遅くなってしまいましたねー」
 それはカイも同じだったらしく、のんきにカリーナにそう語りかける。
 カリーナも大きくうなずき、正門をくぐりきった時だった。
 何かに気づきおののいたように、ぴたりと足をとめた。同時に、くるりと勢いよく踵を返す。
 そしてそのまま、また正門を抜け城下へ走り出そうとする。
 けれど、すんでのところでそれはかなわず、再び正門の内へと引きずりこまれた。
 首ねっこがつかまれ、けれど諦め悪く、カリーナは両腕両足をじたばた動かす。
「護衛官長、説教ならカイにくれてやれ。わたしは無関係だ!」
 カリーナがそう叫んだ瞬間、カイが悲鳴を上げた。
「ひ、姫! 責任転嫁をしないでください!」
「いえ、姫にいたします。そもそも、あなたが――」
 カイの悲鳴にかぶせるようにして、護衛官長ダリルの怒声が正門一帯に響き渡る。
 カリーナが正門の内へ入ってすぐ目にしたのは、仁王立ちでそこにかまえるダリルの姿だった。
 目を細めにっこり微笑みながら、「ずいぶん、ゆっくりとしたお帰りですね」と低い声を響かせた。
 けれど、決して笑っていない。その瞳から、その体中から、黒々とした雰囲気がにじみ出ている。
 その尋常ならざる怒りの形相に、カリーナは危険を察知し、即座にそのままとんずらしようとしたのだろう。
 けれどそれはかなわず、ダリルに首根っこをつかまれるに至っている。
「わあっ! 聞きたくない! お前の説教はじめじめして嫌いなんだ!」
「姫!!」
 言葉を遮り叫ぶカリーナを、ダリルは一喝した。
 するとカリーナはぶうと頬をふくらませ、諦めたように言葉をとめた。
 それから、ゆっくり振り返り、すぐそばにあるダリルの顔を恨めしげににらみつける。
 ダリルもカリーナが何のために城を抜け出し、そして何をしてきたのか知っているだろうに、それでいてあえて説教をしようとしている。
 今回ばかりは見逃してもらえると、カリーナは高をくくっていたのだろう。けれど、現実はそうはいかず、こうして捕まり説教がはじまろうとしている。
 これを、いまいましく思わずにいて、どう思おうものだろう。
 カリーナは、普段の行いが行いなだけにということを、すっかり忘れている。
 たとえ、のっぴきならない理由があったとしても、王女が城を抜け出すことを護衛官長が許すはずがない。
 本当は諦め、そして場合によっては認めても、それをカリーナ本人に悟らせることはないだろう。
 一度許してしまえば、この王女のこと、際限がなくなる。
 はじまったダリルの説教に、カリーナは首根っこをつかまれたまま両耳をおさえ、聞きたくないとぶるんぶるん首をふる。
 そして、やはり説教をしつつ、ダリルはカリーナを王宮奥へずるずる引っ張っていく。
 その後を、申し訳なさそうに眉尻をさげたカイがついていく。
 ルーディはただにたにた笑っているだけ。
 そのような彼らに、月は優しくその光を注いでいる。


 翌日、カリーナとカイの姿は、王宮の回廊にあった。
 季節の花が咲く中庭に面したその回廊は、用がある者以外は滅多に人が通ることはない。
「あー、痛い痛い。すっごく痛いですよ。姫が乱暴をするからー」
 頬につくったすり傷をさすりながら、カイがぼやくように声をはりあげながら回廊を歩いていた。
 その少し前には、ぷっくり頬をふくらませたカリーナが歩いている。
 昨夜、帰城してから三時間ほどたっぷり続いたダリルの説教のために、カリーナはすっかりご機嫌を真下にしてしまった。
 そのため、少しでも憂さを晴らそうとカイに八つ当たりをした。
 その結果、カイの頬にうっすらと擦り傷を作るに至っている。
 それを、先ほどからカイは恨めしそうにカリーナにぼやいている。
 カリーナはたまらずといった様子でぴたっと足をとめ、勢いよくカイへ振り返った。
 そして、カイの胸をどんと押し、すぐ背後にあった柱へ押さえつける。
 ぐいっと顔を寄せ、にらみ上げるようにカイを見る。
「お前が鈍いのが悪い」
「姫が乱暴なのが悪いんです」
「何だと!?」
 ひるむことなくカイが言い返すと、カリーナはさらにむっと眉根を寄せた。
 それから、吐息がかかるほど近くでにらみあう。
 さあと、二人の髪をくすぐるように、初夏の薫風が通り過ぎていく。
 さわさわと、風に揺られた花の音だけが一帯に広がる。
 ふわりと、甘い花の香りが、二人の鼻をくすぐった。
 そうして、二人はにらみ合いつづけていたかと思うと、ふいにくすりと笑い合った。
 そして、どちらからともなく、互いに愛しげに切なげに見つめ合う。
 互いの瞳には、互いの姿だけが映っている。
 この白亜の回廊も、そして広がる色とりどりの花々の姿も、二人の瞳には映っていない。
 カリーナの白く細い手が、すっとカイの頬へのびていく。
 触れるか触れないかまで手がのびると、カイは一瞬、小さく身を震わせた。
 こくりと、のどが鳴る。
 カリーナの姿が映るうっすら細められた深い藍色の目は、潤みを増した。
「お前は、わたしを守るために負った傷はまったく痛がらないのに、このようなたいしたことはないすり傷だと大げさに痛がるんだな」
「姫……?」
 すっともう少しだけ顔を寄せ、カリーナはどこか艶かしくカイを見つめる。
 カリーナの両手が、カイのすり傷のある頬、そして逆の無傷で綺麗なままの頬を包み込む。
 触れたカイの頬は、いつもより熱い。
 触れるカリーナの手も、いつもより熱い。
 二人は、互いのいつもよりも熱いその肌に、驚いたように目を見開き、そして嬉しそうに顔をほころばせる。
 けれどすぐに何かに気づいたように、カイがわずかにうろたえはじめた。
 それに目ざとく気づき、カリーナはそのままぎゅっとカイの胸に抱きついた。
 カイは驚きに大きく体を震わせ、けれどすぐに小さく吐息をもらすと、そのまま体の力を抜いていく。
 背後の柱に、とんと背をもたれさせた。
 きゅっと、横にたらしたカイの両手が握りこまれる。
 とくんとくんと規則的に刻むカイの胸に、カリーナの頬がそっと触れる。
 カリーナは苦しげに、きゅっと目を閉じた。
 これほど愛しいのに、愛しくて愛しくて気が狂いそうなのに、けれどあふれだし砕け散りそうなカリーナの思いは、決して伝えることができない。
 伝えてしまえば、待ち受けているのは破滅しかないとわかっているから。
 どうして、カリーナは王女で、カイはその護衛官なのだろう?
 こうなるとわかっていたら、二年前のあの日、カリーナはカイを護衛官になどしなかった。強引にでも友人≠ノしておいた。そうすれば、せめて思いを伝えることはできたかもしれないから。
 今さら後悔しても遅い。過ぎ去ってしまったものは、取り戻せないのだから。
 カイのすべてが欲しい。
 けれど、それは叶わぬ望み。


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update:12/08/27