君は輝ける星(2)
カリーナ姫の野望

 すれ違う者、または不運にも目に留めてしまった者はすべて、まるでそれがないものといったように、誰もがさっと視線をそらし素知らぬふりをする。
 見てはならないものから目をそむける。
 たとえ背をじっとり嫌な汗が伝っていようと、額に脂汗が玉のように浮かび上がろうと、それだけは譲れない。
 間違って砂粒ひとつ程度でもかかわってしまったら最後、土下座して地に額をすりつけ謝ってでも逃れたい苦痛を味わわされる。
 それがわかっているので、誰もがそれをそこにないものとして扱う。目に決して入れぬように抗う。
 そう、立ち話をしていた文官たちも、仕事に追われる侍女たちも、はたまた重役出勤してきた大臣たちも、皆揃ってその光景から目をそらす。
 今、彼らの目の前を、護衛官に首根っこをつかまれずるずる引っ立てられていく、自国の王女の姿など見えない。見えないったら絶対に見えない。
 真上から少し西へ傾きだしたぎらぎらの太陽から降り注ぐ光であふれる白亜の外廊に、迷惑なことにその存在がある。
「少しは大人しくしていてください。あなたにもしものことがあれば、わたしは生きてはおられないのですから」
 疲れきったように覇気なく、けれどその腕にこめる力だけはしっかりと、カイはぶつぶつ不平をもらしながら外廊を歩いている。
 王宮脱出をはかった王女を、その護衛官が死に物狂いで追いかける。それはまさしく、もう見慣れてしまったいつもの光景。
 どうやら、今回の捕り物は、見事護衛官に軍配が上がったらしい。
「な……っ。お前は、それほどまでにわたしのことを……!」
 カイの不平をもらさずとらえ、首根っこをつかまれながらも、カリーナはぱっと顔を輝かせる。
 けれど、その目はどこかいたずらにきらり輝いている。
 ついでに口の端もからかうように持ち上がっている。
 もちろん、それに気づかないカイではない。
 はあと盛大にため息をもらし、やれやれと肩をすくめる。
 それでも、カリーナを捕える腕の力だけは、やはりゆるむことはない。
「何を勘違いしているのですか。あなたにもしものことがあれば、わたしの首が飛ぶと言っているのですよ。――まったく、仕事とはいえ、どうして姫の護衛官になってしまったのか……。ついていませんよ」
「……じゃあ、今すぐやめれば」
 ずーるずーるひきずられるカリーナの頬が、ぷっくりふくらむ。
 目もどこか危険にすわっている。
 思っていたようなカイのうろたえる反応がなく、面白くないのだろう。
 せっかくからかって遊べると思ったのに、とんだ期待はずれだったということか。
 あるいは、もっと他の……カリーナの胸に秘める思いと同じものを、知らずカイに求めてしまっていたのか。
 そして、その期待があっさり砕かれ、思いのほかカリーナの胸は痛んでいるのか。
 そのようなカリーナの心知らずとばかりに、カイはいつものようにたんたんと続ける。
「それができれば苦労しません」
「何故できないんだ?」
 カリーナはカイにぐいっと顔を向け、通り過ぎた景色からこれから進む先へ視線を移す。
 するともちろん、その目にはしっかりとカイの背が映る。
 カイの黒髪が、さわさわと吹く風に揺れている。
 カリーナは思わず目を細め、それに見入りそうになる。
 けれどそれを振り払うように一度首を小さくふり、再び不機嫌な声を出す。
「姫の護衛が務まる者など、わたし以外にいませんからね。やめようとすると、みんなに泣いてとめられるんですよ」
 カリーナへと視線を向けることなく前を向いたまま、カイはずんずん進んでいく。
 それがカリーナには少し淋しくも思うが、これがいつものカリーナとカイの姿なのであくまで平静を装う。
 少しでもいいから振り向いてカリーナを見て欲しいと思うが、そのようなことは口が裂けても言えない。
 もう遠慮はしないと決めたけれど、それとこれとは別。
 それを一度口にしてしまえば、なんだかカイに負けたような気がして悔しいから。
 それだけは、天地がひっくり返ろうとも、絶対に嫌。認められない。
 カリーナは常に、カイに勝っていたい。カイがカリーナにうろたえるといい。
「別にお前などいなくてもいいだろう。ルーディだっていることだし」
 ふいに、カイの足がぴたりと止まる。
 それから、どこか不機嫌にちらりとカリーナに視線を流す。
「本当にそう思いますか?」
 少し違和感を覚えつつも、カリーナは何事もないように、いつものようにあっけらかんと言い放つ。
「……ああ、違うな。ルーディは別格だった。あれはもはや人じゃない」
「ルーディが聞けば怒りますよ」
「いや、あいつは喜ぶな」
「まったく、姫は……」
 首根っこをつかまれているというなんとも情けない姿にもかかわらず、カリーナは得意げにかかかと高笑う。
 その姿を困ったように見つめて、カイはふるふる首を振る。
 そして、再びゆっくり足を動かしはじめた。
 視界の隅にちらりちらり入る人々は、早くこの場からいなくなれ、どうか気づかれませんようにと懇願しつつ、気配を必死に殺している。
 カリーナはぞんざいなその性格から怯える彼らに気づくことはないだろうが、カイはしっかり気づいている。
 気づいていて、そして彼らの気持ちもわかってしまうので、カリーナに気取られないようあえて気づいていないふりをして、仕方なく少しだけ歩みを速める。
 たしかに、早急にこの猛獣を隔離しなければ被害が出る。
 いろんな意味で、カイにまた疲れが押し寄せる。
「仕方ない。今日のところは城を抜け出すのはあきらめてやろう。そのかわり、他のことで楽しむぞ」
 ずるずる引きずられながら腕組みをして、カリーナは尊大に言い放つ。
 それにつられて、カイはまた思わず足を止めてしまった。
「他のこと、ですか?」
「ああ、カイ、見ていろ。楽しませてやる」
「……え?」
 カリーナは大きくうなずくと、首をかしげるカイのすきをつき、一気にその手の拘束から逃れる。
 そしてそのまま、ばっと駆け出した。
 これまで大人しく見送ってきたその景色の方へと。
 白亜の外廊を行き交う人々を蹴散らすように、我が物顔で駆けていく。
「あ、姫ー!」
 そうしてまた、カイの悲鳴とともに、王女と護衛官の追いかけっこが再開する。
 カリーナが城を抜け出さない時は、この叫び声が日に何回、何十回も響き渡ることは、もはや城の者にとっては当たり前となっている。
 これはある意味、城にとどろく平和な叫び声と言っても過言ではないかもしれない。
 この声がある時はすなわち、王女が一応は大人しく城内にいるということになるから。
 そこで王女が不在であるかどうかを確認するのもいかがなものかとは思うけれど。


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update:12/09/18