君は輝ける星(19)
カリーナ姫の野望

「姫ー! どこへ行きやがったんですかー!」
 今日もまた、王宮には、蒼穹を突き抜けるような護衛官の叫び声が轟いている。
 もはや、迷惑なことに王宮名物となってしまっていて、誰も気にしたりはしない。
 むしろ、下手に関われば自分の身が危ないと、皆あえて聞こえていないふりをする。
 護衛官に声をかけられそうな気配を察知すると、すぐさまさささっと物陰へ身を滑り込ませる。
 賢明な者も賢明でない者も皆一様の反応にもかかわらず、愚者なのかそれとも勇者なのか、その護衛官に果敢にも声をかける者が一人。
 それをたまたま目に留めてしまった者などは、思わず声にならない悲鳴をあげていた。
 護衛官がどたばたと文官棟からのびる渡り廊下を駆けていると、その前方から一人の青年が歩いてきた。
 誰もが回れ右をしてそそくさと逃げ出すだろうと思ったが、しかしその青年は何を思ったのか自ら護衛官に歩み寄る。
 そして、護衛官がすぐ横を通りすぎようとしたその時、気でも触れたのか、あろうことか、青年が護衛官の胸倉を乱暴につかみ自らに引き寄せた。
 護衛官もいきなりのことに驚いたらしく、目を見開き自らの胸倉をつかむ青年を見つめる。
 次の瞬間、青年は護衛官に顔をぐいっと近づけ声をおさえて言い放った。
「下賎の身で思い上がるな。目障りだ」
 忌々しげに威圧を込めはき捨てると、青年は護衛官を乱暴に押しやる。
 そして、そのまま護衛官が駆けてきた方へさっさと歩いていく。
 護衛官――カイは険しい顔で、けれど面倒くさそうにそれを見送った。
 一方的に暴言をはき、そして歩いていった青年は、カイの脳内のエメラブルー貴族相関図にもしっかりとその名がある。
 青年の名は、アドルファス・バーネッド。侯爵家の嫡子で、王宮内でも出世頭で有名。
 そして、近頃、やけにカイに絡んでくる男。
 しかしまあ、カイにとってはその程度ならば、たかる蝿にすらならない。
 暴言などは、普段からカリーナによって鍛えられすぎている。カリーナの暴言にくらべれば、アドルファスのものなど虫の羽音ほど。
 カイはアドルファスの姿がすっかり見えなくなると、気を取り直したようにカリーナ捜索を再開する。
 果たして、奥の宮の自室からどろんと消えたカリーナは、今どこにいるのだろうか?
 まあ、現在は、カリーナにとっては楽しいお遊び≠フ最中なので、その一要素を担うカイを置いて城下へ下りていないことだけは確かだろう。
 王宮内のどこかにいる。
 ならば、考えられる場所は……?
 次の瞬間、思い当たるところがあり、カイの顔からさあと血の気が失せた。
 渡り廊下から飛び出し、足をもつれさせながらあたふたと駆けていく。
 そうして、半刻もしない内に、カイの目の前では、思い当たってしまった最悪な事態が、華々しく展開されていた。
 王妃自慢の蔦薔薇の庭にある東屋で、背布団(クッション)をふんだんに敷いた椅子に寄り添い身を沈める一組の男女。
 どちらも、艶やかな黒髪と深い緑色の瞳が美しい。
 うっとりと目を細め青年にしなだれかかる一人の少女。
 青年もまた、少女の腰に片腕をからめ、そしてもう一方の手で愛しげにその艶やかな黒髪をすいている。
 時折そこに吸いつくような口づけを落とす。
 その傍らには、表情を失くしたように平然と控える銀髪の青年がいる。
 それはまるで、貴人の優雅な寛ぎの光景のように見える。
 王宮中を駆けまわったために弾む息をぴたりととめ、カイは次には悲痛な叫びを上げた。
「何をしているんですか、あなた方はー!!」
 瞬間、その場に雷が落ちる。
 腹の底から力いっぱい叫んだのか、カイはぜいはあと荒い息で、地を踏み抜く勢いで一歩一歩睦みあう男女――エイパスとカリーナへ歩み寄る。
 そして、次の瞬間、エイパスの腕の中からカリーナを目にも留まらぬ速さで奪い取った。
 両腕いっぱいで抱きしめ、胸にぎゅうぎゅうカリーナを押しつける。
 カイの腕の中では、カリーナが驚いたように目をしばたたかせている。
「姫、城下へ行きますよ」
 不機嫌なカイの声が、すぐそばからカリーナの耳に注ぎ込まれる。
 瞬間、カリーナの顔が真っ赤に染まった。ばっと耳を押さえ、カイを凝視する。
 やはりいきなりのことに面食らったようなエイパスをそこに残し、カイはさっさとくるりと身を翻し、うろたえるカリーナを抱えるようにしてその場から去っていく。
 その後を、「では、わたしも行ってきます」と半ば放心状態のエイパスを残し、ルーディが追いかける。
 そして、蔦薔薇の庭にしばしの静寂が訪れた。
 その後、蔦薔薇の中から、くすくすと楽しげに笑う青年の美しい声が聞こえたとか聞こえなかったとか。


 そのようなことがあった初夏の昼下がりから日が流れ、数日後。
 今日もまた、王都の中央通りに軒を並べるうちのひとつ、カーネギー薬店にカリーナの姿があった。
 店の裏は庭になっており、そこには干された真っ白い敷布(シーツ)が、ひらひらと初夏の風に揺れている。
 王都でも海よりの地では潮の香りも強いが、王宮近くの陸に入ったこの辺りでは、近くに海があることすら感じさせないさわやかな風が吹く。
 王都北に位置する王宮のそのすぐ向こうに山が聳え立っているため、むしろ緑の香りの方が強いだろう。
 どうやら今日は、からっと晴れ渡り絶好の洗濯日和ということもあり、カーネギー薬店は一同、洗濯に精を出しているよう。
 そこへ当たり前のように、カリーナがひょっこり顔を出した。
 例の噂をばらまきひと段落ついたこともあり、またそれを信じ込ませるために、カリーナはあれから毎日カーネギー薬店に通っている。
 それは、道楽息子とその恋人がとても仲がいいということを裏付けさせる目的を含んでいる。
「へえ、洗濯とは、そういうふうにするのか」
 桶を前に布を泡立てる女中の一人の手もとをのぞき込み、カリーナが感心したようにつぶやいた。
 いきなり背に立たれ女中はびくりと肩を震わせるが、それがカリーナだとわかると顔を少しあげ、にっこり笑ってうなずいた。
 そしてまた、洗濯に戻る。
 今ではすっかり、カリーナはカーネギー薬店の人々に受け入れられているらしい。
 そこへ、店の中からエリオットが姿を現した。
「ああ、いらしていたのですね、カリーナさん」
 エリオットの手には、手ぬぐいが大量に抱えられている。
 それに気づいた使用人らしき男性がエリオットに駆け寄り、慌てて手ぬぐいすべてを受け取る。
「それにしても、大量だな」
「ええ、たまっていたこともあり、まとめて洗濯してしまおうということになりましてね」
 庭の一部をすでに占拠したひらひら揺れる布の魚たちを見ながら、カリーナがしみじみつぶやく。
 エリオットはにっこり笑い、うなずいた。
 そういえば、普段薬の調合中、薬師たちは常に白衣に身を包んでいた。また、頻繁に手を洗ったり拭っていたとカリーナはふと思い出す。
 そして、作業台の上は白い布で覆われていた。
 恐らく、これらの布はそれに使用されているものだろう。
 薬というものは、少しでも違う成分が混入してしまうと、その効能が大きく違ってくるという。
 また、分量を間違えると、死に至ることもある。
 それらの過誤を防ぐために、布が大量に使われているのかもしれない。
 そう一人納得し、カリーナはうんうんうなずく。
 その時だった。
 エリオットが微笑ましそうに見つめるカリーナの胸元が、陽光を受けきらりと一瞬光った。
 エリオットは思わず目を細め、そして次にはその正体を確認するため、無意識にじっと見つめる。
 するとそこには、服に隠れるようにしてきらめくひとつの石が揺れていた。
「綺麗な石ですね」
「え? あ、これか? そうだろう? カイにもらったんだ」
 ん?と首をかしげるもすぐにエリオットが言おうとしていることに気づき、カリーナは胸元からするりと輝く石を取り出した。
 そして、石を太陽に向けるように手に持ったかと思うと、そのまま大切そうに手の中に握りこむ。
「まあ、このような安物をわたしの首に飾ろうとは無礼にも程があるが、仕方がない。つけてやらないとカイが泣くから、渋々つけてやっているんだ」
 不遜に言い放ちつつも、カリーナは嬉しそうに顔をほころばせる。
 えへへと、思わず声がもれていることに、カリーナはきっと気づいていないだろう。
 そして、一瞬しか見えなかったためか、その石が虹色に輝く石だとは、エリオットは気づいていないらしい。
「へえ、そうなんですか」
 エリオットは、ほのぼの相槌を打つ。
 隣でいそいそと石を胸に仕舞うカリーナを、エリオットはまぶしそうに見つめる。
 元気なカリーナに圧倒されながらも、微笑ましいのだろう。
 むちゃくちゃだけれど、一生懸命なカリーナについ目を奪われるのかもしれない。
 ころころ表情を変え、興味津々に辺りを見まわすカリーナを、エリオットは見守るように見つめている。
 そこへふと、背後から声がかかった。
「エリオット殿、少しよろしいですか?」
「……は、はい」
 エリオットが振り向くと、そこにはいつもの胡散臭いにたにた笑みを浮かべず、変わりに真剣みを帯びた目を向けるルーディが立っていた。
 これまでにないルーディの様子に、エリオットはわずかながら動揺するが、すぐに神妙にうなずいた。
 エリオットの耳元に、ルーディの顔がすっと寄り、ささやいた。
「例のことについてですが……」
 エリオットが深くうなずくと、互いに目配せし合って、店の中へと消えていく。
 その向こうでは、洗濯をしてみたい!と言い腕まくりをはじめたカリーナを、慌てておさえにかかるカイの姿がある。
 もちろん、洗濯をすることは別にとめる気はない。王女ともあろう方がと言う気など、さらさらない。
 ただ、その後の惨状が容易に想像できるので、極力まわりへの被害を少なくするために、カイがカリーナ捕獲にかかっている。
 ――作戦決行まで、あと二日。


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update:13/01/05