君は輝ける星(20)
カリーナ姫の野望

 長い昼が終わり、王都エメラルディアにようやく夜がやって来た。
 少しぼやけたように見える初夏の夜空に、片割れ月がぽんと浮かんでいる。
 そして、月のまわりで躍るように輝く星々。
 城下から北へ上ったところに位置するエメラブルー王宮は護衛官宿舎。
 そこの一室の扉が、まるで数日前の夜を思わせるように、けれどいつかのように静かにではなく、どんどんと辺りをまったくはばかることなく叩かれた。
 夜も更けようとしていた静まり返った時分だったため、その部屋の主は驚きに体をびくんと震わせる。
 そろそろ寝ようかと角灯の火を消そうとした時でもあった。
 この時分に部屋を訪れるなど嫌な予感しかしない。かの訪問者の叩き方とは異なるそれにわずかな怪訝もにじむ。
 念のため寝台横に立てかけてある剣に手を触れるが、気が変わったようにふととめ、変わりに簡素な机の引き出しを開ける。
 そして、その中からすっかり手に馴染んだ銃を取り出した。
 いつでも対応できるように右手に持ち、ゆっくり扉へ歩み寄る。
 扉にそっと耳をつけ、外の様子をうかがう。
 瞬間、それまでの緊迫した空気が一気に霧散し、別の意味で緊張が走るとともに脱力した。
 下手に手が届くところに銃を持っていてはかえって危険と判断し、一度机に取って返しさっとそれをもとの場所へ戻す。
 そして、再び、扉の前へ寄り構える。
 誰何の必要もなく、部屋の主はゆっくり扉を開く。
 すると、予想通りの人物が、扉の前で、夜着姿でにんまり笑って立っていた。
 何故か両腕には、かの人物愛用の枕がしっかり抱え込まれている。
 やはり、あの叩き方は、予想通りだったと嫌な汗が背を伝う。
 いや、今回はそれを上回る結果のように見えてならない。
 本当にどうして、護衛官――カイの大切な姫君は、こう突拍子もないことばかりしでかすのだろう。
 愛しいと思いつつ、男心をまったくわかっていないこの姫君が、時に憎らしくもなる。
「……姫、このような時分に、部屋を抜け出して何をされているのですか」
 がっくり肩を落としつつも、とりあえずカイはそう尋ねてみる。
 嫌な予感しか――いや、確信しかしないが、万が一という可能性もある。
 この姫君に限っては、万が一などないのだろうけれど。
 夜遅くに、しかも夜着姿で、男の部屋を訪れるなど、本当に何を考えているのだろうか、この姫君は。
 いくら絶対の信頼があるといっても、これはさすがにいただけない。同時にとてつもなく切なくもなる。
 そして、姫君から返される言葉ももちろん、裏切られることはない。
「泊まりに来てやったぞ」
 姫君――カリーナはぽすりと抱える枕に顔をうずめ、上目遣いにカイを見上げる。
 ――やっぱりか。
 その思いと同時に、ぐらりとカイの体が大きくかたむいた。
 そのすきを逃さず、カリーナは当たり前のようにずいっと部屋へ押し入る。
「ちょ……!? ひ、姫!?」
「心配ない。枕はちゃんと持ってきた」
 ぎょっと目を見開くカイの胸にぽふっと枕を押しつけ、カリーナは得意げに胸を張る。
 またしてもカイをめまいが襲う。
 これまでも散々突飛な行動をとってくれる姫君だったけれど、今回のカリーナの行動はそれをはるかに上回る――横道へそれまくっている。
 これだけは、さすがのカイでも容認できない。
 カリーナにめろめろに甘くて、わがままならどのようなものでも聞いてやりたいと思うカイでも、さすがに自らの命は惜しい。首は是非ともつながったままでいたい。
「いや、そういう問題ではなくて……って、姫!?」
 思わず受け取ってしまった枕を片腕に抱き、もう一方でカイは激しく痛む頭をおさえる。
 しかし、やはり気にせず、カリーナはずんずん部屋の奥へ進む。
 寝台までいくと、そのままぼすんとそこへ飛び込んだ。
 かと思うと、カイがとめる間もなく、上掛けをめくり、そのままもぞもぞと潜り込む。
 カイの顔から、いや、全身から血の気が失せる。ぶわりと嫌な汗が噴き出る。
「姫、何をしているんですか。これはわたしの寝台ですよ!?」
「……あ、カイのにおいがする」
 慌てて駆け寄るカイになどおかまいなしに、カリーナは上掛けを顔まで引き上げると、一度すんと鼻をならした。
 そして、どこか感動したようにぽつりつぶやく。
 瞬間、カイの真っ白だった顔が、一気に真っ赤に染まりあがった。
「な、何を言っているんですか、あなたは! 一国の姫ともあろう方が――」
「カイ、うるさい。ほら、寝るぞ」
「ね、ね、ね、ね、寝るー!?」
 熟れた蕃茄(トマト)のような赤い顔で、カイが声を震わせ叫ぶ。
 カリーナはぷいっとカイから顔をそらし、そのままぐるんと体に上掛けを巻きつけくるまる。
 そして、幸せそうににんまり笑む。
 えへへーと嬉しそうな声をもらし、上掛けに頬をすり寄せる。
 もうすっかり、カイの寝台を占拠してそこで眠る気まんまんのよう。
 さすがにそうなると、叱ろうが脅そうがてこでも動かないことを知っているだけに、カイは諦めたようにはあと盛大にため息をもらした。
 そして、上掛けに頬をすり寄せるカリーナのそこへ、ぽふりと枕をのせる。
「わかりました、わたしの寝台はあなたに提供しましょう。わたしはルーディの部屋にでも泊まります」
 そう言ってカイが踵を返そうとした瞬間、弾くように枕を払いのけ、カリーナがばっと手をのばした。
 つんと引っ張るような気配に気づきカイが視線を落とすと、夜着の裾を白く細い指がつんとつまんでいた。
 それを目に入れてしまったために、カイの中で何かが勢いよく崩れ落ちていく。
 自然、眉尻がだらしなく下がる。
 何かを誤魔化すように再び大きく息を吐き出し、カイはやれやれと肩をすくめる。
 愛しい女性に、すがるように夜着をつまみ、うるうる潤む瞳で見つめられて、その手を振り払う男がどこの世にいるだろうか。
 いや、いるはずがない。
 それが、世界でいちばん――いや、この世でいちばん愛しい者からであれば、なおのこと。
 まっすぐに見つめるカリーナの瞳に、カイはそうそうに白旗を揚げる。思わず、勢いよくぶんぶん振ってしまう。
 射抜かれてしまったために痛む心臓を気にしないようにして、どくどく打つ鼓動に気づかないようにして、カイはいたって平静を装おうとする。
「カイ、行くな」
 けれど、次の瞬間、その求めるような瞳と、願うような言葉に、カイはあっさり陥落してしまった。
「仕方がありませんね。では、わたしは床で寝ます。それでいいですね?」
「……ん」
 カリーナは満足そうに声をもらすと、夜着をつかむ手をはなし、それをそのまますっとカイに差し出す。
「カイ、手」
 またしても、カイの口から吐息がこぼれる。
 しかし、もはやカイには抗う気力すら残っておらず、ふるっと小さく首を振ると、カリーナが望むままその手にそっと手をかさねた。
 そして、カリーナが横たわる寝台にもたれかかるようにして、両足を投げ出すように床に腰を下ろした。
「今回だけですよ」
 すっかり諦め寝台横に座り手を握るカイを確認すると、カリーナはようやく安心したようにほにゃりと頬をゆるめた。
 それから、カイの寝台にもぐりなおし、ゆっくり寝息を立てはじめる。
 それは、瞬きするほど短いような、けれど長いような時間の出来事だった。
 幸せそうにすやすや眠るカリーナをちらりと見て、カイは重ねていない方の手を額にべちっと押し当て、仰ぐように(くう)に視線をさまよわせる。
「……拷問だ」
 誰に言うでもなく、角灯の明かりだけのその部屋に、カイのぼやくような声が響いた。
 下手に手を出してカリーナの側にいられなくなるくらいなら、カイはこの果てしない拷問にも耐え抜くだろう。
 それがカイの本当の思いなのに、甲斐性なしだから、へたれだから、悲しいかな、それであっさりまわりには納得される。誰もがカイの理性を信頼している。
 その解釈と理解があるからではない。
 仮にこの状況を人が知るところとなったとしても、最悪職を失うだけで命まで失うことはないと、ある意味担保のようなものがあるからではない。
 カリーナの側にいたい。
 その思いだけが、カイの理性を頑強なものにする。
 その夜、護衛官宿舎のある一室から、明かりが消えることはなかった。
 それが、わずかばかりのカイの矜持。――いや、理性崩壊を防ぐ最後の砦。


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update:13/01/14