三日月の騎士と花の姫(1)
カリーナ姫の野望

 頼りなげに辺りをきょろきょろ見まわしながら、一般に開放された庭園から少しはずれた華やかさに欠ける外廊を歩く少女の姿がある。
 栗色の瞳に不安な色をいっぱいため、ふわふわの栗色の髪はもうすっかり夏が色濃くなった清風にからかわれるように揺れている。
 まるで花のように可憐な乙女。
 見通す限り白い柱に白い床が続く代わり映えのしないその景色から、恐らく、現在地を見失ってしまっているのだろう。
 時折、風が木の葉を揺らす音に、必要以上にびくりと身を震わせている。
 それがしばらく続き、ようやくこれまでと少し違った景色を見つけ、ぱっと顔を輝かせたかと思うと、少女はその勢いのままそこへ駆ける。
 白い柱の間にのぞいた分かれ道に飛び込んだ時だった。
 少女の体が何か大きなものに弾かれたように、勢いをつけて背から倒れこむ。
 その後の衝撃を予感し備えるように、少女は思わずぎゅっと目をつむる。
 かと思うと、次の瞬間には、力強い何かに左腕をつかまれ腰をしっかり抱かれていた。
「お嬢ちゃん、悪い。大丈夫か?」
 低くどっしりとした、それでいて少し焦ったような声が、少女にかけられた。
 はっとして目を開けると、目の前には熊のように大きな男性がいる。
 黒の短い髪が、男性の動きに合わせ、さらりと揺れる。
 そのいかつい顔からは想像できないほど、藍色の目が心配そうに少女の顔をのぞき込んでいた。
 少女は思わずぽかんと男性を見つめ、次いで慌てて口を開く。
「え? あ、は、はい。わたくしの方こそ、しっかり前を見ておりませんでしたので……」
 少女が慌てて答えると、男性はひとつうなずき、腕と腰から手をはなしていく。
 そして、少女がしっかり地に足をつけたことを確認して、ようやく安心したようにふと口元をゆるめた。
 その少し横の頬の三日月形の刀傷のようなものが妙に目を引く。
 粗野な様子もあるが、その割合整った顔が、それをあまり感じさせない。
「お? もしかして、迷子か?」
「ち、違いますっ。ただ、ちょっと……」
 歯切れ悪い少女の言葉にぴんときたのか、男性はにかっと笑ってからかいがちに目を細める。
 少女は一瞬むっと眉根を寄せた。
 その様子にますます興を覚えたように、男性はついにはおかしそうにあははと声をあげ笑う。
「そうか、それはすまなかったな。それで、どこに行こうとしていたんだ?」
 結局少女の否定の言葉はまったく信じていないらしい。
 男性はにっと笑みをつくり、確信したように問いかける。
 少女は悔しげに男性を見上げ、けれどすぐに観念したように細い息を吐いた。
 そして、ぼそりつぶやく。
「……文官棟へ」
「そうか、それならばこちらだ。おいで」
 大変よくできましたとばかりに子供を見守るような目を向け、男性は少女へ大きく無骨な手を差し出す。
 差し出されたその手を見て、少女は戸惑ったように男性を見上げる。
「あ、あの……っ」
「王宮は広いからな、迷うといけない」
 ふっと笑うと、男性は事も無げにさらりと言い放つ。
 少女の頬が、思わず悔しげに少しふくらむ。
 どうやら、先ほどこの曲がり角でぶつかった時点で、男性には少女が道に迷っていると悟られていたらしい。
 それでいてなお、これ以上迷わないように手をつなぐことを提案してきた。
 これでは本当に、子供扱いではないか。
 恨めしげにじいとにらむように見ても、男性は表情を崩すことなくただその手を取るように促すだけ。
 これ以上意地を張っても無駄だと悟り、少女は素直に男性の手に手を重ねた。
 本来なら、男性の礼儀のない振る舞いを叱責しなければならないところだけれど、この時の少女は何故かそういう気にはなれなかった。
 純粋に好意のみで、少女を案内しようとしていることがよくわかるからかもしれない。
 事実、ここでこの男性に見捨てられたら、少女は永遠に王宮内をぐるぐる迷い続けそうな気がしてならなかった。
 ここまで迷い込むまでに、まったく人に出会わなかったのだから。
「それでは、案内してくださいますか?」
「ああ、まかせておきな」
 少女がうかがうようにちらりと視線を向け、眉尻を下げ微笑を浮かべると、男性は得意げな笑みを浮かべ請け負った。
 そして、その圧迫感がある大きな体格からは想像ができないほど適度な力加減でもって、けれど離れることがないようしっかりと少女の手を握る。
 初対面の男性相手に手を差し出せたのは、きっと、男性のどちらもの手がなめし革の手袋に覆われていたからだろう。
 これが素手であれば、間違いなく少女はその場で卒倒している。
 ほんのり熱をもった頬を、夏のさわやかな風がなでていく。
 手を引く男性の背が、妙に頼もしく見えた。


 辺りを見下ろすことができるこの露台(バルコニー)に吹く風は、地上に吹くそれよりわずかに涼しい気がする。
 露台の手すりに片足をかけ腰かけ、そこから眼下の外廊を見下ろすカリーナの姿がある。
 何かとてつもなく面白いものを見つけたようににたにたと意地が悪い笑みをうかべ、横に控えるカイに視線を流す。
「なあ、今のを見たか?」
「はい、しっかりと」
 カイがうなずくと、カリーナは心得たようににんまり笑む。
「まるで美女と野獣だな」
 瞬間、思わずといった様子で、カイがぷっと吹き出した。
「姫、失礼ですよ」
 たしなめるも、笑い混じりではまったく様になっていない。
「お前も笑っているじゃないか」
 カリーナはむっと頬をふくらませ、非難するように言い放つ。
 けれど、次には悪巧みを思いついたように、きらりといたずらっぽく瞳を輝かせ、くっと小さく笑いをもらした。
「それにしても、これは面白いことになりそうだな」
「姫、くれぐれも首をつっこまないでくださいね」
「さあ、それはわからんな」
「姫!」
 けろりと言い放つカリーナに、いつものカイの怒声が響き渡る。
 ここは、奥の宮。
 そして向かいの建物もまた、王族のために建てられたもの。
 けれど、当代の王族は皆華美や大仰なものを嫌い、現在はカリーナがいる奥の宮だけですべておさまっている。
 よって、向かいの建物は今ではほぼ物置と化している。
 普段、あまり人がいないところに人の姿を見つけたのだから、目がいって当然だろう。
 何より、奥の宮近くということもあり、限られた人間しか立ち入ることができないというのに、見慣れぬ少女の姿があったのだから。
 男性の方は立ち入る許可を与えているので問題ない。
 そう、いたずらの相談をするためには、奥の宮へ呼ばなければならないこともある。
 今日は恐らく、男性はもう一人の護衛官ルーディに用があったのだろう。
 それにしても、本当に面白いことになった。
 カリーナは夏の風を肌に感じ、日向ぼっこをしていた。
 すると、向かいの建物の外廊に見慣れた男性を見つけたかと思えば、可憐な少女の手を引き、向こうの方へ歩いていった。
 これを面白がらずして、そして首をつっこんでかき回さずして、どうするというのだろうか。
 これほど面白そうなことに手を出さないなど、カリーナの名がすたる。
 この後のいろいろな企みを思い、カリーナはまたにんまり笑む。
 ――さあて、どのようにしてラルフをからかって遊んでやろうか?


* BACK * NEXT *
* TOP * HOME *
update:13/07/01