三日月の騎士と花の姫(2)
カリーナ姫の野望

 今日もまた、カイはカリーナとルーディの尻拭いのために護衛官長のもとを訪れていた。
 まあ、尻拭いと言ってもそれはカリーナに対して限定の振る舞い(パフォーマンス)にすぎず、「いつもお互いに大変だな」と生ぬるく笑い肩を叩き合っているといった方が正しいかもしれない。
 護衛官長室を後にして、官舎から出た時だった。
 ただでさえぐったり疲労感を覚えるカイをいたぶるように、夏の太陽が容赦なく降り注ぐ。
 あまりのまぶしさのため、青く広がる空を見上げる気にすらならない。
 額にじわりにじむ汗を、手の甲でぐいっとぬぐう。
 もちろんそれは、暑さによる汗ではない。
 どうしてこう、あの王女は次から次へと面倒事ばかり引き起こしてくれるのだろうか。
 先ほど――護衛官長室を訪ねる前などは、カリーナをそそのかしているなどと嫌味を言われたばかり。
 むしろ、巻き込まれている――必死にとめようとしているというのに、とんだ言いがかりだ。
 近頃、カイの周辺でよく見かける……いや、絡んでくるようになった男がいる。
 それが、カイの疲労感に追い討ちをかける。
 数日前などは、カーネギー薬店に協力を求めた盗賊討伐の件を聞きつけたのだろう、カイが一人になった時を狙ったように現れ、「護衛官の分際で、でしゃばりすぎだ。分をわきまえろ」と言うだけ言ってどこかへ行った。
 まあ、今のところは、嫌味だけで済み、実際何か行動に出ようとしていないところは救いではあるが。
 さすがに、危害を加えられそうになれば、カイも黙ってはいられない。
 あれはいつ頃からだったろうか?
 たしか、ひと月ほど前の国中の貴族を集めた国王主催の舞踏会からだっただろうか。
 隣国バーチェスからファセランが闖入してきて、カイの腕の中からカリーナを奪っていったという忌まわしい記憶が色濃く残るあの時分から、時折嫌な視線を感じるようになった。
 その視線の主はすぐに知れるところになったけれど。
 何しろ、ここのところは、毎日のようにあれ≠ェやって来る。
 わざわざカイを探してやってくるのではないだろうかと勘ぐりたくなるほどの出没頻度で、アドルファス・バーネッドがカイの前に現れるようになった。
 そしてそのたびに、言いがかりや嫌味を勝手に言って勝手にどこかへ行く。
 護衛官官舎から出て、さて、今頃カリーナはどこにいるだろうか?と予想をつけつつ、カイが足を踏み出した時だった。
 背後からふいに声がかかった。
「近頃、羽虫がお前のまわりをうろちょろしているというのは、本当だったようだな?」
「王子?」
 振り向くと、出入り口の横の壁に背をもたれかけ腕を組み、エイパスが楽しそうにカイを見ていた。
 どうやら、カイは相当疲れているらしい。すぐそこにいるエイパスの気配に気づけなかったのだから。
 内心驚きつつも、悔しいので、それはおくびにも出さないが。
 まあ、そうは言っても、この王子は並みの護衛官では太刀打ちできないほどの剣の腕を持っているというから、なかなか侮れない。
 それだけに、気配を消すことなど朝飯前だろう。
 いや、エイパスの気配もまた、カイにとっては馴染みすぎたために気づけなかっただけだろうか?
「言われたい放題らしいではないか」
 エイパスはかるく勢いをつけ、もたれかかる壁からとんと背をはなす。
 どこか試すようにカイに視線を流す。
 エイパスが何を言っているのか数瞬理解に困ったが、カイはすぐに言わんとしていることを理解し、自嘲気味にうなずく。
「ええ、まあ……」
「言い返さなくていいのか?」
 そのようなつまらないことを聞くために、エイパスはわざわざカイを待ち伏せていたらしい。
 表情はいつものようにからかうようなものだけれど、緑の目の奥には鋭さを帯びた光が見える。
 どうやら、不気味なことに、エイパスはエイパスなりにカイを案じているのだろう。
 エイパスもまた、こういうところが憎めないと、カイは微苦笑を浮かべる。
 別に、カイは本気でエイパスを嫌っているわけでも避けているわけでもない。
 ただ、エイパスはすぐにカイをからかって遊ぼうとするので、できるだけ関わりたくないだけ。
 けれど、時折こうして見せる、カリーナにも通じる天邪鬼な優しさを知っているだけに、どうしても嫌いになれない。
 緑を映すエイパスの瞳をじっと見つめ返し、カイは観念したようにふうと細い息を吐き出す。
「わたしはどのように言われようとかまいません。ただ、累が姫にまで及ぶとなれば別です。容赦はしません」
 そして、ためらいなく、さらりと答える。
 すると、エイパスはカイに歩み寄り、企むようににっと笑みを浮かべた。
「それは頼もしいな」
 もたれかかるようにカイの肩に腕をまわし、エイパスは喉の奥を楽しげにくくっと鳴らす。
 カイの目は、冷たくすっとすわり、じとりとエイパスに視線を流す。
「王子、重いです」
「冷たいな」
「もともと、あなたに対する労りの心など欠片すら持ち合わせていませんので」
「そういえばそうだったな」
 氷の矢のような言葉をたんたんと告げるカイにのしかかったまま、エイパスは楽しげにくすくす笑う。
 結局のところ、嫌がるカイすら楽しんでいるのだろう。
 こういうところを見ると、二人の関係は、まるで、いたずら小僧とそのおもちゃ。
 どちらがどちらとは、あえて言わずとも明らかだろう。
 ついには遠慮なく顔にうんざりとありありとはりつけて、カイは諦めたようにあれほど避けていた空を見上げる。
 するとちょうど、隼が一羽、上空を旋回していた。


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update:13/07/10