三日月の騎士と花の姫(9)
カリーナ姫の野望

 カリーナたちが王宮に戻ると、ちょうど城下巡回から戻り業務報告を終えたのだろう、王都守備官第五部隊副隊長ローランドにばったり出くわした。
 城下巡回というか、今日に限ってはうっとうしい蝿を払ってきた、蛆虫を王都の外へぽいっと破棄してきた帰りといった方がいいかもしれないけれど。
 恐らく、悪虫一匹の処理報告をした帰りなのだろう。
 そういう面倒くさい書類仕事は、隊長があれのため、すべて副隊長であるローランドにまわっている。
「おう、ローランド、戻っていたのか」
 文官棟から出てきたばかりのローランドに、カリーナが片手を軽く上げる。
「姫も戻られたのですね。ご令嬢は無事に送り届けられましたか?」
 ローランドは歩みをとめ、寄ってくるカリーナを迎え入れる。
 その若草色の目は、どこか労わるようにカリーナを映している。
「ああ、当然だろう」
「そうですか」
 ふんぞり返るカリーナに、ローランドはゆったりうなずく。
 そして、歩み寄ったカリーナとともに、武官棟へ向かい再び足を動かす。
 太陽はそろそろ西の地平線に顔を隠そうとしているため、空は真っ赤に染まっている。
 どうやら、ぎりぎり護衛官長のお説教を免れる時間内に王宮に戻ることができたらしい。
「なあ、ローランド。お前、貴族の出だろう? それが、あのようなぐうたらな男の補佐など、腹が立たないのか?」
 おもむろに、夕焼け空を仰ぐカリーナがそのようなことを言い出した。
 何の前触れもなく突然の想定外の問いかけに、ローランドは驚いたようにカリーナに顔を向ける。
 あのようなぐうたらな男とは、もちろんラルフのことだろう。
 貴族であるローランドが、ほぼ庶民に等しいような下級貴族のラルフの下につけられ面白くなくはないのかと、つまりはカリーナはそう聞きたいのだろう。
 まったくもって今さらの質問だろう。
 ローランドが王都守備官第五部隊副隊長に就いてから、すでに二年はたっている。
 ローランドは思わずカリーナをまじまじと見つめ、そして得心したようにひとつうなずいた。
 思案げに眉根を寄せながら、ゆっくり答えていく。
「取り立てては……。わたしは、貴族とは言っても子爵家の三男ですからね。それに、あの隊長とあの隊のお守りをできるのは、わたしくらいですよ」
「あはは、お前、大物だなー」
 ためらいがちなローランドの答えに、カリーナはおかしそうにけらけら笑う。
 どうやら、ローランドの返答は間違ってはいないらしい。王女の興に添えるものだったらしい。
 ここで少しでも返答を間違えば、その瞬間、首が飛んでしまう可能性がある。そのくらい、ローランドが今相手にしている王女は横暴でむちゃくちゃなのだから。
 カリーナは楽しげに目をきらきら輝かせ、上体をずいっとローランドへ突き出す。
「ラルフの下が嫌になったら、いつでも言ってこい。兄様に口をきいてやるぞ」
「全力でお断りします。姫はもちろんのこと、あの王子にも借りを作りたくはありません」
「お前、わかっているな!」
 考える間もないローランドの即答に、カリーナはさらに楽しげに笑う。
 打てば響く、いや期待以上の愉快な回答に、カリーナは気をよくする。
 こういうやりとりは、カリーナが好きとするところ。
 まるで、カイやルーディ、エイパスやファセラン、ラルフとの会話のように、カリーナにとっては楽しめるもの。
 ローランドは気づいているのだろうか。
 このような調子がよい会話をすると、カリーナに気に入られてしまうということに。
 きっと、気づいているだろう。
 ローランドもまた、馬鹿な男ではないから。
 また、ラルフほどではないだろうけれど、ローランドはカリーナを気に入っているようでもあるから。
 実はすでにカリーナに忠誠を誓っているくらいなのだから、気に入っていないわけはないだろう。
「兄様が嫌なら父様に言ってやるよ。気が向いたらいつでも言ってこい。――ただし、ラルフに泣かれることを覚悟してな!」
「……それ、脅しですよ」
 にんまりと笑いさらりと言い放つカリーナに、ローランドはげんなり肩を落とす。
 たしかに、どちらに転んでも、ローランドにとってはよろしくない結果になるだろう。
 さらなる精神的疲労を負うことになるという意味で。
 あの二人――国王と王太子にくらべたら、まだ王都守備官第五部隊のぐうたら隊長の方がだんぜんましに思える。
 あれはただぐうたらでいい加減で粗暴なだけであって、たぬき国王より腹黒王太子よりまだ人間的にはまし。あの二人ほどたちが悪くはない。
 国王や王太子の下につこうものなら、間違いなく胃に穴があく。
 それをすべてわかった上で、困った王女様は言っているのだろう。
 無邪気ににっこり笑う目の前の王女が、ローランドはかるく憎らしく見える。
 けれど、そのある種かわいらしい笑顔を憎めないこともまた事実。
「まったく、食えない方ばかりだ」
 ローランドはただ、困ったようにそう微笑を浮かべるにとどめた。
 そう、まったく食えない――困った王女。
 その気がないとわかっていて、(一般的には)そのようにおいしい話をよこすのだから。
 そして、それに色気でも出そうものなら、間違いなく切って捨てる。
 それくらい残酷だから、この姫君は。
 ある種、国王よりも王太子よりも、彼らに愛される王女は容赦がなく残虐。
 ローランドはそれをよく知っている。
 気に入らない者は利用することすらなく、排除する。それが、この国の王女。
 利用価値があるうちは最大限利用する国王や王太子の方がまだ優しさがあると思えるほど、王女は容赦がない。気に入らない者は排除ときっぱりしている。
 そうして、渡り廊下も終わりを迎え武官棟までやってくると、王女は満足したようにそのまま奥の宮の方向へと歩いていく。
 その後を困ったように肩をすくめながら、護衛官二人が追いかけていく。
 ローランドはただ静かにそれを見送った。
 三人の姿が見えなくなると、腹の底からひとつ大きなため息を吐き出す。
 何故か、鼓動が早い。
 あの場で少しでも返答を間違っていれば、果たして、今頃ローランドの首はつながっていただろうか?
 そう思うと、国王や王太子より恐怖を覚える。
 ちらりと空へ視線を向けると、そろそろ紫色に染まりはじめていた。
 遠くの空に、巣へと戻る鳥の黒い影がぽつんと小さく見える。
 さあと夏の夜のなまぬるい風が吹き、さわさわと葉ずれの音を残していく。
 一方、文官棟と武官棟を結ぶ渡り廊下を後にし奥の宮へと向かうカリーナは、実に意気揚々としていた。
「姫、お戯れは……」
 あまりにもカリーナの楽しげな様子に、カイが少し非難めいた音を含め声をかける。
 それを遮るように、ルーディもまたカリーナの背に尋ねた。
「それで、どうでした?」
「ああ、合格だ」
 カリーナはすぐさま足をとめくるりと振り返り、嬉々とした様子で大きくうなずいた。
 カイは早々に言っても無駄だと判断し、がっくり肩を落とす。
 けれど、どうしても声色はたしなめるものになってしまう。
「まったく、お人が悪いのですから。試すなどとは……」
「でも、あいつ、わかっていたぞ。わかっていて、楽しんでもいたな。――気に入った」
「ラルフの次はローランドもですか。あの隊は、名実ともに姫の私物になりそうな勢いですね」
「そのつもりだぞ?」
 呆れがちなカイにかまうことなく、カリーナは楽しげにくすくす笑う。
 その目は、まるで新しいおもちゃを見つけたように、いたずらっぽくきらきら輝いている。
 つまりは、その言葉は嘘ではないと証明しているようなものだろう。
 そして、それを決定づけるように、カリーナは続ける。
「あれで、わたしの親衛隊でも作ればおもしろいだろうなあ」
「お願いですから、それだけはやめてください。全力で阻止します」
「なんだ、つまらんな」
 真剣な眼差しをまっすぐ向けるカイから、カリーナはぷいっと顔をそらした。
 たしかに、ただでさえたちが悪いカリーナに、悪名高い王都守備官第五部隊がその親衛隊にそっくりそのまま配置転換でもしようものなら、王宮は阿鼻叫喚の地獄絵図と化すだろう。
 まさしく、カリーナのしたい放題となる。
 今でもすでに、十分すぎるほどしたい放題だけれど。
 すっかり陽が沈み、カリーナの背に広がる夜空にはすでに星が数多輝いていた。


* BACK * NEXT *
* TOP * HOME *
update:13/10/20