僕のきら星(1)
カリーナ姫の野望

 エメラブルー城内にある、騎士団官舎の一室から、春のうららかな陽気を吹き飛ばすような、奇妙な雄叫びがあがった。同時に、何かを倒したようなけたたましい音も響く。
「はあ!? 正気かね、ルーディ・オブライエン君!」
 思わず座っていた椅子を蹴倒し立ち上がったのだろう。
 執務机にふるふる震える両手をつき、目の前の少年を目を見開き見つめる壮年の男が一人。その目は何故か血走っている。
 どうやら、この騎士団副団長室の主らしい。
 噛みつかんばかりの勢いで上体を乗り出す副団長にまったく動じた様子なく、ルーディは後ろでに手を組み、執務机の前にひょうひょうと立っている。
 その姿は、世の中の醜い部分を知り、なめきった中年おやじのような貫禄さえある。
 酸いも甘いもかみ分けた……とは少し違ったところが、何とも憎らしい。
 そう、この春、士官学校卒業を控えた、十六歳の少年がとる態度、かもす雰囲気とはとうてい思えない。
「ええ、至って正気ですが? ……失礼ですね」
 しかも、騎士団でも上位に君臨する男相手に、ご機嫌をうかがう様子はまったくなく、不快そうに顔をしかめすらしている。
 騎士団といえば、王宮守備官や王都守備官とは違い、地方へ派遣され紛争などをおさめる組織として置かれている。
 その性質から、所属する者たちも腕に覚えがある者たちばかり。
 なかには傭兵くずれのたちが悪い連中までいたりと、血気盛んな者が多い。
 そのような血の気が多い男たちをまとめる地位につく相手にも、ルーディはまったく遠慮がない。
 恐れ知らずにもほどがある。
 剣幕に気おされることなく、なおもひょうひょうとした態度を貫くルーディに、副団長は多少たじろいだように額に右手をあてる。
 そして、蹴倒した椅子を自らいそいそと起こし、そこにどかりと腰を下ろす。
 副団長は執務机に両肘をつき両手を組み、そこにあごをのせて、目の前に立つルーディをじっと見つめる。
「いや、正気ではない。君ほどの者であれば、小隊長と言わず大隊長から、いやそれ以上からはじめられるというのに、何故使い走りのようなことを自ら望むのだ!?」
「堅苦しくて面倒じゃないですか、上に立つのは。はじめから中間管理職などまっぴらごめんですよ。しばらくの間は気楽に過ごしたいのです」
 ルーディはふうと細い吐息をもらし、言葉通り面倒くさそうに答える。それから、にっこり微笑んで見せる。
 副団長は思わず絶句したようにのどを鳴らす。
 それから、信じられないと、ふるふる首を横に振った。
 その姿は、まるで世をはかなむようにすら見える。
「当代随一の公爵家の子息で、士官学校を主席で卒業、そのような恵まれた状況にありながら従騎士からはじめることを望むなど、正気の沙汰ではない」
 この上なく恵まれた状況にありながら、何故それをあっさり放棄するのかと、副団長は心の底から嘆いているよう。
 幹部候補生を養成する士官学校を卒業すれば、通常、騎士団に入団と同時に小隊長からはじめることとなる。
 その中でも士官学校での成績が優秀ならば、場合により中隊長や大隊長に任ぜられることもある。
 何年、何十年とかけてようやく小隊長職に就けるたたき上げの連中からしてみれば、うらやましい限りの境遇。
 それが何の苦労もなく手に入る状況にありながら、ルーディはあっさり捨て去り、一般入団した者たちと同列の扱い、小間使いからはじめると言い出したのだから、副団長も慌てずにはいられない。
 士官学校主席卒業という将来有望な若者を、そのような掃き溜めのようなところにうずもれさせておく気はさらさらない。
 そもそも、大貴族の若君を小間使いにするなど、騎士団内に弊害が生じる恐れが大いにある。
 しかし、本人にさっぱりその気がなく、しかも面倒だと言い出す始末なので、これでは手の施しようがない。
 命令だといったところで、ルーディは聞く気はないだろう。ならば、騎士団になど入団しないと言い出すかもしれない。
 それはそれで、副団長としてはありがたくない。
 頭を抱えたくもなるというものだろう。
 士官学校では、二年間かけて幹部候補生を育成し、卒業すれば将来が約束されている。
 また、狭き門で、年間、十人から二十人、多くても三十人ほどしか入学が許されない。
 入学してからもふるいにかけられ、不適格と判断されれば容赦なく退学となる。
 そのような厳しい中を突破し、さらに次席以下を大きくひきはなして、ルーディは主席でもうすぐ卒業を迎える。
 それはもう、下手な現役将校よりも優秀と言われているようなもので、騎士団はもとより国の期待も大きい。
 しかしながら、それを捨て去り、庶民でも適正試験を突破すればなれるという下っ端も下っ端、従騎士からはじめようなどとは、副団長ではないが正気の沙汰ではない。
 いや、たとえ士官学校を出ていなくとも、貴族でありながら従騎士からはじめようなどと考える者など普通はいないだろう。
 貴族であれば、通常はその段階は免除され、準騎士からはじまり、続いて正騎士へとすぐに昇格する。
「考え方の違いですよ。現場を知らない人間が、いい上官になるとは思えませんが?」
 苦悩する副団長に、ルーディはにっこり笑ってさらっと言い放つ。
 副団長は思わずばっと顔をあげ、まじまじとルーディの顔を見つめる。
 そして、その思い切り裏がありそうなさわやかすぎる笑顔に、諦めたようにがっくり肩を落とした。
 やれやれと、右手をかるくあげ振る。
「……はあ、まったく、君という者は。噂に違わず、オブライエン公爵家の人間は変わり者だらけだね」
「ありがとうございます」
 皮肉まじりにはかれた副団長の言葉も、ルーディにはさっぱり通用しないらしく、さらに清々しい笑顔を向ける。
 ある意味それは、ルーディにとっては、誉め言葉だったのかもしれない。
 ちろりと視線をあげ、最後の確認とばかりに副団長はルーディを見る。
「後悔しても知らないよ?」
「しませんよ。それに、すぐに掌握しますよ」
 ほがらかに笑っているはずなのに、どうしても不気味にうつるルーディのその笑顔に、副団長は言葉をつまらせる。
 けれど、その黒い微笑みに、ようやく納得したようだった。
 ここは、ルーディの好きなようにさせておいた方がいいだろうと、疲れを覚える脳が判断する。
 ひとつ、大きなため息を吐き出す。
 つまりは、ルーディは、そう時間を要さずに従騎士から正騎士、はたまた隊長へと昇格すると言っているのだろう。
 しかもそれは、ひと月やふた月といった月単位でなく、週単位かもしれない。
 もちろん、家柄を使ってではなく、ルーディならば実力で。誰にも文句など言わせずに。
 そうして、昇格した後は……。恐ろしくて、考えたくもない。
 たしかに、ルーディにはもともと、それだけの実力があり、それに加え公爵家の威光もある。無謀でも無茶でもないだろう。
 この少年は、間違いなく騎士団を引っ掻き回す。
 何か他に目的があるのだろう。
 一体、何をたくらんでいるのか……。
 まあ、腐敗しはじめた騎士団には、いい刺激になるだろう。
 何といっても、あの腹黒宰相の自慢の次男坊。どこぞのお偉方の意思が働いているのかもしれない。
 裏にほのかに見える中枢の意向に盾突くことはよろしくない。ならば、ルーディの好きなようにさせておくべきだろう。
 副団長は、この時、漠然とそう思った。
 そうして、この一週間後、ルーディは主席で士官学校を卒業し、さらに二週間後、従騎士として騎士団に入団を果たした。


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update:12/03/29