虹色の湖
change〜とりかえっこ王子〜

「さあ、つきましたよ、姫」
 とことこと道を歩き、フィーナとクレイはようやくクロンウォール湖までたどりついた。
 そして、クレイがそのようにフィーナを促す。
 するとフィーナは瞳をきらきら輝かせ、クレイの手を放し、湖岸へ歩いていく。
 今の今までクレイしか目に入っていなかったのに、フィーナの意識はもうすでに湖に向いている。
 なんとも、げんきんな姫君である。
「姫、気をつけてくださいね。足をすべらせないでくださいね」
 クレイがくすくすと笑いながら、フィーナにそう声をかける。
 案外こどものようなところのあるフィーナが、やっぱりかわいく思えたのだろう。
 むうと頬をふくらませたフィーナの顔が再びクレイに向けられ、「こどもじゃないわよ」とお怒りのお言葉を頂戴してしまった。
 そのフィーナの反応に、クレイは一瞬目を見開いた。
 しかしすぐにまた、くすくすと楽しそうに笑い出してしまった。
 どうやらクレイは、優雅で気品に満ちたフィーナ王女に、意外にこどもっぽい一面を垣間見、かわいいと思ったようである。
 本当に、先ほどから、フィーナはクレイ好みの反応をしてくれる。
 それが、クレイはたまらなく嬉しい。
 そんな思いを抱きつつ、クレイもゆっくりとフィーナの横まで歩いていく。
 そして、二人並び、湖を眺める。
 湖は、昨日夕日の塔でクレイが言った通り、きらきらと虹色の輝きを放っている。
 光り加減で、赤色になったり青色になったりと、いろいろな顔を見せる。
 それがとても美しく、幻想的にフィーナは感じた。
 ほうと見ほれている。
 フィーナを横目にちらっと見て、クレイはほわりと優しく微笑む。
 同時に、胸につんとした痛みがはしった。
 クレイは、何も知らないフィーナを騙しているのだと、あらためて思わされたから。
 クレイも、こんなつもりではなかった。
 まさか、こんなに仲良くなってしまうなんて思ってもいなかった。
 それも、たった一日で。
 予想以上にフィーナがクレイを受け入れたので、それで……。
 クレイは、それが嫌なわけじゃない。むしろ、嬉しく思っているくらい。
 しかし、フィーナとの壁が薄く、低くなればなるほど、クレイの胸は痛む。
 気づけば、いつの間にかまた、二人の手は絡められていた。
「ねえ、キオス王子。本当に綺麗ですわね。つれてきてくれてありがとう」
 フィーナはきらきら輝く虹色の湖面に視線をやったまま、横で手をつなぐクレイの肩に自分の頭をぽてっともたれかけた。
 そして、そこからまた、嬉しそうに湖を眺める。
 嬉しそうな中に、幸せをまじえている。
 当然、フィーナの頭が肩に触れた瞬間、クレイの心臓はどっくんばっくんと高鳴っていた。
 自慢ではないが、女性慣れしていないとフィーナに思わせるほど、クレイは女性とかかわりがない。
 これまで、勉学と武道に励んでいて、そんな暇はなかった。
 また、興味もなかった。
 それが今、こんなに近くで女性と触れ合っている。
 心臓に踊るなという方が無理である。
 クレイは高鳴る胸を必死におさえ、ちらっとフィーナを盗み見た。
 一体、どのような心情でこのようなことをしているのか……?と、少し気になったからかもしれない。
 その中には、もちろん少しの期待がこめられている。
 そして、盗み見たがために、クレイはさらに胸を弾ませることになった。
 同時に、フィーナもまた、クレイにちらっと視線を移していたから。
 視線と視線がばちっとぶつかり、絡み合う。
 瞬間、クレイはあまりもの動揺のために、ぐらっと体勢を崩し、その勢いのまま、ばしゃんとすぐ前の湖に倒れこんでしまった。
 それでも、さすがはクレイといおうか。
 自らが倒れこむ瞬間、ぽんと軽く体を押し、フィーナを引き離していた。
 よって、フィーナは無傷。
 ただクレイだけが、七色の湖の中、びしょびしょになっていた。
 上から下まで、ずぶ濡れ。
 フィーナは、あっけにとられたようにクレイを見下ろす。
 そんなフィーナの様子に、クレイは愛想笑いを浮かべるしかできなかった。
 ぽりぽりと頭をかきながら。
 まさか、フィーナの急接近に、目が合ったがために動揺して体勢を崩したなんて、そんな恥ずかしいことが言えようはずもない。
 それは、クレイが持ち合わせている男の誇りのために。
「あははっ。す、すみません。どじっちゃいました」
 きらきらと、クレイから水滴が飛び散る。
 フィーナは、今もって驚いたようにクレイを見つめている。
 そして、次の瞬間、ぷっと吹き出した。
 くすくすと楽しそうに笑い出す。
「楽しい方ね。何だか、聞いていた噂とは大違いだわ。最初、この話を持ってこられた時は、この上なく嫌でしたけれど……。あなたならいいわ。噂って、あてにならないものなのですね?」
 相変わらずおかしそうにくすくす笑いながら、フィーナはクレイに手をさし出す。
「フィーナ姫……」
 しかし、クレイはその手をとろうとはせず、どこか苦しそうにフィーナを見つめる。
 そのようなクレイに、フィーナはきょとんと微笑みを落とす。
 「さあ、お手を」と。
 それでますますクレイは、苦笑いを浮かべなければならなくなってしまった。
「濡れますよ?」
「平気よ」
 そう言って、フィーナが強引にクレイの手をとる。
 困ったような表情を浮かべつつもそれに従い、クレイはフィーナに負担をかけないように、ひょいっと立ち上がった。
 同時に、やはりぴしゃんとフィーナに水滴がかかる。
 それでクレイは焦ることになるけれど、フィーナはおかしそうにくすくす笑うだけだった。
 「冷たくって気持ちいいわ」などと言いながら。
 そうして笑うフィーナは、クレイの目にはやはり綺麗に……いや、かわいらしく映っている。
 そして、まぶしく。
 この世の何よりも、透明で、清らかで、汚れなく。
「乾かしてからでないと帰れないですわね? みんなに、どうしたの?と聞かれてしまいますわ」
 フィーナはそう言って、クレイにからかいがちに微笑みかけていた。
 クレイはやはり、苦く「はい……」と答えるしかなかった。
 本当に、このまま帰っては、大騒ぎになってしまう。
 だけど、湖にはまったことは、決して悪いことでもないとクレイは思えてしまう。
 何しろ、そうすることによって、乾くまでという理由をつけて、もう少し、フィーナとの二人だけの時間を過ごすことができるのだから。
 胸に苦い思いがあふれるけれど、しかし、それでも……。
 こうして過ごす、フィーナとの二人きりの時間にはかえられない。
 ――フィーナを騙している。
 それだけが、クレイの胸を重く苦く押さえつける。
 その姿を目にした瞬間、クレイはたしかにフィーナに目を奪われていた。
 ほとんどといっていいほどはじめてみた、姫君――同世代の女性に、心奪われていたかもしれない。
 出会った、その瞬間に。
 そして、たった一日と半日。
 ともに過ごして、その思いはどんどんあふれてきた。ふくれあがってきた。
 意に反して……。
 本来の目的は、この政略結婚をぶち壊す、そのはずなのだけれど。
 フィーナのことを知れば知るほど、クレイの中で罪悪感がふくらんでくる。募る。
 こんなに素直でかわいらしい王女を騙しているのだと思うと、クレイの良心が悲鳴を上げる。
 いや、そうではなく、クレイはたしかに、フィーナに特別な感情を抱きはじめていた。
 それは、フィーナの姿をその目にした時に、すでに気づいていたことかもしれない。はじまっていたことかもしれない。
 今目の前で微笑むフィーナを見て、それが確信へと変わっていく。


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update:05/06/05