月夜の告白
change〜とりかえっこ王子〜

 今宵は、美しい満月。
 空にぽっかり浮かぶ月を、一片の雲が姿を隠していく。
 煌々とした黄色い明かりが、ふっと消えた。
 クロンウォールの城に陰を落とす。
 松明や燭台の灯りに浮かぶその城が、薄暗い世界にぼんやりと覆われていく。
 そのような時、まだ宵の口のこの部屋の扉がたたかれた。
 それは、今朝の時とは少し違う、どこか力強さを感じさせる。
 これはとうてい侍女の仕事ではないなと、フィーナは瞬時に思った。
 そして、こんな時間に、他国でフィーナの部屋を訪れる者の予想がまったくつかないので、あれ?と首をかしげる。
「どなた……?」
 恐る恐る、フィーナは扉の向こうへ声をかける。
 するとすぐに、遠慮がちに言葉が返ってきた。
 その言葉を発した声は、とても聞き覚えのある声。
「……キオス……です。夜分、失礼かと思ったのですが……」
 客人がそこまで言い終えるか終えないかのうちに、フィーナはだっと駆け出し、扉を勢いよく開けていた。
 多少息を乱したように、嬉しそうに微笑みながら。
 そのようなフィーナに、扉の外のキオス――クレイは、驚きをあらわにしている。
「どうかなさったの? キオス王子」
 そう言いつつも、返事など必要ないと、フィーナはクレイを部屋の中へと促す。
 フィーナには、もうクレイに対する警戒心の欠片もないのかと、クレイは胸の内で苦笑いを浮かべていた。
 警戒されるのも悲しいものがあるけれど、だからといって、まったく警戒されないのも、男としてはむなしいものがある。
 それを知ってか知らずか、フィーナは無条件にクレイを部屋の中へ招き入れる。
 どこまで純粋に人を信じる王女なのだろうと、クレイの心は複雑にゆれる。
「来てくださって嬉しいわ、キオス王子。もう少し、あなたとお話をしたいと思っていたところですの。それに、今日はとっても綺麗なお月さまもでていますしね?」
 フィーナはそう言いながら、すぐ横の窓にかかるカーテンに少し隙間を作り、月明かりを部屋の中へ招き入れる。
 フィーナの言うとおり、今宵はとても綺麗な満月。
 先ほどまでかかっていた雲も、もうどこかへいってしまっている。
 その妖艶な姿に惑わされ、魔物でも迷い出てきそうな、そのような月夜。
 差し込む月明かりが、フィーナを黄色く照らす。
 月明かりを受けたフィーナは、クレイの目にはとても美しく映ってしまう。
 魔物ではないが、惑わされそうになる。
 どくんどくんと、クレイの胸の鼓動がはやくなる。
 そのような鼓動を必死におさえ、フィーナに気づかれないように、クレイは平静を装う。
 これは、不器用なクレイにとっては、至難の業に思えてならない。
「わたしと……話をですか?」
 まぶしそうに目を細め、クレイはぽつりとつぶやいた。
 ――まぶしい。
 それは、差し込む月明かりではなく、もちろん、目の前で輝くように微笑むフィーナが。
 あまりの輝かしさに目がくらみ、クレイはめまいを覚えそう。
 そのようなフィーナの姿を見せつけられると、クレイはもう駄目だと思わされてしまう。
 そう、このまま、フィーナに偽り通すことは、もうクレイには無理だろう。
 我慢できない。
 いや、どだい、はじめから無理だった。
 不器用で融通がきかない、真面目だけがとりえのクレイには。
 キオスに強引に押し切られ、こんな役を受けてしまったが……。
 あの時、何がなんでも断っておけば……。そう思えてならなくなる。
 キオスとしてでなく、クレイとしてフィーナに会いたかった。
 そうすれば、こんなに苦しむことも、惑うこともなかったのではないだろうか。
 そうすれば、こんなおかしなことをせずに、もっと素直にフィーナに告げられるかもしれない。胸に抱くその思いを。
 クレイとして会って、そして、クレイとしてフィーナと……。
 そんな無駄な思いだけが、望みだけが、クレイに押し寄せてくる。
 今さらである。
 過ぎ去ってしまったことは、もう戻ってはこない。
 してしまったことは、もう取り返しがつかない。
 そして、いつかはばれるだろう。
 このままいけば。
 この歓迎ぶり、警戒心のなさからいえば、フィーナは恐らく、クレイを受け入れてくれているのだろう。
 自信過剰かもしれない。
 だけど、クレイはそういう思いだから。
 出会ったあの時、フィーナが馬車から降り立ったあの時、もしかしたらクレイは、フィーナに恋していたのかもしれない。一目ぼれだったかもしれない。
 そして、たったの二日間ではあるけれど、フィーナのことがわかるにつれて、その思いはクレイの意に反し、肥大していく。
 この思いを抱えて、フィーナを騙し続けるなんて、クレイにはとうていできない。
 もう無理。限界に達してしまった。
 クレイにはもう、フィーナに偽りとおすだけの忍耐はない。
 いつか誰かの口からそれを話されるくらいなら、いっそ、クレイの口から告げてしまいたい。
 他の誰でもなく、クレイから……。
 そう思い、こんな夜遅く、この部屋へとクレイはやって来ていた。
 そこには少しの迷いがあったかもしれない。
 だけど、嬉しそうにクレイを招き入れるフィーナを見てしまったから、もう限界にきてしまったのだと思わされた。
 そして、決意する。
「その前に……わたしは、あなたに話しておかなければならないことがあります。わたしは、あなたにとてもひどいことをしています。あなたは許してくれないかもしれないけれど、だけどわたしには、もう黙っていることはできないから……」
 一歩一歩、窓際に立つフィーナに歩み寄りながら、クレイは辛そうにフィーナを見つめる。
 当然、それまでほころんでいたフィーナの顔は、クレイのその言葉を受け、突如険しくなる。
 じっと、真剣な眼差しをクレイへ向ける。
「待って……。わたくしも、あなたに言わなければならないことがあります。わたくしは、あなたに嘘をついていることが一つありますから……」
「え……?」
 目の前まで歩いてきたクレイを、フィーナは申し訳なさそうに見た。
 すると、今度はクレイが顔をゆがめる。
 クレイの告白を止められたばかりでなく、フィーナが先に告白しようとしているから。
 そして、クレイはわかった。
 隠し事をしていたのは、クレイだけでなく、フィーナもだったと。
 フィーナもまた、クレイに正直になろうとしてくれているのだと。
 隠し事をされていたことは少し衝撃だけれど、クレイがフィーナについている嘘にくらべたら、どんなものでもかわいいものに思えるだろう。
 いや、そうに違いない。
 その事実が、頭では悲しく苦しいことだと思いつつも、心はとても嬉しく思っている。
 矛盾した思いが、クレイを包み込む。
「わたくし、本当はこの結婚のお話、のり気ではありませんでした。だって、あなたの噂、とんでもないですもの。知っていらして? どのような噂をされていらっしゃるか」
 皮肉るように、そして悲しそうに、フィーナはクレイを見つめる。
 その視線を受け、クレイは苦笑いを浮かべるしかできなかった。
 何故ならば、クロンウォールの第二王子キオスといえば、それはもう……。
 それくらい、クレイだって知っている。
 だから、何も言えない。
 そのような噂がある王子と、誰が好き好んで結婚したがるものか。
 クレイとて、日頃、そう思っていないわけではなかった。
 しかし、まがりなりにも王子であるキオスの前で、どうすればそのようなことが言えようか。
 立場上、それを口にすることははばかられる。
「だけど、仕方がありませんものね。クロンウォールを敵にまわしては、アルスティルはひとたまりもありません。だから……渋々受けることにしました。国を守るために。この話を。――あなたは、そのような思いで嫁いでくる王女でも、妃としてちゃんと愛せまして?」
 自嘲気味に笑いつつも、フィーナの目はクレイを試すように見ていた。
 それで、クレイは悟らされた。
 やはり、この話を望んでやってきたのではなく、圧力に負けて、渋々……。
 国を守るために、この王女は、自ら犠牲になろうと……。
 クレイが思っていた通りの姫君だ。
 思っていた通り、王女としての責務を懸命に果たそうとする、責任感がある、意思が強い姫君。健気な姫君。
 だけど、それがかえって、クレイには気の毒に思えてならない。哀れに思う。
 そして、とても愛しく感じてしまう。
 健気にも、懸命に国につくそうとする姫君。
 辛いであろうに必死に強がってみせるこの姫君を、守ってあげたい。
 クレイが。クレイの手で。クレイの全てをかけて。
 そう思った瞬間、クレイの手は、切なそうにクレイを見つめるフィーナへとのびていた。
 そして、少し強引に抱き寄せる。
 抱き寄せたフィーナは華奢で、柔らかくとてもいい香りがする。
 思っていた通り、体全部で感じるフィーナは気持ちがいい。
 愛しさがこみ上げてくる。
 このような思い、クレイは今まで知らなかった。
 この月明かりの妖艶さと、フィーナの香りに惑わされるように、クレイの顔がゆっくりとフィーナへ近づいていく。
 そして、気づけば、触れていた。
 フィーナの唇に、クレイの唇が。
 軽く。だけど、求めるように。
 あまりの愛しさに、体が勝手に動いていた。
 フィーナにキスしてしまった。
 そのことにはっと気づいたクレイは、瞬時に顔から色が失せていく。
 慌ててフィーナをその腕の中から解放する。
 色が失せていたその顔は、次の瞬間にはすでに真っ赤に染め上がっていて、そしてその目には、後悔の色がたたえられていた。
 フィーナの意思を無視して、自分の衝動だけで行動してしまった。
 他国の姫君に、とんでもないことをしてしまった。
 そんな浅はかな自分を恨むように、責めるように、なじるように、クレイは苦しそうにフィーナを見つめる。
 愛しくて。愛しすぎて。
 とめられなかった。
 ただ、それだけ――。


* BACK * NEXT *
* TOP * HOME *
update:05/06/12