姫君の噂
change〜とりかえっこ王子〜

 真上にさしかかった太陽を背に、ラファイエットがやわらかな笑みを浮かべている。
 フィーナの手をすっととり、そこへ口づけを落としていく。
 そして、そのままの体勢で、ちらりと上目遣いにフィーナを見上げる。
「先ほどは失礼いたしました、フィーナ王女。取り乱したりなどして……」
「いえ、それはかまいませんわ。それより、どうして、わたくしがキオス王子などと……とおっしゃられたのです? とてつもなく心外ですわ」
 まだラファイエットの手の上にある手をすっとひき、気づかれないように、そっと、今口づけをおとされたばかりの手の甲を、フィーナはドレスですりすりとぬぐう。
 その顔は、ラファイエットへ向けられ、詐欺のようににこやかに微笑んでいる。
「で、では、キオス王子と婚約されたというのは……」
「真っ赤な嘘ですわ。それはお断りいたしましたもの」
 恐る恐る尋ねるラファイエットに、フィーナは満面の笑みできっぱりと言い切る。
 本当に、あのような王子と婚約したなど、これほど不名誉なことがあるだろうか。これほどおぞましことがあるだろうか。
 そんなこと、死んでもお断りである。
「そうですか……」
 ラファイエットはほっと小さく吐息をもらし、嬉しそうに安堵の笑みをのぞかせる。
 どうやら、フィーナの言葉をあっさり信じたらしい。
 なんと単純な王子のことか。
 普通なら、もう少しくらい疑ってもいいだろうに。
 まあ、こういうことでたばかる必要は普通はないだろうから、簡単に信じたのかもしれないけれど。
 それに、フィーナがキオスと婚約したというのも、あくまで噂だったから。
 アルスティルの王女が、クロンウォール王の脅迫に負け、渋々、あのちゃらんぽらん王子と会うためにクロンウォールへ赴いた……という辺りまでしか、真偽は確かめられていない。
 そこまでしか広まっていない裏には、なんだかとっても、他意を、誰かの力、影響が感じられてならないけれど、それは気にしては終わりだろう。
「ですけれど、そのような噂、一体どこから……? 迷惑ですわ」
 すっと頬に手をそえ、フィーナは哀愁めいたため息をひとつつく。
 思い切り、体一杯、迷惑だと主張するように。
 その様子に、ラファイエットはますます信憑性を高めたのか、安心したのか、どこか得意げにフィーナの疑問に答える。
「エメラブルー辺りまで噂がいっているとは思いますよ。わたしはその国の者から聞きましたので」
「エメラブルーって……まあ、そのように遠いところにまで?」
 ぱっと目を見開き、フィーナはあたかも驚いたように振る舞う。
 本当は、驚いたのではなく、瞬間、その事実に煮えたぎるような怒りを覚えていたけれど。
 背でこっそりと握られたフィーナの手が、ぶるぶる震えている。
「ええ、フィーナ王女、あなたのお噂は諸国に広まっておりますよ。本当に聡明な王女でいらっしゃる。それに、噂通りの美しさ。まるで大輪の花。どのような美しい花でも、あなたには劣ってしまいますよ」
 思いっきり歯がうくようなことを、さらりと平然と、ラファイエットは言い放つ。
 瞬間、フィーナの顔がひきつったけれど、それは気づかれないようにさっと笑みをのせ、誤魔化す。
 背で握られているフィーナの拳が、ますます激しく震える。
 いつ、そのまま、その拳がラファイエットの頬にお見舞いされてもおかしくないほどに。
「まあ、お世辞がお上手ですわね」
 そのような気色の悪い言葉、言っていて恥ずかしくはないのだろうか?
 自分がいかに滑稽だか、気づいていないのだろうか?
 まあ、気づいていれば、そのようなおぞましいことは、そうやすやすとはくことなどできないだろうけれど。
 社交辞令にしても……いきすぎ。
「そのようなつもりはありませんよ」
 ラファイエットは、フィーナの微笑みに気をよくしたのか、やはり得意げににっこり微笑む。
 それから、フィーナが「まあ……」とまた小さく声をもらし、くすくす笑い出したものだから、ラファイエットも一緒になってくすくす笑い出す。
 そうして、上辺だけの、高貴な方々の優雅な時間がはじまる。
 その笑みの下で、フィーナは殺意すら覚えていることになど、ラファイエットはさっぱり気づいていない。
 けれど、ともにここに居合わせているクレイは、フィーナの本心に気づいている。
 フィーナの背で繰り広げられていた怒りとの格闘を、はじめからずっと見ていたから。
 いや、見ていなくても、フィーナのことをわかっていれば、すぐに気づく。
 クレイもまた、ラファイエットには気づかれないように、常時おだやかな笑みを浮かべていた。
 お腹の中は、さておき。
 クレイは、相変わらずくすくす笑うフィーナとラファイエットからちらっと視線をそらし、続き部屋への扉へ向けた。
 すると、その扉は、申し訳程度にうっすらと開けられていた。
 ちらりと、誰かがこちらの様子をうかがっているような気配がある。
 それに、クレイは小さくくいっと首を動かす。
 すると、扉の向こうで、こくりとうなずくような気配があった。
 そこには、護衛官でもないのに、クレイに従いやってきたヒューイがいたから。クレイが、ヒューイを控えさえていたから。
 ヒューイのその動きを確認し、クレイは小さく得意げに笑みを浮かべ、すっと視線を戻していく。
 そして、フィーナとラファイエットが仲良く?笑い合うそれを、面白くないといったように頬をふくらませ見て、すねてみせる。
 お腹の中では別のことを考えていると、悟られないように。
 それを見て、扉の向こうのヒューイはどこかうつろな目をした。
 わかっていることだけれど、まさか、ここまでたちが悪かったか……とでも言うかのように。
 ぱたりと、誰にも気づかれないように、扉が閉められる。


 昨日よりは少しだけ欠けた月が、やはり今夜もぽっかりと空に浮かんでいる。
 けれど、まるで誰かの心を物語るように、そのまわりには散り散りに雲が広がり、時折月を隠してしまう。
 今もちょうど雲が月を隠し、フィーナの私室にまで月光がとどかなくなっている。
 今日は窓が閉められているから、カーテンも不愉快なほど揺れることはない。
 カーテンは閉じられることなく、開けられたまま。
「それにしても、なんと不名誉なことかしら。キオス王子などとわたくしが……などとは。たとえ噂でも許し難いですわ。これでは死んでも死にきれませんわ!」
 ちりっと親指のつめを噛みながら、フィーナはいまいましげにつぶやく。
 そして、目の前においてあった、もう湯気がのぼらなくなったお茶が入ったカップを、乱暴に持ち上げる。
 それから、あおるように一気にのみほす。
 がちゃんと、ソーサーの上に、再びカップが乱暴に置かれる。
「よりにもよって、エメラブルーなんて……。それでは、この世界のおよそ半分にまで広がっていると言っても過言ではないじゃない。本当に腹立たしいったらないわ!」
 空になったカップに、クレイがいそいそとお茶のおかわりをついでいく。
 今度は、ほわほわとあたたかな湯気がのぼっている。
 それをちらりと見て、フィーナは腕組みをして、椅子にふんぞりかえる。
 むうと、とっても面白くなさそうに頬はふくらみ、目はすわっている。
「そういえば、エメラブルーといえば、クレイさまよりもさらにたちが悪い王子が一人いましたわね……?」
 かちゃりとクレイにお茶をそそいでもらったばかりのカップを持ち上げ、フィーナは思案げにつぶやく。
 すると、クレイはその言葉が意味するものを寸分違わず理解したのか、頬をひきつらせながらにっこり微笑む。
「フィーナ、わたしよりたちが悪いとは……どういうことかな?」
 クレイもカップを持ち上げ、顔の前でかざしてみせる。
 そのクレイを見て、今の今までの不機嫌が嘘のように、フィーナはにやりと笑った。
「うふふ。クレイさまほどの腹黒さが、わたくしにはちょうどいいということですわ」
「それでは、フィーナよりもくせのある王女が、やっぱりエメラブルーにいたよね?」
 間髪をいれず、クレイはそう切り返す。
 試すように、その目がフィーナをとらえる。
 ずいっと、フィーナへ上体を迫らせる。
 今二人の間を隔てているこのテーブルが邪魔で、憎らしいというように。
 ことりと、クレイの手からカップがテーブルに置かれる。
「それは、クレイさまには、わたくしがちょうどいいということかしら?」
「もちろん」
 突き出されたクレイの頬をちょんとつつき、フィーナは楽しそうに微笑む。
 それにこたえるように、クレイもまた、楽しそうに微笑んだ。
「まあ、素敵ね」
 そして、互いに、額と額が触れ合いそうなほど顔を近づけ、くすくす笑い出した。
 とても幸せそうに。二人だけの時間を満喫するかのように。
 結局は、いつの間にか、そういうことになってしまったらしい。
 フィーナの手に持たれていたカップが、クレイの手によってテーブルの上に置かれる。
 それから、二人のシルエットは、そう時間を要さないうちに重なりあっていた。
 口づけをかわすように――。
 その様子を、向かい合うように建つ向こうの客間を備えた館から、誰かに見られている可能性など、もちろん二人は想像すらしていないだろう。
 頬をなでていくその夜風に吹かれながら、バルコニーに立ち、じっと二人の様子を見つめるその者になど……。
 それは、昨日突然やってきて、そしてクレイをクロンウォールへ連れ戻そうとしているその王女などとは、もちろん夢にも思わずに。
 さあと、風にさらわれる髪をうっとうしげにかきわけながら、キャロンは怪訝に……苦しげに、向かいの建物の一室をにらみつけていた。
 カーテンが開け放たれたその部屋は、そこからでも中の様子を容易にうかがうことができる。


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update:07/06/12