帰って来た王子様
change〜とりかえっこ王子〜

 緑豊かなその国の、ちょうど真ん中にそびえる古めかしい王宮。
 崩れかけた外壁は、辺り一面緑の風景にとけこみ、よく似合っている。
 緑豊かな平和なこの国は、アルスティル。
 古い言葉で、緑の国。
 ここは、そんなアルスティルの王宮。
 ――今度もまた、アルスティル。


 アルスティルの王宮には、それはそれは美しい庭がある。
 庭の中には、花の女神が禊をしたと伝えられる、かつては泉だった湖がある。
 そのほとりには、東屋。
 緑にかこまれ、のんびり暮らすこの国の気風にあった、どことなく素朴なつくりとなっている。
 そこにおかれてある木製の簡素な、けれど意匠をこらした長椅子に、フィーナとクレイは身を寄せ合うように座っている。
 さわさわと吹くさわやかな風を感じ、ゆったり流れるこの時間を楽しんでいる。
 ふと視線を絡ませあい、にこりと微笑む。
 そして、それはまるで必然のように、互いの顔がゆっくり近づいていく……。
 その時だった。
 ひゅっと、クレイの頬のすぐ横を、何かするどく光るものが通り過ぎた。
 すぐ後ろの柱に、それがだんとつきささる。えぐるように、しっかりくいこむ。
 フィーナから体をはなし、クレイは何事かとがばりと振り返った。
「お前がクロンウォールの第一王子か! 僕がいない間に、僕のフィーナをよくもたぶらかしてくれたな! その罪、その命をもって(あがな)ってもらおう! そこへなおれ、たたききってやる!」
 クレイの目に飛び込んできたものは、東屋の柱にささり、ぶるんぶるん震えるナイフだった。
 それは、無駄な飾りのないごくごく簡素な、機能を重視したつくりになっている。
 同時に、そのような怒号が、クレイの耳をつんざく。
「ど、どうして、いきなりナイフが……? いや、それよりも……」
 クレイは頬をひきつらせながら、フィーナへゆっくり顔を戻していく。
 するとそこでは、フィーナがかわいらしく、くいっと首をかしげていた。
 どうやら、今まさしく、間違いなく、クレイめがけてナイフが飛んできたことは、さっぱり気にしていない。
「あら? このナイフは……」
 いや、違った。見るまでもなく、飛んできたそれが、フィーナはナイフと判断していた。
 柱にささるナイフは、フィーナからは、クレイに隠れ見えないはずなのに。
 ということは、つまりは、その言葉からもわかるように……。
「ローシャル? 帰っていたの?」
 東屋の向こうの木に向かって、フィーナはそう問いかけた。
 すると、その木の陰から、一人の少年がすっと現れた。
 フィーナと同じ髪の色をし、フィーナと同じ瞳の色をしている。
 フィーナを少し幼くしたような顔立ちの、何ともかわいらしい少年。
 木漏れ日が、愛しい幼子を抱くように少年に注いでいる。
「ええ、フィーナ姉さま。つい先ほど」
 少年は、フィーナにも負けないほどの愛らしい微笑を浮かべる。
 クレイは思わず、その少年を見つめてしまった。
 フィーナはふわりと両手をかさねあわせ、クレイににっこり微笑みかける。
「クレイさま、紹介いたしますわ。わたくしの弟、ローシャルですわ。学術国ポーリアに留学しておりましたのよ」
 ローシャルはにこにこ笑いながら、フィーナとクレイのもとへ、とことこと歩いていく。
 二人の前までくると、そこでぴたっと足をとめ、やっぱりにっこり微笑む。
 友好的に微笑むローシャルから、いまだに背でふるふる震えているナイフはきっと気のせいだろうと言い聞かせ、クレイはにっこり笑い、すっと右手を差し出す。
 フィーナの弟というから、ここはやっぱり、是非とも仲良くならねばならないという下心をたっぷりこめて。
「はじめまして、ローシャル王子。わたしは、クレイ・ジェファーソン・クロンウォール。フィーナ王女の婚約――」
 差し出すクレイの手をさりげなくべしっとはらいのけ、ローシャルはフィーナににっこり微笑みかける。
 手をはらう際も、フィーナからは見えないように自らの体で隠すことを忘れていなかった。
「そんなことより、姉さま、あちらで一緒にお茶をしませんか? ポーリアより、姉さまがお好きそうな茶葉を、お土産に持って帰ってきたのですよ」
 その存在は目に入っていませんとばかりにさっくりクレイを無視し、ローシャルは、フィーナににこにこ微笑みかける。
 それはまるで、穢れない天使のような微笑。
 ローシャルは、当たり前のようにフィーナの手をすっととる。
「まあ、ローシャルったら。もちろんよ。留学中のお話、ゆっくり聞かせてちょうだいね」
 ふふふと優雅に笑い、ローシャルに手を引かれるまま、フィーナは立ち上がる。
 すると、そんなフィーナに遠慮がちな声がかかった。
「いや、あの……ちょっと待って……」
「あら? ごめんなさい、クレイさま。すっかり忘れておりましたわ」
 目を見開き、フィーナは驚いたようにクレイを見つめる。
「ああ、もう、フィーナは……っ」
 クレイは、がっくりと肩を落とした。
 けれどすぐに、仕方がないかと微苦笑を浮かべる。
 フィーナが、愛しいクレイの存在を一瞬でも忘れてしまうということは、それほど姉弟の再会を喜んでいるということだろう。
 ローシャルは、アルスティルから遠くはなれたポーリアに留学していたということだから。
 久々の姉弟の再会なのだから、ここは仕方がない。クレイは一歩ひいてあげるべきだろう。フィーナのために。
 アルスティルには、フィーナの他に世継ぎの王子がいるということなので、恐らく、このローシャルがその王子なのだろう。
 アルスティルの王子の噂をあまり聞かないと思ったら、なるほど、クレイが知らぬ間に留学をしていたのか。
 クレイはフィーナ以外興味がなかったので、あえて人を使って調べてもいなかった。
「クレイさまも、ご一緒にいかが?」
 フィーナはにっこり微笑み、ローシャルとつなぐ手と反対側の手をクレイへ差し出す。
 一瞬驚いたようにフィーナを見て、クレイはふわりと頬をゆるめた。
「もちろん、一緒させてもらうよ」
 そして、フィーナの手をとろうとした時だった。
 さっと、何かがクレイの顔の横を通り過ぎていった。
 ばぎっと鈍い音がして、クレイの背の柱にささっていたナイフがふっと消えた。
 かつてナイフがささっていたであろうそこは、ぱっくりと口をあけ、ぽろぽろと木片が落ちていく。
 はっとして、クレイは目を見開く。
 気づくと、クレイの首にその消えたナイフがぐっとおしあてられていた。
 妙に黒いものを感じさせ、にっこり微笑むローシャルによって。
 ナイフをおしあてるローシャルの手が、気のせいか、ふるふる震えているような気がする。
 ごくりと、クレイののどが鳴る。
「邪魔だよ?」
 クレイの耳元でぼそりとそうつぶやくと、ローシャルはナイフをすっと引き、胸にしまいこむ。
 くるりとフィーナに振り返り、甘えるようにほにゃっと笑いかけた。
 そうして、ローシャルは嬉しそうにフィーナの手をひき、館の方へ歩いていく。
 クレイは、そんな二人を、ただぽかんとして見送る。
 結局、クレイはフィーナの手に触れずじまいになってしまった。
 とっても残念。
「クレイさま、早くいらして、遅いですわよ」
 まるで追い討ちをかけるように、フィーナは出遅れたクレイに気づき、そう声をかける。
 さわやかで楽しそうな微笑つきで。
 クレイは、なんだかとっても嫌なめまいに襲われた。
 ――やっぱり、最初に聞いたあの言葉は空耳などではなかった。
 間違いなく、ローシャルは、クレイのことがとっても気に食わないのだろう。
 フィーナの弟だから仲良くしようとクレイはせっかく思ったのに、これでは前途多難。
 いつものクレイなら、瞬時に敵とみなし、その鬼畜っぷりをもって有無を言わせずお仕置きをするところだけれど、それもフィーナの弟となると話は別。
 そんな手段ではなくて、正攻法で、やっぱり仲良くしたい。
 すべてにおいてフィーナのために。
 フィーナが大切にする者は、クレイも大切にしよう。


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update:08/03/15