姫君の策略
change〜とりかえっこ王子〜

 かたんと椅子をひく音が小さくなり、キオスの横にクレイがすっと腰をおろした。
 その気配に、キオスは思わずびくりと体を震わせる。
 キオスをにらみつけるのは、今隣に座ったクレイではなく、その向こう側にいるアルスティルの王子その人だった。
 アルスティルの王子様は、フィーナにめっとしかられている。
「ローシャル、毒だけは盛っては駄目よ。別にいてもいなくてもいい存在だけれど、一応このようなものでも、厄介なことに、クロンウォールの王子なのだから。あなたもさすがに、国際問題にはしたくないでしょう?」
「そうだね、ごめんね、フィーナ」
 ローシャルはしゅんと肩を落とし、ちらりと舌をのぞかせて、甘えるようにフィーナに身をすり寄せる。
 フィーナは、本当に甘えん坊ねというように、ローシャルの頬を両手でふわりと包み込む。
 ローシャルは嬉しそうに、ほわんと顔をくずした。
「わかればいいのよ」
 くすくすくすと、実に優雅に、何事もなかったようにフィーナが笑い出す。
「いやーん。フィーナちゃんが、いつにもましていじわるだー!」
 その光景を目の当たりにしてしまい、キオスは横に座るクレイにそう叫び泣きつく。
 けれど、クレイに抱きつく前に、あっけなく椅子の下敷きにされていた。
 クレイは気持ち悪そうに、ぶるるっと身震いしている。
 胸元から取り出してきたハンカチーフで、今床にキオスをしずめたばかりの手をふきふきしている。
 本当に、キオスにとっては、踏んだり蹴ったり≠フ扱われ方。
「って、ちっがーう! そうじゃなくて、フィーナちゃん、考えなおして!」
 乗っかる椅子を弾き飛ばし、キオスはぐいっと上体を起こす。
 それから、よじよじ這い、フィーナへ寄っていく。
 そのキオスの顔の前に、だんと床を踏みつけるように足が現れた。砂煙が上がったような幻影が広がる。
「キオス」
 妙に威圧感があり重いその声色に、キオスはそろーりと顔を上げていく。
 するとそこには、案の定と言うべきか、凍えるように冷たい眼差しで見下ろすクレイがいた。
 ぞくりと、キオスの背を冷たいものが走り抜けていく。
 しかし、すぐさま自らを奮い立たせ、ばっと立ち上がる。
 真っ黒いものを吐き出すクレイをびしっと指差し、呆れたようにキオスを見るフィーナへ向かって叫ぶ。
「そ、そうだよ! こんな腹黒鬼畜と結婚なんかしちゃ駄目だよ! どうして、半年後に早々と結婚式をしちゃうわけ!? もっと先でいいよ。そうしたら、それまでに、クレイの極悪ぶりを理解して、考え直すことも――」
 キオスは勢いにまかせそこまで叫ぶと、はっと何かに気づいたように目を見開き、ぷつりと言葉を切った。
 それから、ざっとフィーナからもクレイからも視線をそらし、慌ててその場から立ち去ろうとする。
「あ、い、いや。そ、それじゃあ、俺はこの辺で……っ」
「待ちなさい、キオス」
「は、はいーっ。お兄様っ」
 しかし、妙に冷静に呼び止めるクレイに、キオスは時期を逃し、ぴたりと立ち止まってしまった。
 それが、間違いなく、キオスの運のつき。
 クレイの目が、視線だけでキオスを切り刻み殺そうとしていることに気づく。キオスは言葉を切った意味がなくなってしまった。
 どうにも恐ろしく振り返ることもできず、キオスはクレイに背を向けたままびくびく震え、次の言葉を待つ。
 それは、死刑執行を直前に控えた心地に似ているかもしれない。
「今夜、酒を酌み交わしながら、じっくりお話しましょうね。……キオスの大好きなお兄様と」
 クレイが、さわやかに、けれどすごみをきかせ告げた瞬間、あまりもの恐ろしさのためか、キオスはその場で灰と化していた。
 清々しく吹く風に、灰がさらさらさらーとさらわれていく。
 その横では、やはり愉快そうにフィーナが優雅にころころ笑っていた。


 キオスにしっかりお仕置き、教育的指導を施した後、クレイはフィーナの部屋へやって来た。
 太陽が西の地平線の向こうへ姿を隠そうとしている。
 どうやら、太陽は真上よりもちょっと西に位置していた頃から、ずいぶんと時間がたってしまったよう。
 そう、それだけたくさん、長く、クレイはキオスにお灸を据えていた。
 はじめのうちはローシャルも、フィーナとともにいたいがために、思い切り馬鹿にしながらその場にいたようだけれど、そう時を要さずしてすっかり飽きてくじけてしまい、両親へ帰国のあいさつに行った。
 どうやらローシャルは、この国を預かる王よりも先に、影の総支配者と名高いフィーナに会いに来ていたらしい。そして、ともにお茶までしていたらしい。
 しかし、それでもやはり、誰もとがめる者などいないだろう。だって、その順序は、ある意味間違っていないから。――正しい。
 また、フィーナはローシャルとともに立ち去ることなく、最後までキオスのお仕置きを楽しく眺めていた。
 もちろん、クレイに協力することはあっても、キオスに助け船を出すことはない。
 そうして、結局、お仕置きを終えたキオスも、しばらくアルスティルに滞在することになった。
 今頃は、クレイの横に部屋を与えられ、そのベッドの上でぐったりしていることだろう。
 この間アルスティルに闖入してきた折に仲良くなった侍女の何人かが、そんなキオスをくすくす笑いながら世話をやいているに違いない。
「フィーナ、まさかとは思うけれど、ローシャル王子に手紙を送ったのは、また……」
 窓辺に立ち、沈む夕日を眺めるフィーナに、クレイは恐る恐る問いかける。
 するとフィーナはゆっくり振り返り、その背に沈み行く太陽を背負い、妙に艶かしく微笑んだ。
「ええ、お邪魔虫がいれば、クレイさまがたくさんやきもちをやいてくれますでしょう? ……予定外に、害虫まで紛れ込んでしまいましたけれど」
「嗚呼ー……」
 にっこり微笑み、くすくすころころと、やはり楽しそうにフィーナは笑う。
 同時に、クレイの肩ががっくりと落ちていた。
 けれど、ちらりと視線だけは上げ、クレイは笑うフィーナを見る。
 なんて美しく笑う王女なのだろうか。
 クレイは、気づけばそんなフィーナをうっとりと見つめていた。


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update:08/04/22