あの日々は嘘?
change〜とりかえっこ王子〜

 今、ローシャルがにらみつける先には、とてつもなく許し難い、いまいましい光景がある。
 エイパスとお茶をしていたはずなのに、気づいたらフィーナの姿が見えなくなっていた。ともにクレイの姿も見当たらなくなっていた。
 その場から、エイパスもキオスでさえもいなくなっていた。
 どうやら、知らぬ間にお茶の時間はお開きになって、ローシャルは一人おいてけぼりにされたらしい。
 そこで慌ててフィーナを探しに出たら、見つけた。
 花の女神が禊をしたと伝えられる湖のほとりの茂みに隠れるようにして、フィーナとクレイの二人が寄り添い座り、笑い合っている姿を。
 そのまま突進してやろうかとも思ったけれど、その時、ふと耳に入ってしまったその言葉、目に入れてしまったその場面に、ローシャルの足は動かなくなってしまった。
 ローシャルはばっと茂みの中に身を隠し、そこからフィーナとクレイの様子をのぞき見る。
「クレイさま、楽しみですわね。早速ドレスを仕立てなければ」
 幸せそうに微笑み、フィーナはうっとりとクレイを見つめる。
「フィーナ、気が早いよ」
 クレイは困ったふりをして、けれどまったく困ってなどいないことも明らかで、愛しそうにフィーナの肩を抱き寄せる。
 ぽすんと、フィーナの体がクレイの胸の中へ落ちる。
「でも、クレイさま、あのですね……」
 フィーナはそう言うと、すっと上体をのばし、そのままクレイの耳へ顔を近づけた。
 そして、そこで、ぼそぼそと二言三言。
 次の瞬間、クレイは目を見開きフィーナを見つめた。かと思うと、ほにゃりと頬をくずし今にも泣き出してしまいそうな顔で、幸せに微笑みを浮かべた。
 そのまま二人はこくりとうなずき合い、互いに顔をすうっと近づけていく。
 それにはっと気づき、ローシャルは思わずばっと顔をそらし茂みの中に突っ込んだ。
 だって、その後に待ち受けているものは、ローシャルだってわかるから。
 そんなおぞましい場面など見たくない。
 フィーナとクレイは、あの後間違いなく、口づけをかわしたはず。
 そうあらためて気づくと、ローシャルの上体がずるずるずるーとずりおち、ぺちょりと緑の芝の上に寝転がった。
 青く澄んだ空を見上げる。
 見上げたそこでは、白い雲がゆったりと流れていた。
 さあと、少し冷たい、けれどさわやかな風が吹き抜けていく。
 ローシャルは、辛そうにすっと目をとじる。
 ――ローシャルが知っているフィーナは、もうどこにもいない……?
 だって、あんなフィーナ、ローシャルはこれまで見たことがなかった。
 ローシャル以外の男と、仲むつまじく微笑み合うフィーナなんて……。
 それに、フィーナは、よりにもよってあの男クレイにまで、星の騎士守りを贈っていた。ローシャルが知らぬ間。
 なんだかフィーナがこれまでのフィーナでなくなったような気がして、ローシャルは淋しい。
 フィーナは、ローシャルなんてもうどうでもよくなったのだろうか?
 ローシャルなんて、もういらない? 大切じゃない?
 ローシャルはフィーナの大切な弟と言ったあの日々は、嘘? 幻だった?
 ポーリアに留学中、遊びにやって来たエイパスが言っていた。
 近頃、アルスティル周辺の国では、とても楽しい噂が流れていると。
 あの商業大国クロンウォールのクレイという王子は、それはそれはもう、手のほどこしようがないほどのへたれっぷりだって。そのために、クロンウォール王はもとより、民たちも嘆いているという、楽しい噂が……。
 あの時は、どうせエイパスのことだからと、ローシャルも話半分で聞いていた。
 けれど、実際に会って、エイパスの言葉は嘘でなかったと確信した。クレイはへたれだと確信した。
 いつもへらへら笑っていて、ローシャルのどんないやがらせにだって、本気で怒りも抵抗もしない。
 いつもフィーナの目を気にするように、取り繕っている。
 男なら少しくらい抗ってみろというのだ。
 へらへらなよなよと、ローシャルのしたい放題やられやがって。
 そんな情けない男に、ローシャルの大切なフィーナをくれてやるなんて、やっぱり許せない。
 フィーナには、もっと賢くて格好よくて勇ましい、男の中の男が似合っている。
 ローシャルでは、どうあがいてもフィーナを自分のものにできない。
 ならば、フィーナの相手は完璧な男でなければ、ローシャルより優れている男でなければ認めない。
 そう望んでも、罰は当たらないはず。
 あんなへたれ王子なんて、問題外。言語道断。
 そうは言ってみても、ローシャルはこんなにフィーナを大切にしているのに、フィーナが今大切そうに見ているのは、そんなへたれ王子。
 そんな奴のために、フィーナの心がローシャルからはなれるなんて嫌だ。
 フィーナはローシャルを大切に思ってくれていなければ嫌だ。
 悲しい。悔しい。辛い。耐えられない。
 ローシャルだって、フィーナに大切にされたい。大切だって言われたい。
 そう思った瞬間だった。
 ローシャルは寝そべっていた芝からばっと起き上がり、茂みを突っ切り、フィーナとクレイがいるそこへ飛び出した。
「はなれろ! お前なんかフィーナにふさわしくない! これ以上僕のフィーナを汚すな! 今すぐわかれろ! このへたれ王子!」
 ローシャルはさっと剣を抜き、それをクレイにつきつける。
 クレイは何事かとあっけにとられ、間抜けにぽかんと口を開けている。
 それが、ますますローシャルの憤りに拍車をかける。クレイという男は、なんて情けない男なのだろうか。
 すると、フィーナはどこか厳しい眼差しをローシャルに向けた。
 フィーナは、ローシャルがクレイにつきつける抜き身の剣にそっと触れ、そのままくいっと払いのける。
「ローシャル、いい加減にしなさい。わがままも過ぎましてよ。それに、クレイさまに失礼よ。謝りなさい」
 妙に冷静に冷たく言い放つフィーナに、ローシャルは悲しそうに目を細める。苦しそうに唇をきゅっと噛む。
 ローシャルの剣を持つ震える手がすっと落ち、だらんとたれる。
「ど、どうして、フィーナがそんなことを言うの!? 今までフィーナは僕の味方だったのに……っ。そうだ、それもこれもみんな、お前が悪いんだ! 僕の純粋だったフィーナを返せ! この悪魔! 泥棒猫!」
「ローシャル! お姉さまはそのようなことを言う弟は嫌いよ」
 はき捨てるようにローシャルが叫ぶと、フィーナはぴしゃりと言い切った。
 するどい眼差しを、ローシャルにきっと向ける。
 ローシャルは衝撃を受けたように目を見開き、ぐらりと体を大きくゆらす。
 そして、ぐるんと背を向け、だっと駆け出した。
 先程まで隠れていた茂みを一息に飛び越え、そのまま館の方へ駆けていく。
 駆けるローシャルの顔は、悲しそうに、苦しそうにゆがんでいる。
 フィーナは、そのようなローシャルを困ったように見送る。
「少々甘やかしすぎましたかしら?」
 ぽつりとそうつぶやきながら。
 クレイは、フィーナの横で微苦笑を浮かべていた。
 甘やかしたとかそのようなものではなく、もっと別なことだろう。ローシャルは本当にフィーナのことが好きなのだろう。
 それに気づかないフィーナは、そうとう鈍い。
 本当に、なんて困った姉弟なのだろうか。
 互いに互いを思っているはずなのに、思っているからこそ……。極端すぎる。
 ふうと吐息をもらすフィーナを、クレイはすっと抱き寄せる。
 そして、その耳元で、ふわりと吐息をかけながら、ささやくように言う。
「いや、きっと、フィーナが大切だから、愛しくて仕方がないから、理性を吹き飛ばしてしまったというところだろうね」
「クレイさま……?」
 フィーナはくいっと顔を上げ、不思議そうにクレイを見つめる。
 クレイの言葉に、いまいちぴんときていないらしい。
「わたしだってそうだからね。フィーナのためなら、どのように人の道を外れたことだってするよ」
 クレイはおどけるようににっこり笑い、肩をすくめてみせる。
 フィーナはぱちくりと目をしばたたかせ、 ようやくクレイの言葉を理解できたように、ほわりと頬をゆるめた。
「……くす。クレイさまらしいわ。わたくしは幸せ者ね」
「わたしはもっと幸せだけれどね。わたしの腕の中に、フィーナがいてくれるから」
 そうして、クレイはもう少しだけフィーナを抱く腕に力を込める。
「まあ、クレイさまったら」
 フィーナは嬉しそうに、その胸にぽてりと頭をあずける。
 そしてそこから、ほにゃっと顔をくずし、うっとりとクレイを見つめる。
 ふとそれまでの微笑を消し、クレイがどこか難しそうな表情を浮かべた。
「だけど、さすがにそろそろ、ローシャル王子をどうにかしなければならないなあ……」
 クレイは考えるようにぼそりとつぶやく。
 すると、フィーナの顔が楽しげにぱっとはなやいだ。
 それから、クレイの顔に顔をぐいと近づけ、探るように見つめる。
「まあ、クレイさま、どのような鬼畜な妙案が?」
 クレイは一瞬ぽかんとフィーナを見つめ、困ったように肩をすくめる。
 何というか、やはりちょっとずれたところで、フィーナの食いつきが妙にいい。
 クレイは、フィーナの頬を片手でふわりと包み込む。
 もう一方の手は、しっかりとフィーナの腰を抱いている。
「さっぱりだよ。だって、フィーナの弟には、やはりあまり非道なことはできないからね」
 クレイがふるっと首を小さく横に振りそう答えると、フィーナはぱちりと目を見開いた。
 それから、幸せそうにほわりと微笑む。
「だから好きよ、クレイさま。なんだかそれって、まるで……」
「ああ、わたしの世界の中心は、フィーナ、君だよ」
 大きくうなずき、クレイはきっぱりと言い切る。
 それから、その顔を、すっとフィーナの顔に近づける。
 ふわりと、一瞬、二人の顔が重なった。
 そして、ちょっぴり照れたように顔をはなし、二人にっこり微笑み合う。
 やっぱり、こういう時にかわす口づけは、だんぜん甘い。
「まあ、ぞくぞくしちゃうわ」
 そうフィーナが楽しげにささやくと、二人はくすくすとさわやかに、けれどどことなく不気味に笑いはじめる。
 湖の中央辺りで、ぴちゃんと小さな音を立て、魚が一匹はねた。
 その微笑からもわかるように、二人は一体何をたくらんでいるのか……?
 きっと、鬼畜な妙案とやらを思いついたのだろう。


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update:08/06/13