悪魔のささやき
change〜とりかえっこ王子〜

 フィーナに嫌い≠ニ言われ、ひどく傷つき逃げ出したローシャルは、その勢いのまま、城内の一角に自然のままで残された木々がある場所へとやって来た。
 そこは、ローシャルお気に入りの場所。
 ポーリアに留学する前は、何か悲しいことがあったり、一人でぼうっとしたい時は、決まってここへやって来た。
 時間がある時などは、一日中でもそこで木漏れ日を感じ、吹く風に身をまかせていた。
 どうやら、今回もまた、知らぬ間にここへ駆けてきてしまっていたらしい。
 さわさわと葉を揺らす木の一本に、ローシャルはそっと寄り添う。
 幹にふわりと手を触れ、ともに頬もそこへ寄せていく。
 触れるそこから、ざらざらいがいがとした樹皮の感触が伝わってくる。
 同時に、その下で懸命に命を刻む、水が流れる音も聞こえてくるような気がした。
 その皮を伝い、木は土から吸収した水分、養分を運んでいくというから、生命の音と言っても過言ではないだろう。
 ざわざわ流れる水の音に、幾分気持ちが落ち着いた時だった。
 幹に身を寄せるローシャルの耳に、かさりと落ち葉を踏む音が聞こえた。
 ローシャルはびくりと体を強張らせ、慌てて振り返る。
 するとそこには、微笑をたたえるエイパスが立っていた。
 相変わらずの、意地が悪い笑みを浮かべている。
「……エイパス王子」
 ローシャルは不愉快をあらわにし、はき捨てるようにつぶやいた。
 エイパスはにっこり笑って、ローシャルへ歩み寄る。
 ローシャルがもたれるすぐ横の幹にとんと片手をつけ、ぐいっと顔を近づける。
 びくりと、ローシャルの体が震えた。
「ローシャル、君に妙案を持ってきたのだよ」
「あなたの妙案ほどたちが悪いものはないけれどね」
 くすくす笑いながらそう告げるエイパスに、ローシャルは思い切り不審げな視線を注ぐ。
 しかし、エイパスは気にしたふうはなく、清々しいまでに胡散臭い微笑を浮かべた。
「まあ、そう言わずに、……ね?」
 そう言うと、エイパスはローシャルの耳にすっと顔を寄せ、そこでぼそりとつぶやく。
 瞬間、ローシャルの目が驚いたように見開かれた。
 そして、次には、目を細め、馬鹿にするようにエイパスを見ていた。
「あのへたれ男に、僕が決闘を挑む……?」
 明らかに疑われているというのに、エイパスは気にすることなく笑顔を貫く。
 もたれかかる幹から、腕を握りローシャルをゆっくりはなしていく。
「そうだよ。君はフィーナを怒らせてしまったからね。その名誉挽回のためにも、正々堂々とした男ぶりを見せるのだよ。クレイ王子が決闘で勝ったら二人の仲を潔く認めるって、なんだか男らしいよね? 本当に大切な女性なら、その力をもって阻止しなければ。きっと女性も、そういう男に好意を抱くと、……見直すと思うよ?」
「ま、まあ、決闘は男のロマンではあるけれど」
 エイパスからぷいっと顔をそらし、ローシャルはそこでもごもご口ごもる。
 どうやら、かなり揺れているらしい。エイパスが提案するそれは、かなり魅力的らしい。
 それにしても、ローシャルがフィーナを怒らせてしまったことを知っているとは、エイパスは、一体どこから見ていたのだろうか。一体どこまで知っているのだろうか。
 ということには、ローシャルはどうやら気づいていないらしい。
 ぐらぐら揺れるローシャルに、エイパスは得意げににやっと笑ってみせる。
 ローシャルの肩に腕をかけ、ぐいっと引き寄せ、すっと顔を寄せる。
「だろう? それにね、こんな可能性もあるよ? 決闘の際に、間違って相手に致命傷を負わせる……なんてこともね?」
 エイパスは、押し殺し低い声でぼそりと告げる。
 口の端が陰湿に上げられている。
 ごくりと、ローシャルののどがなった。
 するどい眼差しで、まじまじとエイパスを見つめる。
 エイパスはふと薄い笑みを浮かべ、ぎらんと瞳を輝かせた。
「決闘だから、それも仕方がないよね?」
 そして、にっこりとさわやかに微笑み、言い切る。
 ローシャルののどが、またごくりとなる。
 ぐらぐらぐらぐらと、ローシャルの胸の内で、振り子が激しく揺れている。
 しかし、その振り子は、一方にかなり傾いていることも確か。
 たしかに、決闘のどさくさにまぎれてあのにっくき王子の息の根をとめるとは、ローシャルにとってはとても魅力的。
 さすがに殺してしまっては後々厄介だと、ローシャルもこれまで手加減をしてきたけれど、決闘にかこつけうやむやにしてしまえば、後はどうにでも処理できる。決闘なのだから、間違って殺してしまっても、誰も文句は言えまい。
 ローシャルの頭の中では、悪魔がこっちこっちと手招きをはじめた。
 ふわりとローシャルの耳に吐息がかかり、誘惑するような甘い言葉がささやかれた。
「ねえ、ローシャル、考えてもみなさい。君ほどの手だれだよ。これは君にとって決して悪い話ではないと思うのだけれどねえ……」
 瞬間、ローシャルはぐるんと首をまわしエイパスをにらみつけた。
 ぐっと拳を握り締め、こくりとうなずく。
 どうやら、ローシャルは、エイパスのその甘い言葉に陥落したらしい。それが決定打となった。
 たしかに、ローシャルほどの腕前をもってすれば、あのへたれ王子なんてちょちょいのちょいっとのしてしまえるだろう。
 そしてうまくいけば、決闘にかこつけて、そのままその命を奪うこともできるかもしれない。
 そうすれば、フィーナとクレイは決して結ばれることはなくなる。
 なんという名案なのだろうか。
 極楽蜻蛉のエイパスにしては、なかなかいいことを言う。
 木漏れ日がさすそこへすっと顔を上げ、ローシャルはもう一度力強くうなずいた。
 もはや、ローシャルの中には、理性やら常識やらといったわずらわしいものはない。
 フィーナに嫌い≠ニ言われてしまった今、ローシャルをとめるものはない。
 エイパスが、決意をかため目に炎をたぎらせ燃えるローシャルからすっと顔をそらし、そこでにやりと笑みを浮かべた。
 優しい木漏れ日の中、優しい風が吹き抜ける。


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update:08/06/22