忘れ形見
fake〜うそっこ王子〜

「アメリア、待った! そっちへ行っちゃ駄目だ」
 夕食の買出しのため家を出たアメリアに、玄関まで見送りにやって来ていたリリスが慌ててそう叫んだ。
 今日のクロンウォールの空も、見渡す限り青く澄み渡っている。
 ひらけた都市部のわりには、クロンウォールの空は青い。
 きっと、クロンウォールは工業ではなく商業を中心にしているためだろう。
 聞くところによると、ずっと離れた工業中心の国は、どんな日だって空はいつもどんより薄黒いらしい。
 さわっと、心地よい風が建物の隙間を通り抜け、アメリアの髪を揺らしていく。
 アメリアは踏み出した足をとめ、リリスへ振り返る。
「ん? どうしたの? リリスおばさん」
 振り返ったアメリアの腕を、リリスがぐいっと引っ張った。
「そっちには例のあれがいるよ、危険だ。あっちからまわっていきな」
「例のあれ……?」
 リリスが示す方を見ると、たしかにそこには例のあれ≠ェいた。
 例のあれ=\―キオスは、ぺこりと頭を下げ去っていく女の子たちに、優しい笑顔で手を振っている。
 きっと、あの噂を鵜呑みにしている人たちには、不謹慎な軟派な笑みに見えるだろう。
 けれど、噂とは違うキオスを知っているアメリアには、そうは見えない。ただ優しいだけの微笑み。
 あんなに純粋に心から人の幸せを願い喜ぶ人を、アメリアははじめて見た。
 案外、王子様は言われているような人ではないのだろう。
 だって、王子様には若い娘とみたら手当たり次第口説きはじめるという噂がある。それなのに、アメリアは一度も口説かれたことがない。からかわれたことはあるけれど。
 それとも、アメリアは、口説く気すら起こらない容姿なのだろうか? 王子様にとってはそれ以前の存在?
 いつも王子様をとりまいている娘たちは、きらきら輝いた美しい娘たちばかり。
 優雅に笑い、楽しく日々を過ごす、裕福な家の娘たちばかりのよう。
 ぼろを着て、日々ようやく生活しているアメリアなんて、くらべる価値さえないだろう。
 土俵にすら上がれない。
 彼女たちは、どうしてあんなに輝いているのだろう?
 王子様もやっぱり、そんな娘たちがいいのだろうか?
 キオスと別れた娘たちが、アメリアの横を頬をほころばせ駆けて行くのを目で追い、ぼんやりそんなことを考えていた。
 王子様にぼんやり目を奪われたように見えるアメリアに、苦しそうに顔をゆがめたリリスが声をかける。
「アメリア、お願いだから、わたしに心配をさせないでおくれ。あんたは、姉さんたちの大切なたった一人の忘れ形見なんだから……」
「うん、ごめんね、リリスおばさん。でもね、王子様はそういうのじゃないの」
 アメリアは娘たちからリリスへ視線を移し、困ったように微笑を浮かべる。
「アメリア……?」
「王子様ね、きっと言われているほど困った王子様じゃないよ」
「まったく、このこは。おひとよしにもほどがあるよ」
 にっこり笑ってみせるアメリアを、リリスはぐいっと抱き寄せた。
 それから、リリスはしぼりだすようにアメリアの耳元でささやく。
「お願いだから、不幸にだけはならないでちょうだい」
 小さく震えるリリスの背に、アメリアはそっと手をまわす。
 ついキオスに気をとられて、リリスを忘れるところだった。
 アメリアは、この優しくておせっかいなリリスに辛い思いをさせることは望まない。
 両親をなくし途方にくれていたアメリアに、リリスは手をさしのべてくれたから。
 リリスがいたからきっと、アメリアは両親がなくなった後でもこうして暮らせている。
 恩人の望まぬことは、したくない。
「大丈夫、わたしは幸せだよ。だって、リリスおばさんがいてくれるもん」
「言うねー、このこったら」
 その言葉で少し落ち着いたのか、リリスの体から震えが消え、ゆっくりとアメリアを放していく。
 そして、リリスはアメリアのおでこをこつんと小突いた。
 困ったように笑っているけれど、リリスには先ほどまでの苦しみはなかった。
 それを見て、アメリアはほっと胸をなでおろす。
 アメリアにとってもたった一人残された血のつながった身内を、悲しませることだけはしたくない。
 そのための努力は、怠らない。
 残った何人かの娘たちを連れ、キオスがこちらへ背を向けたまま向こうへ歩いていくのを見て、リリスがようやくにっと笑った。
「ああ、行ったね。じゃあ、もう大丈夫だ。アメリア、行っておいで」
「え? あ、うん」
 そうして、あっさり送り出すリリスに、アメリアはぼんやり答える。
 振り返り、先ほどまでキオスがいたところを見ると、ちょうど角を曲がるところだった。
 だからリリスはあっさり安心したのだろうと、アメリアはじっとリリスの顔を見る。
 リリスはにっこり笑い、こくんとうなずいた。
 つまりは、さっさと行ってこいということだろう。
「リリスおばさん、それじゃあ行ってくるね」
「ああ、気をつけてね」
 リリスはそう言って手を振り、家の中へ入っていく。
 アメリアは、扉が閉まると同時に、通りを先ほどキオスがいた方へとたたっと駆け出した。
 そして、キオスがさっき曲がった角までくると、そちらをちらっと見た。
 もうずいぶん小さくなったキオスの後姿がアメリアの目に入る。
 なんだかわからないけれど、アメリアはその姿に一瞬釘付けになった。
 すると、次の瞬間、ふと何かに気づいたようにキオスが振り返った。
 ばちんと、見事に視線が合う。
 アメリアは慌てて目をそらそうとしたけれど、にっこり笑うキオスの顔を見るとできなくなってしまった。
 アメリアは、ちらりと背後を見る。
 たしかに家に入っていて、リリスの姿はない。
 それを確認すると、アメリアもさっと角を曲がる。
 前方からは、ともにいた娘たちにばいばいと手を振り、キオスがゆっくりアメリアに歩み寄ってきている。
 最近は、いつもそう。いつも、キオスはたくさんの美しい令嬢たちより、質素なアメリアを選ぶ。令嬢たちと別れ、アメリアの元へやって来る。
 どうしてそうするのかわからないけれど、その事実がアメリアはたまらなく嬉しい。泣きたい思いにかられる。
 アメリアは今にも泣き出しそうな、けれど満面の笑みを浮かべる。
 その目にキオスの姿が入るだけで、アメリアはどうしてこんなに嬉しくなるのだろう。
 けれど同時に、さっきリリスを悲しませたくないと思ったばかりなのに、早速悲しませるようなことをしている自分に、アメリアは少しの罪悪感を覚える。
 それでも、キオスに近づいたって、アメリアは不幸になる気はしない。
 いや、不幸になったっていい。アメリアは今、キオスと何気ない会話をするだけで心がぽかっと暖かくなり、なんとなく幸せを感じている。
 今はこの衝動を抑えることができない。今この瞬間が大切。


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update:09/05/28