はじまりはプロポーズ
ダイキライ
〜第一部・過去〜

 ねえ、今、わたしの身に何が起こったのだと思う?
 ねえ、誰か教えてよ……。
 嗚呼……。本当、頭が痛くなってきちゃったわよ。わたしの常識の範囲を、はるかに逸脱したこのできごとのために。
 ああ、そうか。これは夢なのね、夢なのだわ。だから、こんなことも起こり得るのだわ。
 それなら納得。

 たしか少し前までは、わたし、学校にいたのよね?
 それで、男友達の鳳凰院由布(ほうおういんゆう)――名字だけは妙に立派な奴――に声をかけられ……。
 気づけば、ここにいる。
 ――って、だから、それがどういうことだと言っているのよ。
 だって、今わたしの横に座るこの男。この男がどうも解せない。
 やたら高そうなスーツを着て、やたら高そうな靴を履いて、やたら高そうな……。
 ああ、こんなこと言っていてもきりがない。
 とにかく、今わたしの横にいる男は、誰なのかということよ!
 見たこともなければ、会ったこともない男よ。
 どうしてわたしが、その男にあんなとんでもないことを言われなきゃならないの。

 大学の門を、由布と一緒に出たところまでは覚えている。
 うん。そして、出たとたん、何か怪しげな黒塗りの……。
 そう、ベンツだわ。これ。そのベンツとかいう、とにかく高い車に強引に押し込まれて……。
 そして今、わたし、耳元で何ってささやかれた?
 うん、たしかそう。こんな感じだった。
 わたしの聞き違いでなければ、空耳でなければ、たしかこう言ったはず。

「結婚しよう」

 ――って、ちょっと待て〜!!
 い、い、いきなり、結婚しよう!?
 しかも初対面、いきなり車で拉致り、ほざく言葉がそれか!?
 「大人しくしろ」や、「命が惜しくないのか」ならまだ現実味がある。ああ、誘拐されたのか〜って。
 まあ、それはそれで問題大ありだけれど。
 だけど、車に乗せられ、最初に言われた言葉がこれ。
 誰がどうしたって、理解できないでしょう?

 いきなり車の後部座席に押し込まれた。そしてその後すぐに、この横にいる男が乗り込んできた。
 例のわたしを誘った由布は、ちゃっかり車の助手席に座っている。
 ということは、由布もこの誘拐……っていうか、拉致? 拉致に加担したということなのよね。
 そして、助手席と、わたしたちがいる後部座席との間は仕切られている。
 何か知らないけれど、よく映画とかドラマで見る、例の『コンコンと叩く。するとしゃっと小窓が開く』とかいう、そんな感じの小窓がついたつくりになっているのよ。
 だから、言うなれば、わたし、この男と二人きりで、密室に閉じ込められちゃったようなわけで……。
 ちょっと待って。
 もう一度最初から整理しよう。うん、そうしよう。
 もう自分でも、何が何だかわからなくなってきちゃったから。

 ――そう、はじまりはあれだったのよ。
 たしか、わたしは由布に、「つき合って欲しいところがあるのだけれど、いい?」そう言われて、ちょうど月曜はお昼過ぎまでしか講義がなくて暇だったし、つき合うことにしたのだわ。
 だって、この前、駅前にできたジェラートのお店のジェラートをおごってくれるって言うんだもん。じゃあ、つき合わなきゃって思うじゃない。
 できる前から目をつけていて、それで由布に行きたい行きたいって言っていたから、ようやくつき合ってくれるのだと思ったのよ。
 ……え? でも待って。それじゃあ、「つき合って欲しいところがある」ではなく、「つき合ってあげる」になるわよね……?
 まあ、いいわ。今はそんなこと。
 そんなことを気にとめている暇があれば、今までの状況を整理しなくちゃ。
 そう、それでね。「ジェラートっ。ジェラートっ」って校門を出たら、そこに怪しげな黒塗りのベンツが停まっていて、わたしたちが姿を現したのを確認すると、後部座席から、今わたしの横にいる男がでてきたの。
 それで、「うわあ〜、お金持ちそうな上に、格好いい人」とか思って、ちょっと……そう、ほんのちょっとよ? ほんのちょっと見ていたら、いきなり後ろから誰かに背中をどんと押されて――多分、この押した奴が由布だと思うのだけれど――その男の胸の中に倒れこんじゃったのよ。
 それで「うあ〜、どうしよう」とか思っていたら、そのまま腕をつかまれ、この車に押し込められた……と。
 そして、車が走り出しちゃったの。
 それで、一体これってば、どういうことかと問いただそうと、この横の男に振り返った時だったわ。
 まるでわたしの言葉をさえぎるかのように、にっこりと微笑み、そしてああ言ったのよ。
「結婚しよう」

 って、だから、訳がわからないってば、それがあ!
 言葉の意味がいまいちよく理解できなくて、ぽか〜んと口を半開きにしているわたしに、この男――今わたしに「結婚しよう」って、そんな訳のわからないことを言った男――は気づき、もう一度繰り返しやがった。
「だから、結婚しよう」
 にこりと微笑み、めちゃくちゃ当たり前のように、さらっとそう言った。
「あの……。誰と……誰が?」
 わたしは頭をかかえこんでしまった。
 そしてちらっと目線を上げ、そんな聞かなくてもよいことを聞いてしまった。
 うん。聞かなくてもだいたい予想はつく。だって今ここにいるのは、わたしとこいつだけ。
 「誰と誰が?」と聞く前に、他に聞かなければならないことがあったけれど、とりあえず今はこれ。
 こいつの名前だとか、どうしてわたしが拉致られなきゃならないのかとか、そういうことは今はおいておく。
 今、とにかく最も優先されることは、これよ、「誰と誰が」!
「え? 決まっているじゃない。君と、ぼくが」
 そう言って、また憎たらしい天使のような微笑を浮かべる。
 そう、天使のような微笑。まさしくそれがぴったりくる微笑だった。
 しかし、その微笑からは想像もつかない、おぞましいあの言葉がこの男の口から出た。
「たわけえ〜っ!!」
 完璧にぷっつんと頭の血管の二、三本は切れたわたしは、思わず、ここが車の中だということを忘れて、勢いよく立ち上がってしまった。
 その瞬間、もちろんわたしの頭は、ごつんと天井とキスをかわす。
 い、痛い……。
 一体、さっきから何なのよ!?
 もう、本当、訳がわからない。
 一体、わたしが何をしたというの!? ねえ、神様! わたし、何かいけないことしましたあ!?
「あーあ。そんなに興奮するから」
 そう言いながら、この男はわたしの頭に手をのばしてくる。
 ぱしっ。
 もちろん、即座にその手を払いのけてやったわ。
 わたしに、触るんじゃないっていうの。汚れる!
 この男は、手を払われてもまったく気にした様子はなく、「どうして?」なんて、少し首をかしげてみせる。
 今、どうして自分の手が払われたのかなんて、まったくわかっていないよう。
 しかも、「ぼくの手を振り払う女性がこの世にいたなんて、驚きだ」なんて、そんなことを思っているのだわ。
 顔にそう書いてある。その妙に整った顔に。不覚にも、最初に見た時、格好いいとか思って、よろめいてしまった顔に。
 くう。なんて男なの! 大っ嫌い!!
「――っていうか、あんた誰よ?」
 悔しくて悔しくて、とにかく何か言ってやらなければならないと思って、ぎろりとその男をみらみつけ、そう言った。
 「誰と誰が?」以前から、抱いていた疑問をようやく口にすることができた。
 「君と、ぼく」については、何か間違いがあるかもしれないから、一応、こいつの名前と拉致られた理由を聞いてから聞いても遅くはないと思う。
 それに、なんだかこの車、さっきから国道を走っていて、どうもすぐには停まってくれそうもないし。
 というか、そこでもう何故だか慌てることも、逃げようとすることも諦めてしまっているような、そういう自分がわからないけれど。
 腹をくくったとでも言うのかな? 妙に落ち着いた気分。もうどうにでもなれという感じ?
 ああ、これじゃあ、投げやりというのか。
 とにかく、目的地につけば、降ろしてくれるだろうとは思う。
 その隙に、逃げ出せばいいわけだし。
 それに、助手席には由布が乗っているのだし、何かあれば……。
 って、駄目だあ〜! この由布も、状況からして絶対、この男に加担してるのだから!
 共犯者よ、共犯者。この拉致の共犯者なのよ!
「はじめまして。ぼくは、鳳凰院夏樹(ほうおういんなつき) 。二十五歳。由布のいとこだよ」
「由布のいとこ〜?」
 けっと鼻で笑う勢いで、疑わしげに、この鳳凰院夏樹とかいう男をにらみつけた。
「そう。知らないかな? 鳳凰院一族のこと」
 相変わらずの崩れることのない微笑みを浮かべ、夏樹はそう言った。
 会ってからこの男は、ずっと微笑み続けている。
 まるで張りついているような、仮面をつけているような、崩れることのない徹底的な微笑み。
 この男は、わたしの疑問になど、最初から答えるつもりはないといった感じ。
 まったく、癪に障る男だわ。大嫌い。
「鳳凰院一族って、まさか、旧華族だとか士族だとか、そういう感じなの?」
「あ。やっぱり知らないか。ふ〜ん。だから由布とも、普通につき合えていたんだ。君みたいな、普通の女の子が」
 って、ちょっと待って。今、微妙……っていうか、むちゃくちゃひっかかる言い方しなかった? 何げに思いっきり馬鹿にされなかった? わたし。
 君みたいな、普通の女の子って。
 普通で悪かったなあ! それで、何かあんたに迷惑かけたかというのよ。
 どちらかといえば、今、わたしの方が死ぬほど迷惑かけられてるのですけれど!?
 それにその普通というのも、何か癪に障るわね。
 たしかにわたしには、華族だとか士族だとかいった立派な肩書きこそないけれど、ちょっと普通とは違うと自負しているのだからね。
 何しろわたし、これでも世間で有名なお金持ち学校に通っている、お嬢さまなのだから!
 それに、この格好を見て?
 ブランドこそ身にまとっていないけれど、立派に上質の生地で作られたものを着ているじゃない。
 まあ、この男が着るこの高そうなスーツだとか、この男が履くこの高そうな靴だとか、この男がつけているこの高そうな腕時計だとか……まあとにかく、そんな感じのものと比べると、たしかに見劣りしちゃうけれど。
 でもそれでも、決して安物ってわけでもないのよ!?
 ぶるぶると握りこぶしを作り震えるわたしにかまうことなく、とにかく自分の言いたいことだけを語っていく鳳凰院夏樹。二十五歳。
 嫌な奴。
「まあ、そのような感じかな。その筋では……裏で政治を牛耳(ぎゅうじ)っているなどと、口さがなく噂されたりしている一族だからね。表では、あまり聞かない名前だろうね」
 って、だからあ、今、さりげなく、すごいこと言わなかった!?
 う、裏って、裏って、一体、何〜!?
 そんな言い方されると、この黒塗りベンツも考慮し、わたし、おかしな想像しちゃうわよ!? いいの!?
 裏といえば、裏といえば――
 その言葉を聞き、急に顔の色をひきはじめたわたしを見て、今ようやくその言葉にこめられた意味に気づいたように、夏樹はつけ足した。
「ああ。そうそう。裏といっても、君が想像しているようなものじゃないよ。うちはいたって健全。政治家に顔が利くというだけだから」
 だけだからって、それでも十分なのですけれど!?
 まあ、その図星をさされてしまった想像が、あたらなかったのがせめてもの救いだけれど。
 そしてまあ、わかったわよ。あんたがわたしのことを普通の女の子って言ったわけが。
 あんたのところは、そりゃあ、普通からはめちゃくちゃかけ離れているのでしょうからね。
「まあ、そういうわけで。君は、ぼくと結婚するのだよ。これはもう決まっていることだから」
 すっとわたしの肩を抱き寄せ、当たり前のように微笑んだ。
 ねえ、マジでちょっと待ってくれない?
 いきなり話がかわったかと思えば、言うことはそれ?
 何がどういうわけで、そうなるの!?
 それで何? さっきとはさりげなく言葉をかえていない?
 たしかさっきは、「結婚しよう」だったのに、今は「結婚することが決まっている」ですって!?
 ふざけるんじゃない! 誰もそんなこと認めていないってば!
 そして、夏樹はいけしゃあしゃあと続ける。
「良かったね。これで君は、鳳凰院家当主の妻だよ。苦労もさせないし、一生君だけを大切にしてあげる」
 だからあ、待てえ!!
 どうしてあんたは、そう勝手に話を、一人でどんどんどんどん進めるかなあ!?
 わたしはまだ、「結婚しよう」の返事すらしていないというのに。
 それなのに、苦労させないだって!? 一生大切にするだって!? 鳳凰院家当主だって!?
 ……ん? 鳳凰院家当主? はて……? それは……?
 って、ボケている場合じゃない。
 鳳凰院家当主ということは、つまりは、この夏樹が鳳凰院一族のトップということで……この若さでトップということで……?
 さらに、嫌〜な想像をめぐらせてしまった。
 ちらっと夏樹の顔を見る。
 すると夏樹はもちろん、にこりと微笑みを返してくる。
「そうだね。鳳凰院で、ぼくに逆らえる者はいないね?」
 事もなげに、夏樹はさらりとそう言ってのけた。
 ……たしか夏樹は、二十五歳と言った。そんな若さで当主?
 何か信じられない。解せない。
 いや、その前に、わたしはまだ、こいつとのその……結婚とやらを認めたわけではない。
 とにかく今は、逃げなければ。このまま大人しく車に乗っていては、危ない。そう思った。
 何かものすごく嫌な予感がするのよね。このままこの車に乗っていたら……。
 身を強張らせ、急に黙り込んでしまったわたしに夏樹が気づいた。
 わたしはまだ、夏樹に肩を抱き寄せられたままだった。
 もう、これまでの整理で頭がいっぱいで、こいつを振り払うなどそんなところにまで考えが及ばなかった。余裕がなかった。
 だから、こいつは今でもわたしの肩を抱いたままだった。
 それに気づいたけれど、やっぱりまだわたしの脳は、これまでの整理で全機能を費やしている。
 そして、そんなわたしに、夏樹はとどめをさしやがった。
「何も心配はいらないよ。君は必ず、ぼくを好きになる。誓ってもいいよ」
 ジ・エンド。
 わたしの頭は、ショートした。
 何も心配はいらないよって、今この状況をめちゃくちゃ心配して欲しいのだけれど?
 わたしの頭の中では、脳がぐわらんぐわらんと音をたてて、ぐるぐるまわっている。
 それだけしかわからない。
 もうどこか遠くへ行ってしまいたい。
 そんな現実逃避をしているわたしの耳に、あたたかな息がかかり、悪魔の声が聞こえてきた。
 妙に威圧的でいて、恐ろしい音色をはらんだ声が。
「逃がさないよ。覚悟して」
 ばたん。
 わたしの頭はその瞬間、ショートの上にショートを重ねた。
 と同時に、気を失ってしまった。
 そして、そのまま夏樹の胸へと崩れ落ちる。不覚にも、夏樹の胸へと!
 というか、こんな奴の胸で気を失うなんて、もしかしてわたし、めちゃくちゃやばいことになったのじゃ……!?

 狩野茗子(かのうめいこ)。二十歳と一日。人生最初にして、最大のピ〜ンチ!!


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update:03/11/01