はじめての夜
ダイキライ

 言っておくけれど、わたし、生まれてこの方、二十年。
 一度も男の人とつき合ったことないのよ?
 それなのに、急にこの展開って何?
 告白だとか、おつき合いだとか、そういうもの全部すっ飛ばして、いきなりプロポーズ。そして明日には人妻!?
 冗談じゃないっていうのよ!
 いや、もっと冗談じゃないのは、この状況。
 さっきわたしは、夏樹に半分脅されるかたちでシャワーを浴びたの。
 そう、この乙女部屋付属のバスルームで。
 そして今、夏樹がシャワーを浴びている。
 夏樹がバスルームから出てきたその時には――
 いやあ〜! それだけは、勘弁して!!
 ……ってちょっと待って。別に慌てなくてもいいじゃない。
 これまでの夏樹の行動を分析すると、そういう意地悪なことを言ってわたしをからかっていただけで、別に本気じゃ……。
 本気だったわよ! 夕方には頬に、そして夕食前には、く、く、首筋にちゅうってされたじゃない!
 んもお〜、大っ嫌い!!

 そして夏樹は言ったわ。「続きは、今夜ね?」って。
 ……やばい。
 そうよ。今のうちにこの部屋から逃げよう。今すぐこの場から逃亡しよう。
 だからといって、この屋敷の中にわたしの逃げ場所なんてあるはずがないのだけれど。
 だってこの屋敷の使用人。ムカつくくらいによく教育されていて、みんな夏樹に従順なんだもん。
 わたしが助けを求めたところで、「まあ、恥ずかしがりやさん」とか何とかいって、また夏樹という狼の前に投げ返されちゃうわ。
 そう。だったら、どこか内側から鍵のかかる部屋を見つけて、そこに逃げ込んじゃえばいいのよ。
 幸い、この屋敷の中なら、どこだって自由に動きまわってもいい身なのだし。
 決めた、そうしよう。
 とりあえず、今はこの部屋から逃げ出すことが先決よ!
 思い立ったが吉日。
 ――何か、ちょっと使い方違うようだけれど、まあ、いいわ――
 さっさと、こんな危険な乙女部屋からは逃げよう。
 そうやって、ドアノブに手を触れた時だった。
 湿気を帯びた暖かい空気が、わたしを包み込む。
「こんな時間に、どこに行くの?」
 カチーン。
 その声を聞いた瞬間、わたしの体は凍りついてしまった。
 だって今、この部屋には、わたしと、バスルームにいる夏樹の二人きり。
 それでわたしは今、ここにいるわけだから、残るはもちろん夏樹だけ。
 ってことは、夏樹、もうバスルームから出てきちゃったっていうの!?
 やあ〜ん。どうしよう。
「べ、べつに、どこだっていいじゃない」
 振り向けない。恐ろしくて、振り向けない。
 だからわたしは、扉を見たままそう言った。
 すると夏樹は、「ふ〜ん」と言って、そのまま部屋の奥へと歩いていって、ぽすっと乙女カバーのかかった巨大ベッドに腰を下ろした。
 そして、すっと足をあげ、組む。
 その所作がまた、憎らしいくらいにスマートで格好いいから、たちが悪い。
 その隙に、この部屋から一刻も早く出たいとばかりに、ドアノブをガチャガチャとしてみた。
 動かない。っていうか、扉が開かない!
「ねえ、知っている? この部屋ね、外から開けるか、もしくは、今ぼくが持っているこの鍵がなければ、扉は開かないんだよ? よく見てごらん。その扉、内側にも鍵穴があるでしょう?」
 そう言って、右手人差し指に、鍵につけたチェーンをかけ、くるくるとまわす。
 そして、くくくっと、肩を揺らして笑った。
 そんなの振り向かなくたって、見なくたってわかるわよ。この空気から。この鍵の回転する小さな音から。
 今の夏樹、絶対、悪魔の微笑みをたたえ、愉快そうに笑っているわ。
 く、悔しい!! 大っ嫌い!!
 どうしてそんなに周到なわけ!?
 っていうか、何なの、このおかしなつくりの部屋!
「あとね、いいのかな? もう時間がないよ? 明日の朝だよ、婚姻届を出しにいくの。それとも、ぼくたちの結婚、認めたのかな?」
 ぐりんっ。
 わたしは勢いよく夏樹に振り返り、にらみつけていた。
 認めていないわよ、そんなもの。
 そんなことより、わたしは今、この部屋から脱出することで精一杯なのだから。
 ごめんなさいね。わたし、一度に二つ以上のことは考えられないわよ、どうせ。
 本当、腹が立つ。大嫌い。
 なんかもう、いきなり拉致られて、プロポーズされたとか、頬や首筋にキスされたとか、そんなことはどうでもよくなってきた。
 ただたんに、わたしはこいつがいけ好かないのよ。嫌いなのよ。大嫌いなのよ。
 こいつのこの余裕しゃくしゃくで、全てを見透かしたような態度、そしてとりわけ、天使の微笑みに見せかけた悪魔の微笑みが、ムカつくだけなのよ!!
「ふっ……。わかったわよ。その挑戦、受けてやろうじゃない。今まで大人しくしていたけれど、これからはそうはいかないわ。見ていなさい。わたしを敵にまわしたこと、必ず後悔させてやるんだから!!」
 右腕を思いっきりのばし、人差し指を突き出し、びしっと夏樹を指差した。
 すると夏樹は、またふ〜んと笑い、やれるものならやってみなっていう得意げな顔でこっちを見る。
 く、く、悔しい〜っ!!
 やっぱり、こいつ、わたしを馬鹿にしている。わたしで遊んでいるんだわ!! 大っ嫌い!!
 きっとそうよ。こいつ、お金持ち特有のお金も暇も持て余している奴で、暇つぶしに、こんな手のこんだことをして、わたしで遊んでいるんだわ。
 そうよ。絶対、そうだわ。じゃないと、やっぱりこの状況、納得できないもの。
 びしっと指差したまではよかったのだけれど、その後どうもタイミングを失い、その手を引っ込めることができなかったわたしのもとに、夏樹はすっと立ち上がり、ゆっくりと歩いてきた。
 バスルームから出たばかりとあり、バスローブ一枚をまとっているだけ。そしてわたしも同様の格好。
 だって夏樹、この鬼畜夏樹め、このバスローブしか着替えを用意していなかったのよ。
 今までわたしが着ていた服も、わたしがシャワーを浴びている間に、どこかにやっちゃっていたのだもの。
 絶対、鬼よ、悪魔よ、こんの鬼畜魔人〜!!
「な、なによ、やる気!?」
 夏樹のその行動にようやく手を戻すことができ、その戻した右手と左手で、胸の前で「やるか!?」と戦闘態勢のかまえをする。
 夏樹はわたしにはかまう必要もないとばかりに涼しい顔をして、そのまますっと手をのばしてくる。
 そして次の瞬間、わたしの体はふわっと浮いていた。
 ま、またしてもやられた。お姫様だっこ!
 わたしを抱えたまま、夏樹はあの巨大ふわふわベッドへと歩いていく。
 ば、ば、万事休すっ!!

 ……ぽふん。
 そう思った時、わたしの体はふわふわベッドの上に優しく置かれ、そして夏樹はその横に腰を下ろした。
 ほえ……?
 あれ? それだけ? それ以上の嫌がらせはないの?
 と、上体を起こそうとすると、夏樹はわたしの肩をおさえ、またベッドへ沈める。
 そして柔らかな微笑みを浮かべ、こう言った。
「おやすみ」
 その瞬間、ふわっと甘い香りを感じ、キスされた。
 三度目のキス。
 今度は、軽くおでこに。
 それから夏樹はソファに歩いていき、そこにぽすっと横になった。
 腕をおなかの辺りで組み、目をつむる。
 ――ねえ。そこで寝るの?
 たしかにこの部屋はよく空調がきいていて、秋口の今でも寒くはないけれど、だけど……風邪ひいちゃわない?
 そう思ったけれど、声などかけてやらなかった。
 だって、そんな甘い顔を見せたら、絶対こいつのことだから調子にのるわ。
 ――ううん。そうじゃない。
 夏樹ははじめから、やっぱり言葉だけで、続き≠ネんてするつもりはなかったのだわ。からかって遊んでいるだけ。

 ……なんだか、変な気分――


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update:03/11/16